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歴史と私のつながりを感じて~軍医だった祖父と満州国の人々~

だれしもが歴史を背負って生きている。
今の自分がいるのはその預かり知れない背景、良い悪いで分別しない業の因縁の現れなのだと思う。

1932年3月1日、現在の中国東北部に「満州国」を建国。
事実上、日本の関東軍の支配下に置かれた満州国。

満州国とはいったい何だったのか。
日本は「五族協和」「王道楽土」を掲げ、満州族、漢民族、蒙古族、朝鮮族、日本民族が共に暮らす、人徳に基づいた正しい道によって治められる安楽な土地を作ろうとした。

「満蒙は我が国の生命線」
日露戦争でたくさんの犠牲を出し、満州の鉄道と炭鉱を手に入れた日本。
ソ連からの国防、朝鮮の支配という地理的条件。
資源のない日本は、満州への移民政策をすすめ、数々の開拓団が満州へと渡った。

私の祖父もその一人だった。

私の母方の祖父は、長野から満蒙開拓団の一員として満州に渡った。
満州の学校で勉強し医師となり、戦時下で軍医として人を助けようとした。
シベリアからの帰国後、勤務医を経て開業医となった。

私が小さいころ祖父は亡くなっていたので、直接、話を聞いてはいない。
大人になってから、母に、祖父の書いた原稿を託された。
母は中国での戦争の映画やドラマなどを子供の頃、私に見せてくれた。
祖父も戦争へ行ったこと、祖父の隣に座っていた戦友が撃たれて死んだこと、日本人を助けてくれた中国人がいたこと、祖父がシベリアに行っていたことなどを話して聞かせた。
祖父は戦争に行く前は明るい人だったが、戦後、幼い母の前で「俺はいつ死んでもいいんだ」と口癖のように言っていたという。
母には祖父が虚無的で冷たい人間のように映っていた。
祖父の死後、祖父の病院で働いていた人から「先生は輸血用の血が足りないとき、患者に自分の血を輸血なさっていたんですよ」と聞いた。
母は、イメージと違う父の姿に驚いたという。

この原稿を読むと、戦争の中で祖父が人を助けようと、懸命になっていた姿が観に浮かぶ。そして祖父もまた人に助けられる。

私が高校生の十八歳の頃、反戦運動にのめり込んでいたのは、祖父の記憶が私を構成している成分のどこかに残っていたからではなかったのか、と思ったりもする。

祖父は庭が好きだった。山が好きだった。そのことは祖父の建てた長野の別荘を見れば、今でも感じることができる。


「再生の道」

一、再会
窓辺に揺らぐ白樺 そして 山峰に続く落葉樹の林に 狭霧は静かに流れている。 その山狭を ホオジロ が渡り来る 鳴き声がすぐ下まで響いてくる。
白く浮かんだ初夏の蓼科湖は寂しさと深さを 潜み 清浄な気流が良一の頬を混ぜた。
若緑の小枝が 陽光に輝き始めて 瞳に痛く染みいる。
日曜日の朝だった。 関崎良一は八ヶ岳の写生に行く予定で 書棚に上げてある絵道具を見つけていた。
「 ごめんください 」……「 ごめんください 」と玄関に女の声がする。 どうしても絵筆が一本 見当たらない。イライラしながら 壁との間を見た。
「こんなところに落ちやがって」 良一は独り言を言いながらやっと埃だらけの絵札を拾い上げた。
「ごめんください」また 少し大きい声がする。 良一は道具を下げると玄関に出た。
「やあ どうもすみません。 どうかしましたか」 良一は職業的に来訪者を患者にしてしまう。
「 先生 お久しぶりでございます。小川です みちこです お分かりですか」
良一は一寸返事ができずに こにこと見つめる来訪者の顔を眺めていた。 そして10年前の小川看護婦の顔を思い出した。 これは驚いた。
「さあ、おわかりください」……「本当にびっくりしちゃったな、いつ引揚げてきたの。よく僕のところがわかったね。 さ、どうぞ 」
「3月の船で引揚げてきましたの。東京の友達のところで先生の住所聞いたんです。 うんと 驚かそうと思って」
「 まあよかった。 無事で何よりだ。ごたごたしているが我慢してくれ 」
「先生 写生? 相変わらず呑気ね」 小川は クスッと笑って首を縮めた。 その動作が昔のままだった。言葉に 東北の訛りがある懐かしい声だ。良一は昔の小川を目に思い浮かべ 現在 目の前にいる小川を見つめた。
十年… 変わった。
苦難に堪え忍んだ顔だ。笑うとしわが額にできた その下に愛らしい瞳が潤んでいた。 
別れて十年やっぱり愛らしい瞳が潤んでいる。
どことなしに落付ができた。 そして一種の気力とたくましさを感じられた。「 先生 何を考えていらっしゃるの」 小川は立って窓を開いた。
「井戸のそばにいる人お母さんと奥さんでしょ。 子供さんは幾人ですの」 良一 も立って 窓辺に来た。
「本当に驚いたね 君が来るとは … しかし よく来てくれたね」 井戸のそばで妻の千代子が洗濯をしている。 長男の伸一と長女の美枝子が砂遊びをしている。 老母が腰掛けて 子供の相手になっているようだ。
「 おーい、千代子今日は 珍客が来たよ お茶を入れてくれ 」
「先生何も構わないで、こっちは山ね。 素晴らしいわ。 あの山はどこの山なの」良一は窓に腰をかけた。
「右の 薄い山が北アルプス その前に ロープのある山がスキー場のある 霧ヶ峰だよ。それに続いて重なっている山は中央アルプスですよ。 あれが甲斐駒です。 少し遠く見えるのが御嶽です。 左側にいくつもの 峰があるのが 八ヶ岳の連山です。 こっちは海抜千二百メートル近くあるので 冬は雪が三尺ぐらい 常にありますよ。 スキーだったら 大先生だよ 」
「先生の転ぶ姿が見たいもんね」 小川が笑いながら冗談を言った。母と妻の千代子がお茶を入れてきた。 良一は山の写真を開きながら
「お母さん、戦争の時一緒に国境に勤務していた 小川さんです。三月の引き上げでお帰りになってわざわざ 訪ねてくださったんです」
「そうですか ご無事で本当にご苦労様でした。 良一が大変お世話になったでしょうに。よくお出くださったですこと。こんな山の中ですがどうぞ ゆっくり遊んでいってください」
「これね、子供さんにあげてください 坊ちゃんにお嬢ちゃんにと思って」
「ご丁寧にすみません」
 千代子は後に隠れている伸一と美枝子を呼んだ。
「さ、立っていないで…こちらに来てお礼を言いなさい」
伸一は喜びを 顔一面に表して お土産をふっと見て一つ 美枝子に渡して目玉をくるくるとみんなを見て 
「おばちゃんお土産ありがとう」
ペコンと頭を下げて飛び出して行った。
「お子さん、丈夫そうね」
「お山の大将で、いたずら ばっかりしております」 良一 は笑いながら茶をすすった。
「そうだったらパパにいたんじゃありませんか」 
「これは 逆襲だね」
 二人の笑顔は谷間に響いて行った。 小川は気流の間にくっきりと浮かんだ山を見つめていた。
「先生あそこの山 、孫呉K陣地の山に似ているわ」
「そうK陣地のあたりでしょう。私もあの山を眺めてる時、終戦当時のことが思い出されますよ」
 北満州の国境にあったK 陣地に似ていた。 白樺に囲まれた K陣地がソ連軍の空襲を炮火で一夜にして焼け野原となった。
良一は敵の包囲の中で日本人としての宿命に生きる最善の道を見出す以外になかった。

良一の生きた道とは運命の命ずるまま眞実に、その瞬間を切り貫くのみであった。不幸にも名もない国境で散花した幾千の戦友の魂は、いつも私らの頭の上に世の大空の星のごとく 何も語らず私等をじっと見守るように思えるのだった。
良一 はいつもその星の魂に生活を通じ、理想を通じてささやき、そして、社会の一員として役立つことができたらと自責の念にかられていた。

「自決して私らを救ってくれた 戦友の顔、それに君らのことが 瞳に浮かんだ。 そしてお別れしてからのことをぜひ知りたかった。復員して、前に引揚げられた人らに君らのことを聞いてみましたが、 少しも分かりませんでした。 しかし よく訪ねてくださったんですね」 良一の胸には新しい感激でいっぱいだった。 
「先生 この写真 ハルピンの病院ですわね 」
「君らもここにいるはずだが」二人は写真を見つめた。
「これが君だよ、昔はすましたもんだね」
「先生だってこんなに肩を張ってるんじゃないですか。 よくこの写真ありましたね」
「母に一枚 これを送ったので命拾いしたのだよ」
「先生これ頂いていいかしら 欲しいわ」
「君らの同級生のだから お上げしてもいいが」 
「まあ嬉しい いただくわ。 一枚も持って帰れなかったんです」

「ひとつ山でも案内しましょうか。 良一は小川看護婦を促して 山道を登って行った。 白樺の林を過ぎると高台に出た。
「小川さん、あそこに 伊藤左千夫先生の歌の日がありますよ。 山を愛し 歌に生きた 先生の記念碑です。 いつも 山を愛する旅人の心を温めてくれます。」
見つめた二人の心にも伊藤先生に対する思慕の情が湧いてきた。 そして 良一 は昔の思い出話を語り始めたのだった。

ニ、霄虹(シャオホン)の面影
昭和二十年 ハルピンの病院で内科勤務の良一が小川看護婦を知ったのだった。 本土決戦に変わりゆく戦況に病院全体が重苦しい空気に満ちていた。 南方へ南方へと野戦病院が編成されて、どんどんと人数が少なくなっていった。 軍医も看護婦も 手不足して 多忙と不満で神経がイライラしていた。
五月十日、良一の当直の番だった。 いつものごとく 各病院を点呼して廻った。最後に結核の従業者の部屋に入った。 主任看護婦の小川が事故有無、及び病状の変化を報告した。良一は聞きながら患者の一人一人の前に立った。
ギラギラと光る患者の目。 諦めながらもなお訴える、無音の声が瞳に燃えている。 せめて祖国に帰りたい 一念の炎のようだ。良一が 根本兵長の前に立った。
根本が半身を起こした。
「根本 具合はどうだ 」
「はい 大丈夫です。今度の内地送還(帰国)はいつですか。今度はぜひ 根本をお願いします」
「よし 考えておこう。それまで頑張るんだな」
「はい」
まだ何か言い足りない 表情だった。 
「何か不満の点があるのか」
「いえ、 あの…うちのお袋はおはぎを作るのが上手いんです。それをもう一回 食べたいんです」
「根本はどこの生まれだったね」
「自分は十和田湖の近くです。 現役から五年間 家に帰っておりません」
「家の人らは皆大丈夫か」
「はい。 弟は サイパンで戦死しました。あとは 妹二人です」
「そうか 根本が丈夫にならなくちゃならんだね」
 良一は六名の患者に目を移した。 
「皆、根本のようにおはぎを食べたいかね」
 冷たかった患者の表情に 微笑が浮かんだ。 そして一瞬 明るくなった感じがした。
「よし、 私が君らにおはぎを心配してやるぞ」
和やかな空気になった部屋から出た良一は、苦しかった。それは前日 関釜連絡(満州鉄道から朝鮮の釜山、下関を結ぶ航路)患者輸送中止の命令が来ていたからだ。 良一は 当直室に小川を呼んだ。
「小川君はおはぎを作れるか」
「作れますわ」
「そうか、 じゃあ 炊事には私から話すから、重症者にだけ一回 作ってやってくれ」
「患者さんだ毎日食べ物の噂ばっかりしているんです」
「食べ物以外の 希望がなくなってきたんだろうね。 君らだって 人手不足で神経衰弱のような顔だ。 明日は当直明けの日曜日だとここへ行く予定があるかね」
「はい 別にありませんが 何でしょう」
「そうか じゃあ 気晴らしにいつか話したことのある N先生のところに遊びに一緒に行かないか。 誰か友達を一緒に誘ってみておくれ」
「じゃあ 原さんに聞いてみます」
「都合よかったら 明日八時半頃出発するから」
「はい」
「じゃあ おやすみ 重症者をよく見ておいてくれ」 
良一 は院長より 国境の孫呉に転任の内命を受けていた。この病院ともお別れかな、思い出が走馬灯の如く瞳に浮かんでくる。 石畳のハルピンの町… 楡の並木の大直街…静かなウクライナ寺院の鐘…リラの香に包まれる植物園 …N 牧師の顔…などの思い出であった。
良一の受け持つ患者が幾人も死亡した。その責は未成熟な良一の医術と精神的な苦悩に疲れ果てた。ある日 ふと花園街の日曜学校の門をくぐった。 その日の講話はN牧師であった。 良一は先生のお話が強く印象に残った。そして良一は自分の苦しみを訴えた。 

「信仰の生活に美しい理想が生まれ 信念ができる。病の苦しみも 人間に与えられた神の試練なのであり、 その苦悩の道程に人生の光明が見出されるものである。 その伝導者の医師は、病人以上に苦しみに耐える力が必要だ」という言葉を思い出した。

N牧師は奥さんと二人で 満人だけの町、 顧郷屯(コキョウトン)に青年学舎と無料診療所を創建した。 それからの二年間 あらゆる 迫害が先生らの仕事を苦しめた。 N先生の努力は無駄ではなかった。 どんな 満人に対しても礼を尽して仕事を進めていった。 民族の調和は 権力では不可能であると信じ、真実の愛と真に結ばれる生活を通じて、満人の信頼を得たのだった。
良一はそれ以来 都合できた日曜日だけ御手伝に行っていた。
「関崎さん、 私らも二年目の今日やっと皆さんに私らの仕事を理解してもらえるようになったんですよ。 そして 色々の協力者が多くなってきたんです。 満人も朝鮮人も ロシア人も時々仕事の報酬に来てくれるんですよ。 私らはこの生活に生きがいを感じております。 まだ 本当の仕事は これからですがね。 楽しみが多いですよ」 と言った N 先生の言葉を思い出した。 いつも二人で 町外れまで送ってくれた。良一はこうした あったかい慈愛に包まれた生活に嬉しさを感じていた。

やがて約束の朝が来た。
「軍医殿、早く起きてよ。さ、早く。 八時半ですよ 」良一は小川の声にびっくりして飛び起きた。
「よし 行こう」 良一は 洗面所に飛び込んだ。食堂で日直の石田軍医に患者の申し渡しを済ませた。 大急ぎで朝食を食べ、外に出た。
「軍医殿 顧郷屯まで遠いんですか」 原が心配そうに聞いた。
「いや 馬車で一時間 ばかりさ」 良一 は手を挙げて馬車を呼んだ。
「さ、乗ってください 」二人はおっかなびっくり 手を繋ぎながら 乗った。良一は向こう側にドカリと腰を下ろした。
「どこへ行くか?」若い馬主だった。
「顧郷屯」良一は坂の下を指さした。
「明日、明日」馬主は馬にむちをくれた。霄虹橋(シャオホン)の陸橋を越えて、地階段の坂を りんりんりんと鈴の音も軽く 下って行った。 良一は澄み切った 五月の大気を吸った。 そして大空を見上げると胸に歌が浮かんできた、藤村の椰子の実 を三人で合唱した。やがて ガードの下をくぐって小さい露店商が並んでいる前に来た。
「小川さん ここが盗人児市場だよ」 原看護師が 小川に話しかけていた。 良一 も時々この市場には回って見に来た。 良一は思い出したように
「何か買いたい物があるかい、 どんなものでも半値 近く 負けちまうぜ 」
二人は物珍しく店内を眺めていた。 やがて町はずれに来た。そして大きなレンガ工場の長い坂を登ると、また 平原が続いている。ハルピンの市街が右下に見える。この端に松花江(ショウカコウ)の流れが大きく曲がって 輝いていた。真っ赤なズボンに緑色の上着の 姑娘が親子で歌を歌いながら 馬車を走らせて通り過ぎていった。

 人口二万の町、顧郷屯が見え始めた。 野豚が家の周りを飛び歩いている。 原色の看板の店舗が並んでいた。 見覚えのある赤レンガの家の前に来た。 見上げると 奥さんが二階で掃除をしているのが見える。良一は 手を振って また合図をした。ガラリと窓が開いて奥さんが顔を出した。 
「奥さんこんにちはこんにちは。 助手 二名連れてきましたよ」と言いながら 良一は勝手を知っている部屋に入って行った。
「そう、よく来てくださったのね。 主人と、今日は 関崎さんが来るだろうと噂しておりましたのよ」
「病院の原と小川です」
「私、N の妻でございます。 さ、どうぞお入りください」 良一 は部屋の中を見回した。
「先生は 今一瞬 会議中ですの。 すぐ終わるわ。そうそう 牛乳 冷やしてあるわ」
 良一 は二人を促して
「さ、 頂戴しましょうや」 一気に二杯 空にした。
「奥さん おかわり」
「まあ 早いわね。関崎さんはいつでも ガツガツしているわ」奥さんは 良一の健飲ぶりに目を細めて笑った。
「あー うまかった」良一 は三杯目のコップを空にすると口を拭いた。 誰でも来ると喜んでくれる奥さんに慕わしさが湧いてきた。それでいつも甘えたい気持ちになるのだった。
「奥さん、前の患者の様子 どうですか」 良一は手で腹の大きい真似をした。
「あの肝臓の悪い張さんね。関崎さんの来るのを待っていたわ。 また 腹水を取ってくれって 昨日もまだ来ないかと子供が聞きに来たの。 今日は早く患者を見てしまってね。今日はうちの誕生日なんですの。うんと ご馳走するわ 」
「それはいいな。 私も 五月生まれですから 一緒にお祝いしてくださいね」
「いいわ。皆さんにお手伝いをしてもらうから。さ、早く 患者さんの方をお願いするわ」
 良一 は診療室に入った。患者が十名 待っていた。この町には医者がないのだった。前からの顔見知りの患者が頭を下げた。
「先生 謝謝」と神経痛で右肩の動かない患者が右腕を上げてみせ、 笑みを顔一面にみなぎらせている。 良一は白衣を着て診察を始めた。この町には化膿性の病人が多いのだった。
「や、ご苦労さん」 温和なN先生が笑みをたたえて入ってきた。良一は目で挨拶をした。
「また 私が通訳をするかな」と N先生は腰を下ろされた。良一は聴診器を机の上に置いて、
「小川看護婦と原看護婦です。 お手伝いに来てくださったんです」 
小川と原 は丁寧に頭を下げた。
「これはこれは、よく来てくださったんですね。 さあ、お仕事をやってください」 
N 先生は通る満語で通訳を始めた。 にんにくの香りが部屋いっぱいになってきた。切開手術、注射、投薬、生活指導等 そして 良一 が往診から帰った時はちょうど 一時であった。汗を拭いて 二階に登った。奥さんが入り口まで迎えてくれた。
「ご苦労さんね、皆さんお待ちかねよ。さ、 関崎さんの席はこちら」良一は椅子に腰をおろしながら患者の状態を話した。 終わると奥さんが待っていた顔で
「さあ たくさん召し上がってくださいな。 食べながらお話ししましょうね。今日はね、うちと 関崎さんのお誕生日祝いなんです。 神様にお礼のお祈りをいたしましょう」 
みんなで静かに合唱した。 そして 祝福されたのだった。良一は食べながら 転任の内命を話し始めた。  
「近日、国境地に 転任の内命がありました。 この次の日曜日はお会いできなくなるかもしれません。本当に長い間お世話になりました。 奥さんにも甘えてすみませんでした」
じっと聞き入る N 先生と奥さんの瞳に涙が光った。
「そうですか。いよいよ来るべき時が来たのです。消して、いかなる場面でも生命を粗末にしないでください。 またどこかでお会いできるかもしれません。昔、外国の詩人の言った言葉にこんな一片がありましたね。『肉体は魂を作る。その結び合う魂の愛情こそ真の愛情と言い、また魂は永遠に不滅である』と申しております。たとえお会いできなくとも、今日までのお互いの魂はいつもお会いしていると同じでしょう。きっと いかなる場合でも 活路があるものです。 確り頑張ってください。
……関崎君あの壁をご覧、あの図が今度、水田になる計画ですよ。 二万町歩ほどぐらいかな。 ほら、あの丘の上に見える草原なんだが、 水路は松花江から引くのだ。二年ぐらいかかるかな。 満人の人らにこうした方針と計画を一歩一歩 実現させるんだよ」
「大変な計画 なんですね。 しかし 一つ一つ 実現できて本当に素晴らしいですね」 
良一は見渡す草原が稲の波になる図を瞳に描いた。
 奥さんがしんみりと語り出した。
「関崎さんが来てくれると患者が助かるから。 残念ですわ。……… 何とか工夫して誰かにお頼みしますわ。 安心して行ってくださいね。…お母さんから、お便りありますか」
「はい、一昨日便りがありました」
「ハルピンにお呼びしたかったでしょ」
「はぁ…」良一は常に母のことを奥さんに話していた。そして一日でも早く母と一緒に生活できる日を考えていた。物入から 一昨日来た母の手紙を出して 奥さんの前に置いた。
「どうぞご覧ください」
「そう、じゃあ 拝見するわ」

  拝啓 良一さん 

 お元気ですか 良一さんが元気で帰った夢を見ました。 内地は毎日空襲で大変です。
 私も 婦人会の混合食の講習会や増産のお手伝いで 大変です。
 良一さんの同級生の小林さんと山本さん、それに藤田さんの戦死の公報が来ました。
 ニューギニアで戦死されたそうです。本当にお気の毒です。私もまだまだ丈夫で働きます。
 庭のカシクルミとカヤの実を小包で送りました。

  良一様へ  母より

 読み終わった奥さんが良一に手紙を渡した。
「本当にいいお母さんね。 おいくつですか」
「ちょうど 六十かな」
良一は故郷の家の話を始めた。 
「蓼科山の山狭に包まれた家。清らかな小川の流れが平和な村の中央を流れているんです。 その川端に大きな カシクルミの木があり、いつも春先になると、木の下に大きい ふきのとうがいっぱい頭を上げてくるんです。 柿の木、かやの木が庭にあり 母が一人で竹竿で叩いて取っているでしょう。懐かしい故郷を思い出す頃、必ず母が小包を送ってくれるんです。一つ一つ 噛みしめるたびにそんなことがふと考えられます」

いつしか陽光も傾いていた。時計は三時を示していたのに気がついた。 良一は
「さ、 今日は君らは初めてだから歩いて帰ろうか。花草の素晴らしいところがあるよ」三人は辞して外に出た。坂を降りると楡の並木が続いていた。 ハルピン市街が見え始め オレンジ色の太陽が 松花江にキラキラと映えていた。
「どうでしたか」 良一は今日一日を二人に聞いた。小川は良一と原に話し出した。
「いい先生方ね。 本当にできるかしら、 美しい社会、 夢のような話だわ。どう原さんは」
「非常に立派だと思うわ。 信じ合い、理解し合い、強い信念と理想で結び合う生活。この道こそ本当に民族を超えて共存する唯一の道だと思えるわ」
良一 は二人の話に嬉しかった。こうした気持ちになれただけ、お互いが 生きるという人生に希望が湧いてくる気がした。
「そうなんだ。お互いの職責を通じて最善の努力が結び合う生活に生きる姿を見いだせると思う。 そして先生らのように 夢に近づいていく時が幸福なんです。君らも苦しい時、または悲しい時、N先生を訪ねてください。きっと良い目標を与えてくださるでしょう。 
……ほらごらん、あの緑の島が見えるでしょう。ロシア人の静かな楽園地の太陽島なんですよ。 その向こうの長い鉄橋を渡っていくと 孫呉の国境に行くんだ。いよいよ 君らともお別れだね。いつも無理な仕事ばかりさせてすまなかった」
 原看護婦は花を取りに 草原に降りて行った。 
「軍医殿お便りくださいね。 小川は寂しそうに良一の視線を眺めながら訴えた。 そして 良一の昔語った言葉を思い出した。
「よく私らを集めて、『死ぬ時は一緒なのだ それまで命がけで 総てを忍んで頑張れ』 と申されたことがありましたわね。それが皆、別れ別れになるなんて」小川はこらえた涙が流れ落ちてきた。 良一 は小川の瞳を見つめた。
「命令なのだ。日本軍人として当然のことだ」良一は自分にも言い聞かせるように囁いた。

 良一も小川も同じように 父親に早く死なれていた。同じ苦しみのうちに 兄弟のような愛情が湧いていた。 そして慕われる 小川の心を思うと良一の胸も痛むのだった。 愛すればこそ、お互いの幸福を祈り合う以外に現在の運命の道はないのだったから。 

原看護婦が両手に野ばらをいっぱい持ってきた。 良一は一切の感傷を忘れたかのように、名もない 白い花を手に折って歩いた。 北満の草原は一度に色々の花が咲き揃うのであった。愛らしい ほのかな香りが流れてくる。良一は二人の来るのを待った。
「どうです 花は協存を楽しみ、このような 清浄な姿は素晴らしいね。二人にプレゼントします」
良一 は半分にして二人に渡した。 そして夕暮れのハルピンの森の町に入っていった。原が思い出したように 
「軍医殿、今日一日 本当に楽しかったわね」
「大変に歩かして 疲れちゃったかな。ご苦労さん」 良一は別れて 宿舎に帰った夕食後、患者の部屋に行ってみた。 患者の枕元に今日、三人で取った花が少しずつ飾ってあったのに 良一の心の温まる気がした。 良一 は当直室の黒板にこんな歌を 書いてみた。
「名も知らぬ花の香りに病む戦友(とも) と 微笑で語りぬ 故郷の花」
「霄紅の面影抱き別れ行き 命の限り 国境を踏む」
良一は暗い庭に向かって 自分の 歌の吟詠を始めた。 良一は 万感、胸に溢れ温かく、淋しく、そして強く、幾度も繰り返したのだった。


三、二人の召集兵
思い出のハルピンを出発したのは五月十五日だった。
国境地、孫呉(ソンゴ)は在満の召集兵で混雑していた。 良一の部隊は 愛輝と孫呉の中間にある K陣地であった。作戦計画は第二戦の陣地構築が進められていた。新しい戦車壕と散兵壕が山陵に赤黒く続いている。幾千の兵隊が汗と土にまみれて 黙々と 長い列で壕が掘られていくのだった。
白樺の木陰に形ばかりの幕舎が並んでいる。高台に医務室の幕舎があった。
時々、夕立雨がやってきた。兵隊の幕舎は流れるように雨が漏っている。この雨をじっと身に受け、避けることもできない兵隊の数なのだ。
慣れない毎日の壕掘りで兵隊の疲労は日々に加わっていく。 そして なんとか 休む工夫をするのだった。 診療患者が増加した。 参謀に命じられた壕は予定の半分ぐらいしかできない。 幹部の焦りは兵隊を酷使として暴発するのだった。
兵隊の解放されるのは夜の点呼後の一時であった。高台に登るときらきらと輝く街の明かりが見える。 消灯までの時間を思い思いの感慨にふけるのだった。 暗闇の山狭から、狼の遠吠えの声か流れてくる。 遠くに そして近くに 良一の周囲を 覆ってくるのだった。 良一は 幕舎のランプをかきたて一日の診療日記をつけ始めた。幕舎の外で兵隊の話し声がする。ふと耳をすますと松井二等兵が戦友の会田に話しかけていた。
「おい会田、お前今日も夕飯を食べないじゃないか。食べなくちゃ、死んじゃうぜ。こんな山の中で死んじゃあ、お線香を立ててくれるものはありゃせんぜ」
「欲しくないからさ 」
「体の具合はどうなんだ。 俺は 盛り切りいっぱいじゃあ 腹の虫が収まらねえや。 それに 高楽飯(コーリャン)ときちゃあ、また痔が起きてくるぜ。将校は銀米だよ、同じ人間でありながらな… 俺は当番兵を睨みつけてやったよ。どうにもならんさ」
「俺はひましに食べられなくなっちまう」
ごほんごほんと咳が聞こえる。会田の咳らしい。良一は会田の病歴書を引き出してみた。既往症に肺結核があり、過労により再発の状態の兵隊だった。第二国民兵… 開拓団からの招集であった。もう幾日も連休にして後送の申請を出していた。会田は嗄れ声で語りだした。
「私らの夢も全て終わったよ。早くここでも とかどかと始まれば 俺の胸の苦痛も何もかも吹き飛んちまうにな」
「こんな壕ばかり 掘ったっても、銃がなくっちゃ話にならないぜ。俺はあの街で飲んで食べて全身が麻痺してしまう方がいいな 」
「団の連中 どうしているかな。根こそぎ動員で残った女や子供ばっかりじゃ、仕事になるめいにな」
「そうさ、 どうしようもあるめい」
やっと見通しができた開拓団を美しい画として思い浮かべ、 いつ帰れるかわからない宿命に諦めと、戦争に対する怒りを感じているのだった。良一は淋しくなって 幕舎を出た。そして二人の方に歩んで行った。
「会田二等兵か、幕舎に入れ 夜露は身体に毒だ。 松井も一緒に 医務室に話しに来たまい。今日、孫呉の町から買ってきた まんじゅうがある。お茶を入れるから」
良一 は当番に湯を沸かさせ饅頭の袋を破った。紅白の饅頭が五つずつ入っていた。 良一は二人にすすめながら話しかけた。
「こうして山の陣地に入ってしまうと町の灯りが懐かしいね。 君らも今度の日曜日から外出が許可になったよ。会田の入院も決定した病院が満員なのでがもしかすると帰宅治療になるかもしれない」 
蒼白な会田の顔も喜びは隠しきれない顔になった。
「本当ですか 軍医殿」
会田の瞳は涙で光った。 食べかけの饅頭の上に 涙がぽたりぽたりと流れた。
「本当だ君らはどこの国から 招集になったのだね」
松井が元気いい声で語り出した。
「自分らは北安 から四十里ほど入った開拓団です。 会田とは十三年に先遺隊として渡満してきました。 そして天地根元の宿舎に一年、 本建築に入って三年目、やっと人間らしい生活に入れました。 郷里の福島から花嫁も決まり 二人で一緒に連れに帰国しました。 会田と自分は花嫁を連れて渡満し、 馬車に乗って団の見える丘の上に来ました」
 白い雲が綿をちぎったように空一ぱいに広がり 麦が一面に頭を下げて 豊作を物語っていた。
「これは会田の畑だ。この道から右は俺の畑だ。どうだ 広くてびっくりしたんべ」 嫁の連中驚いて 
「これが うちの畑か、ななんちゅう 広いんだべ」と感嘆し四人で抱き合って昔の苦労を慰め合い 新しい希望を誓い合いました。 その頃、団にこんな歌が流行していました。

一、赤い夕日につまされて泣いた 昔もあったのに今じゃあ 楽しい希望を乗せて築く平和な我が楽土
二、頼る あなたがいるからにゃ どんな苦労も厭わせぬ やがてコーリャン実る頃 母と呼ばれる嬉しさよ

それから本当に苦労が実を結んだせいか 仕事はどんどん進んでいきました。 病院、学校、保育所、農産加工所など どんどんと 建設し 火力発電所もでき、団が一層 明るくなり、 やっと一息した時、男の団員 根こそぎ動員です。 自分らはこれからどうなるんだろう、団に残った連中はどうなったろう、と毎日、会田と話をしていました。 弱い 身体の会田は今までの無理が原因で 肋膜炎を起こし、この頃は 食べ物さえ欲しくない。 お前 食べろと自分にくれるんです。 自分はいくら空腹だって食べられやしないんです」
松井の話は終わった。 良一 も二人の温かい友情に感激した。そして冷えた茶をすすりながら 
「二人とも今日までの苦労はよくわかる。 しかし、自分らは日本人として 軍人として忍び合い 助け合い その勤務面から生きること以外できないのだ。 ちょうど会田は団に帰れるようになるかもしれない。どんな場合でも生きる道をしっかり見出していくべきだと思う。 松井も身体が丈夫だからと言って粗末にしてはいかんぞ、さあ 消灯だ。 休みたまえ」
二人は喜んで帰って行った。

二年後の後日、 良一 はシベリアのシモノフカ の収容所の患者輸送に、ソ連軍の軍医と共に行った時、偶然に会田と再会の機会ができた。 松井も一緒にいた。三人は 生存を喜びあった。良一の診断をした二百名の患者が 帰国できたことは知らなかった。松井と会田が良一の復員する一年前に母宛に良一の健在を知らせてくれた。 そして二人は新しい福島の湖畔にある 開拓地で再生の鍬を振るっているのだった。そして三年後に家の前で一家揃って撮った 写真を送ってくれた。 そうだ 今度こそ しっかりと幸福を把握できた二人に、 良一は心から祝福を送ったのだった。


四、空中の水

朝霧の深い朝だった。 合間合間に 軍歌の練習の兵隊の声が高く また低く流れてくる。突然に 黒い飛行機がキーンと音を立てて 天幕の上に来た。
バリバリバリバリ 機銃掃射の音がした。 良一は ちょうど幕舎の前で 洗面をしていた。「ソ連軍だ」と直感した。傍の壕の中に飛び込んだ。チーンと身体中が熱くなってきた。いよいよ 開戦か、死ぬ時が来たか、と壕の土にへばりついた。 遠のく飛行機を見つめて 良一 は 衛生兵に 医務室の移動を命じた。 大隊本部伝令が 走ってきた。
「伝令、 将校全員本部前に 集合せよ」
良一 は 馬に乗って本部までの一里の道を走らせて行った。後方からまたソ連軍の飛行機が三機、 小さく 浮かんだ。ちょうど 直線道路に出て終わっていた。「しまった」どこか 隠れる場所を探したが何もない。 野原であった。 良一は馬を林に向け 走れるだけ 飛ばした。 しかし瞬時にしてすぐ頭の上で旋回する飛行機の音を聞いた良一は馬の首にしがみついた。汗が身体中から吹き出してきた。 飛行機の音が急に強くなった。 急降下掃射と直感した。「あっ」と思う瞬間 馬から転がり落ちていた。 機銃の雨が一間ほど 横を土煙を上げて通り過ぎた。 助かった 無事で転がった。馬の耳の方が良一の感度より敏感であった。掃射の瞬間、右側に横跳びをしてくれたのだった。やっと林の中に隠れることができた。ホッとして空を見上げると二番機が急降下を始めた。 良一は一尺 ばかり太い木の根に抱きついた。バリバリバリバリ と音と共に木の葉がバラバラ 落ちてきた。 敵機は 旋回して孫呉の方に飛んで行った。 関作( 馬の名)を見るとやっぱり 木陰に隠れていた。 良一は関作のそばに駆け寄り首を抱いて感謝した。 これ以上の乗馬は危険と知った。 山陰に関作をつなぎ びっこを引きながら 本部に行った。
「今朝より ソ連軍と開戦状態に入った。 我が陣地の前方には 敵の戦車 二ヵ旅団を主力に南下している」との戦況であった。

包帯所、重症者収容所の指示を受けた。 幾重もの 敵機の扁隊が頭上を通り 孫呉の町に吸い込まれるように下っていく。 そしてガンガンガンガンガンガンと重に合う爆音の振動が響いてくる。 兵器庫から黒煙がもくもく と空いっぱいに上がってきた。 第一線の国境監視守備兵が後退してくる。重症者が運ばれてきた。包帯所は満員の患者になった。我が陣地からも 幾組もの関行爆破隊が選出され、胸に急造爆雷の箱を抱いて 前線に出ていく。戦車を防ぐのに、現在、他の方法がないのだった。

「一人一台を爆破せよ」との隊長の命令である。 
蒼白した顔で別れの言葉を言う 兵隊の顔と顔。良一の瞳は霞んでくるのだった。 そして胸がいっぱいになった。やがて全滅の時が近くなったのだった。 夜間になると空襲はなくなったが 前線からの砲弾の音はだんだんと近づいてくる。 良一の疲れた神経がますます興奮してくる。 山また山がぱっと明るくなる。青い照明弾と共に、赤い火柱がずーっと上がる。 敵はどんどんどんどん 我が 陣地を突破してくる。圧迫感が覆ってきた。
K 副官が突然に 洞窟の患者収容所に入ってきた。
「おい、軍医。 歩ける負傷兵をすぐ N下士官の指導で後退させろ。 重症者は幾名いるか」
「はい、三十二名であります。 副官と良一は後退する 負傷者を見つめていた。 やがて 副官は 衛生兵を呼んだ。
「衛生兵、重症者に手榴弾を二発ずつ渡せ」
 そして 重症者に向かって 副官は鎮痛な命令を出した。
「敵が入ってきたら一発で敵を殺せ。 後の一発は自決のだ。よいか、これが日本軍人の最後のご奉公の時なのだ。 敵は我が陣地を 包囲の直前である。今日はよく戦ってくれた。君らと今度は靖国の庭で会うぞ」
副官は静かに 良一の照らす 懐中電灯に一人一人の兵隊を見つめて歩いた。洞窟の天井からしたたれ落ちる雫を求めて 口を 開いている 負傷者もいた。 
「衛生兵、水は無いか」
 良一 はたまりかねて 井上衛生兵を呼んだ。
「軍医殿、一滴もなくなりました。水は下の谷間から汲む 以外にありません」
「そうか困ったな」
良一は傍の野砲の見習い士官の手が動いているのに気がついた。 下顎が爆雷で裂けてしまい 発声不能の状態の負傷だった。 喉でピーピーと音がしている。空中に何か 字を書いているようだ。 幾度も同じように動かしている。 確かに 字だ。良一は顔を近づけてみた。水という字らしい。
「水か、水だね」
動く手が、止んだ。 良一 は 衛生兵を呼んだ。 
「やっぱり 水だ。 井上、 最後の水だ。俺らが汲みに行こう。 炊事場にあるかもしれんぞ」
 その時、担架兵が飛び込んできた。
「軍医殿、東口は 砲弾で閉鎖されました」
「 そうか お前らはすぐ 本隊と共に後退せよ」
「 井上、歩けるのは二人になった。行こう」
 良一は水筒を三つ肩にかけて、井上と共に 洞窟を出た。 冷たい岩肌に青く 赤く 照明弾が空を覆う。やっと 炊事場で残りの水を水筒に入れて帰った時、突然患者の収容所の方向で爆発が起こった。良一 はもしや 自決 ではないかと 井上と共に飛び帰ってみた。洞窟の入り口からもうもうと砂煙が噴き出していた。やっぱり 自決してしまっていた。 水を待たずして死を選んだ戦友の顔が、崩れ落ちた土砂の間に見えた。良一と井上は一人一人を見すぶり起こして泣いた。 そして
「おい 水だ。水を汲んできたんだぞ。 しっかりせい」と幾度も幾度も呼んだ。そして自決した戦友の唇に水を流し込んだ。 
「井上 致し方ない。 友軍の後を追おう」 二人は 暗闇の谷間に下って行った。

 五、 母の手紙

薄もやの朝が来た。どんどんと燃える孫呉の街が かなたの山に隠れた。二人は ヤチボーズの湿地帯に入った。軍靴の跡が南下している。良一は 友軍の足跡と思って 
「おい、井上。友軍は近くにいるぞ。見ろ、新しい靴跡がある。日本軍の靴の跡だ」
二人の寂しさが、そうした靴跡への嬉しさに変わってきた。そして羊草(ヤンソウ)の陰で休んだ。 急に空腹を感じて背嚢から乾パンを出して食べた。 近くでかすかに、うなるような声がする。井上は 付近のヤチボースの間を見て回った 窪地から 井上の声がした。
「軍医殿、若い女が死にかかっていますぜ。満人らしいです」
 良一 も驚いて飛んで行ってみた。
「どこやられている」
「どうも 足らしいです。 出血多量で参っているらしいです」
「脈はどうか」
「弱いが不整脈ではないようです」
 良一 も静かに脈を見た。 そして 瞳孔反応を見ながら 
「ピタカン 五CC 注射してみるか」
「満人にですか」
「そうさ、 戦争の犠牲者だよ」 
良一は背嚢から薬品入れを出した。 アンプルは破れていなかった。止血剤と強心剤を注射した。 脈がだんだんと充実してきた。
「友軍の方向を知ってるかもしれないでな」
口を開けて メンタ酒( 気付け薬)を流し込んだ。満人はしばらくして 細く 目を開いた。そして、その目から涙が流れ落ちた。
「おい、しっかりしろ。 大丈夫だぞ」
 井上は頭を上げて 呼んでみた。
「ありがとう」 日本語が女の口から出た。二人は驚いた。
「お前、日本人か、どこから来たのだ」
 懐かしさと 哀れさを込めて聞いた。二人に満人服の女は首を横に振った。 そしてまた目を閉じてしまった。 やがて顔に紅潮が現れてきた。 その瞳は憎悪の表情に変わってきた。
「私は朝鮮人だよ、日本人のために こんな苦しい 悲しい姿になった。 私を助けて まだ辱めるのか。 バカ バカ なぜ殺さないのだ!」
立派な日本語であった。良一は無表情に、出血する右足の大腿部を消毒して、包帯をしてやった。 そして 
「友軍の行った方向を教えろ」 痛みと苦しみに耐える 朝鮮婦人を見つめた。良一は 背嚢から先ほどの 食べ残りの乾パンを出した。 紙を探したか紙らしいものがない。上着から一週間前に来た母の手紙が入っていたその一枚を取って 乾パンを包んで 婦人の腰の上に置いた。婦人は右側の湿地帯を指差した。 そして止血した右大腿部を抱いていた。 
「このくらいの傷じゃあ 心配ない。うまく逃げてくれ。さ、井上 行こう」
良一は少しでも早く友軍に追いつきたかった。ソ連軍の飛行機が南へ南へと 頭上をかすめて通っていく。 その度ごとに ヤチボーズの根に隠れた。そうした 行軍が数日続いた。ある日の午後、行く手に薄い煙を見つけた。人がいるらしい。 友軍かソ連軍か二人は警戒しながら近づいていった。 知らない 開拓団のようだった。老人が破れた屋根に登って、赤十字の旗を広げていた。 良一 は 井上と共に飛び出した。良一は大声で 
「おじさん、こっちに病院があるんですか」 と聞いた。
「怪我人かね」
老人は困った顔で 屋根から見下ろした。 
「自分は 軍医です。戦況を知りたいのです」 
「戦争かね…まだ終戦を知らんな。一昨日、 日本は 無条件降伏で、私らでさえこれから先どうしていいのか。女と子供 負傷人ばかりじゃ、 明日がわからねえや。 畜生、また来やがった」
 老人は素早く 屋根から降りてきた。 彼方にソ連軍の編隊の飛行機が浮かんだ。老人と共に 良一も井上も木の陰に隠れた。老人は隠れながら語りだした。
「食う米も底がついてきたし、それに満人が来て何でもかんでも 皆持って行ってしまう。手出しした連中は皆殺されるそう。そして 三人の看護婦さんがよく 負傷人の面倒を見ていてくれやす」 
「そうですか、 おじいさん。 じゃあ一寸 看護師さんに合わせてください。 自分らはすぐ友軍の後を追いますから」 
老人は良一と井上を宿舎に案内していった。 機銃の穴だらけの天井に雨よけの板が並んでいた。 生臭い空気が部屋に満ちていた。相当に負傷者はいるなと思いつつ 静かに目礼して
「自分は六〇六 部隊第三大隊附 軍医ですが、 看護婦は誰でしょうか」
奥から飛び出してきた人がいた。
「やっぱり関崎軍医殿だ。佐藤です、 北安から孫呉に一月前に来たのです。すぐ声で分かりましたわ」
ボロボロと涙を流した。そして膝をついて被っていた手ぬぐいを取って 涙をふいた。 佐藤看護婦の頭は、虎刈りに根元から刈り取られていた。良一は、この生きるための悲壮な姿に目が熱くなった。 
「無事でよかった、よかった。 外の二名は誰なのか」
「大野さんと小川さんです。ハルピンから一緒に孫呉に来たばかりだったんです。 向こうの宿舎で負傷者の手当てをしておりますわ。すぐ呼んできます」 
佐藤は湧き出る涙をふきもせず、隣の宿舎に飛んで行った。 
「おじさん どうしてこんなに 負傷者があるんです」 
「お医者さん、ソ連軍の飛行機の機銃でやられたんですよ、その向こうの窪地にゃ五十名ばかりの仏が眠っていやすよ」
老人は窓の外を指して 窪地を示した。良一と井上は全く呼吸の止まるほどであった。折り重なって死んでいる間に、女の子供が赤い箸を確りと握りしめたまま死んでいる姿に、良一の瞳から涙が流れた。井上も自分の子供を思い出したのであろう。
「子供が、子供が」と言いながら泣いていた。老人の無残な話を聞いていると、三人の看護婦が走ってきた。 
「関崎軍医殿、御無事で」
「ありがとう、君らも無事で何よりだ」
見つめ合う姿に、今日までの苦難が偲ばれた。宿舎に入って 今日までの 概略を話し合った。戦死した人を言って悲しみ、生きる人を聞いて喜びあった。やがて 良一 は長い時間に気がついた。 
「さあ、君らの仕事が待っている。 早く 看護してやってくれ。 自分らはこれから友軍のいるとこまで行ってみる」
小川は首を振って、
「軍医殿、ここから出るとすぐ危険です。道路にはソ連軍の歩哨(監視)がおります。北安市もハルピン市もソ連軍が入っているようです。 ここで私らと一緒に 負傷者の治療をしてください。団長さんの奥さんに私 すぐ話して お願いしてきます」
小川は宿舎を出て行った。老人がお茶を入れてきた。 良一と井上は幾日ぶりでのお茶になどを潤した。
「井上 どうする」
「はい 軍医殿と一緒なら」二人は ここの団に着いた 安心から歩く 気分はなくなっていた。小柄な細面な奥さんが 小川と共に入ってきた。関崎は立って
「お世話様になっております。 関崎と井上です」
「私 松原です。小川さんにお聞きしました。何分にも負傷者が多いので、ぜひお願いいたします。そうしていただければ本当に心強くなりますものね」
「ありがとうございます。御厄介になろうと決めました。奥さん団長さんはどうされました」 
「九日の朝、あの山の陣地に 皆 引き出され、まだ一人も帰ってきておりません」
「あの山と言うと」 良一は地平線の彼方に浮かぶK陣地を指して聞いた。
「自分もK陣地におりましたんですが」
 良一 はふと不吉のことを思い浮かべた。 まさかこの団の団長さんが、あの洞窟で自決した戦友のうちにいたのかもしれないと思うと 良一の胸は苦しむのだった。 
「どんな 戦闘でしたの」
「敵に包囲されて、皆、激戦でやっと 後退した状態でした」 
「多数 戦死 されたんでしょうにね」 諦め顔で言う 奥さんに、良一は生き延びた自分が恥ずかしかった。副官に聞いた わが軍の戦死は約八百人を思い出した。
「本当に霧が深く 敵の侵入が意外にも早く数知れずの戦車だったので約八百人ほど 戦死したそうです」
「そうですか 関崎さんも大変だったんですね。これから ここを しっかりお願いしますよ」
と言って出て行った。良一と井上は重症者を診て廻った。 
そして毎日懸命に治療を 継続したのだった。 

十一月の 初め頃より寒さは一日一日と 強くなってきた。負傷者もだいぶ 元気になり、男の団員も ぼつぼつと帰ってきた。 
在満の いくつもかの開拓団の全滅の悲報が伝わってきた。寒さと食糧の欠乏に、皆不安な毎日が続いた。八路軍(中国共産党軍)とソ連軍が「日本軍人はいないか」と調査に来た。良一と井上は天井裏に隠れて、ソ連軍の引き上げるのを待った。兵器を持っていることは 禁止されどんな兵器でも全部出すよう命令された。皆、移動のないことを知り 冬越しの準備を始めた。破れた宿舎をどうにか 冬越しのできるように改築し始めた。八路軍が二ヶ月くらい 交代で警備に来てくれるようになった。 雪が降る国境の 激寒がやってきた。その寒さに誰しも 南下して街に行ってみたい気持ちでいっぱいだった。 交代の八路軍の来るたびに、皆で寝具の心配をしてやらなければならなかった。 残り少ない 衣類から一枚二枚と少なくなっていくのだった。

そして日本に帰るまで 何としても 生きて帰ることを考えるのだった。 財産が奪われ、生命に危険がある現在、日本人は民族の誇りも忘れて右往左往している。ただ自分一人だけが生き残りたいと言う。浅ましい姿だけである。

体力のあるものは ここからの脱走を計画した。海の近くまで行く道を考えていた。それだけ 警備の厳重のの生活に何か 警備兵が混乱する事件がない限り 不可能のことを知った。 若い木川と山下は敷き布で みんなが寝静まった頃、こっそりと擬装服を作って機会を待っていた。井上衛生兵が倒壊した開拓団本部を掘って、木材を集め薪を作っていた。
その建物の地下に 弾薬倉庫のあることを発見した。その晩に みんなに 弾薬の処置を話した。今まで、何回も調査され、開拓団の弾薬はないことになっていた。
今から 出すわけにいかない。困った。と相談し合った。
ある吹雪の晩だった。突然に、その弾薬庫が爆発を起こした。良一は 宿舎のものを避難させた。八路軍はすぐ 厳重な警戒網を作っていた。 良一 は爆弾の静まった倉庫の近くに行ってみた。すると、すぐ近くに擬装服を着た木川と山下が砲弾の破片で死んでいた。
「馬鹿者、 お前たちだけが日本に帰りたいのではないんだぞ。 早まったことをした。 なぜ火をつけたのだ」 良一は冷たい二人を抱き起こした。火をつけて、騒ぎを利用して脱走する計画だったのであろう。しかし 弾薬はあまり 火の周りが早く、 途中まで逃げてはみたが 砲弾の破片で頭部を射抜かれたのだった。良一は背後に雪を踏む いくつもの 音を聞いた。 そして良一を包囲する八路軍の銃口が光ったのだった。八路軍の隊長の怒号する命令が耳に響いた。男の成年者は全員 農具倉庫に 入れられた。 カチカチに凍った倉庫の土に手足は凍える寒さなのだ。 
「明朝までに 首謀者を出さなければ全員 銃殺だ」
と言った冷静な隊長の顔が浮かんでくる。 
誤解だ。こんなことが… 解ってくれない… 寒さが痛いように 骨身にしみいる。しびれたような手足の感度が失われてきたのだった。良一は 何としても ここに入れられた者を助ける道を考えた。

このままだと明朝までに凍死するかもしれない。真実を話す以外に道はないのだ。 
「おい、歩哨、戸を開けろ。隊長に会わせろ」 
良一は どんどんと戸を打った。井上は驚いて
「軍医殿、待ってください。私も一緒に行きます」 
「俺一人の方がいい」 
良一は固い決心をした。吹雪は止んで月が白い。宿舎の上に輝いていた。良一は 歩哨と共に八路軍の宿舎に行った。ちょうど隊長を囲んで 四、五名で話をしていた。新しい政治工作員のようだ。良一は入り口に立たされた。ランプの光に照らされて、良一は中央にいる 隊長の顔をじっと見つめた。
右側にいた通訳が
「おい、名前は」 
「関崎良一」
「部隊名は」
「満州六〇六 部隊 第三大隊 附属 軍医少尉」
「八路軍がいかに弾薬が必要なのかを知っているか」
「知っている」
隊長の顔は 怒張して赤くなった。 そして怒声に変わった。国府軍(国民革命軍)がどんどんと 北上している現状なのだ。
「知っていて、なぜ爆発させたのだ。中国の解放軍は一発も無駄弾は 打たないのだぞ」 
良一は無言のままだった。そばの工作員が隊長に変わって 質問を始めた。 
「なぜこの団に来たのか」 
「K陣地から 友軍の後を追ってきた。途中で迷って この団に来た」
「現在の仕事は」
「病人の診断と治療だ」 
「死んだ二名はお前が命令してやったのか」 
「そうではない。南下して町のあるところに行き、そして日本に帰る機会を作るためだと思う」
 聞いていた若い工作員が、突然に日本語で質問を始めた。
「お前は良一と言うか」 
「自分は関崎良一だ」 
「良一、 そうだ」
 突然に隊長に何やら満語で話し始めた。 そして 良一の方向を向いて 
「孫呉の山の下で、女の朝鮮人を助けたことがあるか」 
「あるような、記憶もある」 
「そうか 待っていろ」 
と言って、部屋から出て行った。一刻して戸が開いた。前の工作員と女性の将校が入ってきた。隊長に敬礼して、他のものに微笑みを送った。そして良一の顔を見つめた。静かに口を開いた。 
「君は関崎良一軍医か」 
「関崎良一 だが」
「私はあの湿地帯で助けられた崔です」 
良一の記憶には泥まみれの朝鮮人の姿が浮かんできた。 
「乾パンを包んでくれた、お母さんの便り ここにありますよ」 
崔部員は 物入れから紙を出して、その中から包んだ手紙を 良一の手に渡した。 折りたたまれて、擦れてはいても母の手紙の一枚だった。良一は ランプの光に向けて広げた。
 

 年はとっても、まだまだ元気です。 良一が帰るまで どんな苦しいことでも耐えています。
 それが 母の生きる唯一の望みです。 前日の小包 着いたでしょうか。
 小川さんという人から 良一が元気で 国境に行ったと便りがありました。
 また良一の好きなものを送りましょう。 腹巻をして腹を冷やさないようにしてください。

  良一 へ   母より 

良一の瞳は ぼーっとして 母の顔が浮かんできた。
孫呉でもらった母からの最後の手紙であった。崔部員は にっこりと微笑んで 
「関崎さん いいお母さんですね。私にも関崎さんのようなお母さんが元山におります。 私の十八の春、元山の女学校四年生の時、徴用で引き出されました。 日本軍人は権力と暴力で私の一生涯を踏みにじったのです。そして孫呉の慰安所に連れてきたのです。あの苦しみから一年になります。幾度も死のうと思ったか分かりません。その時、母が瞳に浮かぶんです。私は一目、母に会うまでと希望を持って 現在まで生きてきたのです。関崎さんたちのことは 私が何とか心配いたします。助けられた御恩返しです」 
崔部員は 達者な満語で隊長に話した。 
「関崎さん あなた方は 明朝、シベリア送りだそうです」 
「やっぱり シベリアですか。 覚悟はしております」
「日本軍人だけはソ連軍に渡して シベリア送りだそうです。いかなる社会においても真実に生きる心さえ 失わなければ、きっと近い間に日本に帰ることができます。今晩は、皆 寄舎に帰って休んでいいそうです」
そして 崔部員は隊長の許可を得て、倉庫まで一緒に歩いた。 良一は感謝の念でいっぱいだった。凍った大空に、いっぱい 星が輝いていた。その中の大きな星がきらきらと北の空に流れていった。星の行方を見つめた良一は 
「おい、皆、宿舎に帰っていいそうだ。元気を出せよ」 
「そうか、ありがとう」 
みんなで 良一の手を握り合った。良一 は患者のいる宿舎に行った。まだランプの明かりがついている。窓辺に 松原さんと小川看護婦が、古い毛糸の編み直しをしていた。
「こんばんは」
良一はノックした。 驚いた二人はランプを持って 戸口に来た。 
「関崎です。今やっと解放されました」 
「さ、どうぞ。お入りください。寒かったでしょう」
 良一は手をこすりながら部屋に入った。 
「自分らは内地に引き上げるまで、 奥さんらと一緒にいたかった。しかし、やっぱり旧軍人を警戒しております。明朝、お別れだそうです」 
松原 はびっくりして
「お別れって、どこへ行かされるんですか」 
「ソ連軍に渡され、シベリア送りだそうです」
小川が涙を瞳に溜めた。
「軍医殿が行ってしまえば、患者が困るんじゃないですか」 
「なに、もう皆、回復に向かっている人ばかり。 君らで充分に治療ができる。そして一日も早く皆さんと共に日本に帰ってくれ」
小川は傍で休んでいる佐藤と大野を起こした。 
「佐藤さん 大野さん 大変よ、起きて」
驚いた二人は、関崎から突然に別れの言葉を聞いた。佐藤は良一に訴えた。 
「やっぱり私らは日本に帰ることはできないわ。私らも一緒に連れて行ってください」 
良一は首を横に振った。 
「そんな弱い君らじゃあなかった。 君らがしっかりこの団の人々を守り、引き上げねばならない。それが現在の君らの使命なのだ。分かったね。自分は今ここに来るとき、こんな 詩が浮かんできましたよ」
良一はペンを借りて 書き出した。

 凍る夜空にきらきらと 別れの星は流れ行く 
 運命は遠く シベリアへ  同じ思いの 流れ星
 友よ、強く、健やかに 忍んでくれよ 耐えてくれ 
 熱い心で看護せば 生きる希望が湧いてくる 
 東の空よ、故郷よ  恋しい母の面影を 
 胸に抱きて会う日まで  きっと 忘れず生き貫こう

「さ、できたよ。 自分が君らにお願いする思いを込めたのだよ。 私らを思い出したら歌ってくれ。 明朝の準備があるからお休みしなさい」
良一は逃げるように自分の宿舎に帰った。 
私物の整理をして背嚢(はいのう)に入れた。
また未知の抑留生活が始まるのだった。

七時。 旧軍人 二十七名が呼び出された。 別れの朝は横なぐりの粉雪が降っていた。 良一は 宿舎にも別れの言葉を言った。崔部員も一緒に門の出口まで送ってくれた。 良一 は崔部員をじっと見つめた。 
「崔さん、後に残った者は弱い者です。 力になって、そして一日も早く、日本に帰る便宜を計ってください」
三人の看護婦に向かって 良一は 
「小川も 佐藤も 大野も、崔さんにお願いした。しっかり頑張ってくれ。 日本に帰ってくれ」 
「関崎さん、私がここにいる限り 心配ないわ。きっと 皆さんを日本にお送りいたします」
八路軍にせき立てられて、トラックに乗った。そして駅に向かって吹雪の中に消えて行ったのだった。 

小川看護婦のその後 
昭和二十二年 春 
窓のガラスの氷が溶け始め、北満の国境地にも春の訪れを感じられた。
その頃、残った小川は開拓団の人々がハルピンまで南下する情報を崔部員から聞いた。それが 帰国の第一歩であった。そして、幾日もかかってハルピンに着いたのだった。各地から集まった日本人でいっぱいだった。 

その当時、中共軍(中国共産党軍)と国府軍(国民革命軍)の決戦が各地で行われていた。中共軍の損害も大きく、特に医療方面の人材が不足をきたしていた。 そして日本人で昔、医療方面に関係したものは登録された。そして小川も 崔部員を隊長にして 看護隊ができ、林将軍の第一線の看護隊に入れられた。
国府軍を追って南下する 林軍は、強行軍を続け 熱河省に出た。そして長城を超えて四平街の決戦が国府軍主力の最後の戦であった。
中共軍も 二カ師団 全滅の状態であった。そして退却する国府軍を休む暇なく追撃したのであった。
看護婦は懸命に 本隊の後について南下していった。そして長城を超える時は夜だった。
後に、これが万里の長城と知ったのだった。