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無敵の人とは何か? それへの対抗策

やっぱりひろゆきさんが好きなのかなーってつくづく思う話。

皆さんは通称・無敵な人というものをご存知ですか? 知らない方の方が多いかと思うので解説しますと、恐らくこのような名称で呼び始めたのは大手匿名ネット掲示板2ちゃんねるの創業者、西村ひろゆきさんで、少し前に起こった無差別殺傷事件(具体的に小田急線内・京王線内の殺傷事件や秋葉原の通り魔事件など)の犯人たちを比喩したモノです。

ネットスラングっていう奴なのかもしれませんが意味は「社会的に失うものが何も無いために、犯罪を起こすことに何の躊躇もない人」ことだそうです。昨今では世界情勢や経済不況の兼ね合いもあり、俗言う「無敵な人」が生まれやすい環境にあるのか、そういう事件も起こっているような気がします。

さて、このように突発的に発生する無敵の人の発現とその人たちが起こす無差別な事件、これらをどうやったら防げるのでしょうか? また収めることが出来るのでしょうか? 今日はここを考えます。

まず、結論から言えば防げない。無敵の人が出現するのはどうしてもしょうがない。コミュニケーション能力に生まれつきハンディキャップを抱えていたり、複数の因子が兼ね合い通常人でも孤独になったり、意外にも失うものが何もない人(正しくは失うものがないと思い込んでしまう人)は多いものです。

具体的に言えば、「自殺者」はまさにそれです。自殺を引き留めるものとは多くの場合で、その「失いたくないもの」です。事件と自殺者の違い、その無敵の人の思いが外に向かったか内に向かったか、表現方法は違えどどちらもが無敵の人だと思いますね。

そういう人が生まれにくいような環境や設備作りは可能だろうし、対応策がないわけではないと思うのですが、完全は不可能ですし、じゃあ事件が起こらないように無敵の人になった場合は自殺を選ぶような教育をすればいいかと言えばそれも違う。

じゃあどうやれば事件を収められるのか? これも非常に難しい。基本的にどの事件も犯人が「疲れて」または「気が済んで」終わるのです。真正面から止めるのは難しい。よく護身術とか言って、格闘技の技術を教える教室がありますが、実践では使えないことの方が多いそうです。そりゃそうですよね、練習じゃ当たっても死なないナイフかもしれないですが、その人たちが持っているのは当たれば死ぬかもしれない道具なのですから。

となると、無敵の人が発生し誰かを傷つける前に対処するとなると、3パターンしかないです。
1パターン目が訓練により死の恐怖を抑えられる人。これはわかりやすく、屈強な人物で訓練も積んでおり、場合によってはナイフの対処も本物で訓練している。そうなれば、大丈夫でしょうがそんな人ってそんないろんな場所にいるのでしょうか? いやいませんね……。
2パターン目が数で恐怖感を抑える団体。わかりやすく言えば、警察が団体で抑えるということですね。理論で言えば、「赤信号みんなで渡れば怖くない」と同じです。恐怖感とは一緒に行う人間が多ければ薄れますから、徒党を組めば恐怖は多少は抑えられますし、そこに警察であれば訓練もある程度はしてますから相乗効果で、犯人を取り押さえられるでしょう。しかし、警察が集まっている段階で、被害はある程度あるような気がします。

3パターン目が私が思うに最も現実的で最も悲しいパターンです。それが無敵の人には無敵の人をぶつければいいということです。死への恐怖が事件の拡大に拍車をかけるなら、同様に死の恐怖がない人間を差し向ければいい。「私なんか死んでも何も問題ない」その自己否定が、恐怖を打ち消して誰かを救うきっかけになる。それも十分にあり得ることなんじゃないでしょうか?

例えば、川でおぼれている子供がいたとします。それを助けた人はどんな人でしょうか? とした際に、①川遊びのインストラクター②地域の消防団③自殺を考えて川に訪れていた人、どれもありえそうではないですか? 人間が恐怖を抑えるきっかけは、勇気かもしれないし連帯感かもしれないですし、自棄かもしれないですね。

では、最後に目に見えない「無敵の人」について語りたいと思います。
私が俗言う「無敵の人」は2種類いると思っています。実はここまで語ってきた無敵の人はその一方に過ぎないと思っています。定義に戻るの2種類いることがわかります。
「社会的に失うものが何も無いために、犯罪を起こすことに何の躊躇もない人」
犯罪にしかり、私が先ほど言った自殺に関しても、「社会的に失うものが何も無いため」→「犯罪」や「自殺」という構図なんです。じゃあ犯罪や自殺とは誰のためにやっているのでしょうか? それはおそらく自分のためです。じゃあ、これが「自分以外」のためだったらどうでしょうか?

歴史上で言えば、宗教普及のテロや大日本帝国の神風特攻隊などがこれなんじゃないでしょうか? アッラーのため・お国のため、理由は違えど他に主眼を置いて自分の人生をすべて失っても実行する。これも一種の無敵な人なんじゃないでしょうか?
こういう人物は誰か・何かのために生きているため、その誰かや何かが害されれば法も命も無視して行動しますが、そうじゃなければそれらに抵触しないため、発見も発生防止も難しい。だから、「目に見えない無敵の人」。もしかしたら、自分自身も知らず知らずのうちに無敵の人になっている可能性もありますね笑

はい、今日の希哲学者でした。また不定期になんか意味の分からんことを書きます。

写真:ピカソって何人も妻がいるんだろか

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