しょうがいふくしたのし

  私は福祉に十年ほど関わってきた。作業所、グループホーム、ヘルパー、放課後デイなど、ボランティアも含めたら、何かしらの形でずっと障がいのある人たちと関わっている。

 障がいのある人たちに興味を持った光景をはっきりと覚えている。
小学校六年の音楽会。
市民会館の大ホール。
太くて長い蛇腹のホースを振り回す子。
聞いたことのないユーモラスな音。
その時の私はとても愉快な気持ちだった。

 市内の小学校の六年生が一同に集い、課題曲と自由曲を発表する音楽会。私たち第四小学校も練習を重ねたいつもの演奏をした。
自分の小学校の出番も終わり、他校の演奏を聴いていた。
木琴、鉄琴、リコーダー、小太鼓、それぞれ楽器を演奏するのだが、どの学校も同じような演奏で私は飽きていた。

 最後の発表は、第五小学校。舞台の後方に、打楽器の並びに楽器ではないバケツや黄色い大きなホースが置かれていく。
「何に使うのだろう?」
 先生の指揮で、五小の六年一組の子たちが、木琴やリコーダーを演奏する。すると打楽器のところにいる子たちが体を揺らしはじめた。五小には「なのはな学級」という特別支援学級がある。そっか、障がいのある子なんだ。

 そして演奏の中盤、先生の合図でその子たちが青いバケツを持って叩いた。なんだかおもしろくなってきたぞ。私はワクワクして座席の背もたれから身を起こした。
一組の子たちの演奏のクライマックス。一人の子が太い蛇腹のホースを振り回すと、「ブヲーンブヲーン、ヒューンヒューン」と聞いたことのないユーモラスな音と、黄色いホースが回る光景で私は一気に目が覚めた。
「わっ!音楽って楽しいな!こうでなくっちゃ!」

「ああ、いい演奏だった」発表の中で一番の愉快な演奏だと思った。
「五小の音楽の先生すごいなー」
 私は指揮をしていた音楽の先生の顔もしっかり覚えて、楽器を演奏するのが難しい子がいるということで、その子に合った工夫を凝らすことで、こんなに面白い演奏になるんだ!という感動を持って帰り、家でも興奮しながら母に話した。
それまでも障がいの人は身近に居た。ご近所さんだったり、福祉祭りで会ったり。
でも「面白い!」と思ったのは初めての体験だった。

 それから半年後、中学校に入って、私の通っていた四小とあの演奏を聞かせてくれた五小の生徒が一緒になった。私は吹奏楽部に入って、五小の子たちと友達になった。
その子たちと部活の帰りに公園でお喋りをして、隣の五小の前を通った。その時、なのはな学級の子が校庭を歩いていた。
「あ、シンショーだ。うちら、よくいじめたよネ」とトロンボーンの子が言う。
「いじめても何も言わないからね。バレなかった」とトランペットの子が言う。
「石投げたりしたよね」
「石投げても気付かないし」
彼女たちは悪気なく話している。
私は心の中がひんやりするのを感じた。
「ああ知ってるこの感じ」彼女たちの笑顔を見て私は自分の中にもある「悪意」を見るようだった。虐げることで感じてるのは、優越感、高揚感、万能感。誰かを虐めることで仲間意識を確認する。彼らと自分達とは違う人間であることを表明するかのように。
いじめるのって快感だよね。虐めることが楽しい気持ちは理解できる。自分の心の中にもそういうものがあるから。
「シンショーって何?」私は聞いた。
「障がい児のことだよ」
「そうなんだ……」
 でも、あの演奏を聴いて感動した私は、その裏で、一緒に演奏していた五小の子たちが彼らを虐めていたという事実に悲しみを覚えた。
 彼女たちだって彼らとの演奏は楽しかったのではないのか。それとも一緒に演奏するのは嫌だったのか。

 吹奏楽部の彼女たちは障がいのある子だけを虐めのターゲットにしているわけではなかった。小学校では女子の派閥が激しくあり、それを引きずって中学校でもいろんな子を虐めていた。私もシカトされたり、悪口を言われた。私も同類、一人になるのが嫌でクラスメイトを利用したり傷つけたりした。人のことを言える立場ではないけれど、言葉で訴えることのできない彼らを虐めずにはいられなかった彼女たち、五小にいたら私もそうしてただろうか。

 その頃、当時の都知事が「ああいう人って(障がい者)人格があるのか」など発言をして問題になっていた。私は知りたくなった。障がいのある人のことをもっとを知りたいという思いが強くなり、近所の小児療育病院と養護学校(当時)のボランティア講座を受けることにした。
 毎週土曜日に講座に通い、座学を受けたり、病棟を周ったりした。重度心身障害の人たちが、それぞれの車いすで移動するのに付き添い、リハビリを見守った。お母さんたちが、子供たちの体をマッサージして、時々痰の吸引をしていた。
「シール可愛いですね」私はお母さんたちに話しかけた。「顔に貼るから可愛いほうがいいと思って」お母さんはそう言って、くまさんの形に切った医療用テープを見せてくれた。子どもたちの手を握ったり、体をさすったりしてみた。後はどうしていいかわからず何もできなかったけれど、少しだけ知ることはできた。
 ボランティア講座の修了書を貰い、養護学校の文化祭に参加。産まれる時に苦労をして、寝たきりだけど笑ったり怒ったりしながら生きてる子。ピョンピョン飛んだりパチパチ手を鳴らしてる不思議な子。同じことを一生懸命に話しかけてくる子。私は子どもたちをじっと観察して「障がい」は「個性」というのは本当にそうだなぁ。と実感した。
 
 二十一歳の頃、知的障がいのある人たちの働く作業所で、作業のやり方を教える指導員をすることになった。どんな人がいるのかワクワクしながら働き始めた。
 作業所では、それぞれの特性にあった仕事をする。内職、清掃、ポスティング、リサイクルなどの仕事が割り当てられる。私はみんなと畑作業をすることが多かった。
 草取りができる人は草取り、同じことを何回も言える人は「いらっしゃいませ」と呼び込み、飛んだり跳ねたりしたい人は畑の見回り、動物が好きな人は鶏のエサやり、収穫や袋詰めができる人はおばあちゃんスタッフと一緒に作業。
 いろいろな場面のある仕事の中で、利用者さんが自分の力を発揮して、生き生きとした表情に変わるときがある。それを見つけたときに私は嬉しかった。
Sさんは、特別支援学校を卒業してから作業所に通っている青年だが、まだ遅刻も多く、働く事が面倒だと思っている。草取りに飽きると草陰に座り込んでサボっていたり、収穫を一緒にやろうと誘っても、お喋りばかりする。
そんなSさんは機械に興味があった。私が耕運機をかける時にいつもやってくる。

かけるとき力を発揮する。まず耕運機を小屋から出して、エンジンをかけてもらう。コックをひねって、チョークを引き、勢い良く紐を引っ張るのだが、力が足りないと一回でエンジンがかからない。Sさんが、紐を引っ張るとブルブルとエンジンがかかった。「オレ、一回でかけたよ」と、言って嬉しそうなSさん。
私が「ここからここまでね」と指示したところをSさんが耕運機を操作して畑をうなる。顔から汗を滝のようにたらしてがんばっている。
「ほら見て!ほら見て!」と彼は鼻の穴を膨らませる。
「すごーい頑張ったね。Sさんが耕運機かけてくれるから助かるよー!」
「少しまがちゃったから、もう一回なおす!」
自分がうなった畑を見て、まだまだやる気十分。
「また、Sさんに耕運機お願いするねー」
日々の作業の中でも、その人にあった仕事をこなしてもらい、できるだけ活躍して欲しいと思いながら一緒に働いていた。

私は人を良く観察して、分析して、人間に興味がありすぎる。だからきっと福祉の仕事が向いているのだろう。
市民会館の大ホール。あの六年生の時に聞いた楽器の演奏のように、それぞれの人に活躍してもらうことを、私は面白がっていた。