走るとこ,読むこと
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一歩,右足を前に出して地面をける,1枚,親指と人差し指で挟んでページをめくる。走ることと読むこと,それはまるで外見が似ていない双子のよう。1人は地面をけり,1人はページをめくる。動きに違いはあれど,視線の先に見えるものはきっと同じ。
美しい森の中の坂道。すでにその麓につくまでに,10キロは走っている。ここからさらに10キロ,アップダウンの厳しい道が続く。空は突き抜けるほど青く,風はやや冷たい。ある人にとって,眼の前の坂は苦痛でしかない。立ち止まって躊躇しているいま,苦しげな呼吸音を森が吸い込んでいく。ある人にとって,眼の前の坂はまるで自分を呼んでいるかのように見えている。ここからこそが本番,そこにある苦痛の先に何があるのか,知りたくてしかたがない。
ナラベルエントリー 【本を読もう!】 明治大学図書館
ページをめくるたびに,胃がキリキリと痛む。日常生活では想像もできないこと。隣人のむき出しの悪意や戦いの虚しさ。一つのセンテンス,一つの単語,主人公の苦悩が絡みついて離れない。ある人は,あまりの苦しさに,ページをめくる手を止めた。これ以上の残忍さに耐えられない。読み切ってしまったら,人の善意を信じられなくなりそうだから。ある人は,歯を食いしばり,新しいページに視線を落とす。目をそらすこと,それは人の悪意を許容してしまうことだと信じて。
坂道の前に立つランナーは,結局,坂を登り始める。苦痛は万人に平等だ。トレーニングをした人も,してない人も,走り慣れたひとも,初めてのひとも,苦しくないということは決してない。それぞれに苦しい。息を整えるため,坂の中腹で止まるひと,口元を歪めながらも,止まることを拒否するひと。長いアップダウンの中で,いらないものは,削り落とされていく。眼前の坂をただ登る,それは自分の奥底を覗き込むこと。その先に何があるかは誰にもわからない。しかし,ランナーは信じている。
本を閉じてしまった人も,そこにかならず栞を挟む。たとえ,その本を二度と開かないつもりであっても。そう,そして何かのふとしたきっかけで,栞をたぐり,もう一度読み始める。一度,物語を閉じてしまったことに後ろめたさがない訳ではない。読み続けたひとも一度立ち止まったひとも,畏れながらページをめくる。それは物語を生きるということ。その先に何があるかは誰にもわかならい。しかし,読書人は信じている。
ナラベルエントリー 【走ってみる,読んで見る】 ナラベル運営チーム
走ることと読むこと,似ているようで違っている。違っているようで似ている。だがそこに,おそらく意味はない。必要でなものを削り落とすひともいれば,すべてを身に付けるひともいる。世の中わからないことだらけ。だからこそ面白い。ランナーは,走らない日には本を手に取って。読書家は,ページをめくる手がとまったら,ランニングシューズを履いて。同じものを違う場所,違う方法で覗いてみると,すべての出来事がつながり,すべてが循環していることを実感できるのかもしれない。
走って,読んで。 時々,ビール。こんな時でも,世界は捨てたものじゃない。
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このエントリーは,半年間で2回もランニング中に転倒し,全身傷だらけ&右手骨折という散々なできごとへの懺悔です。