見出し画像

鬼を滅した豆を撒かなくていい一族から鬼退治の徒然

フィールドを毎瞬、色とりどりにクリエイトする皆さま、こんにちは。

今回は、浮世絵が楽しめる「太田記念美術館」の記事からの、「鬼を滅した、豆を撒かなくていい一族」の徒然です。


(太田記念美術館noteより)


先日、イケメン浮世絵の企画があって楽しんで来た「太田記念美術館」のnoteへの記事に、

鬼を倒す浮世絵の紹介がありました。

(ちなみに、江戸のイケメン祭り「MEN 和装男子」の企画は、オンラインで鑑賞可能です!)


「みんなで力を合わせて悪い鬼を倒そうというお話。」

https://otakinen-museum.note.jp/n/n15c8a9c9e93c

とても、わかりやすくて、面白い紹介をしてくれていました^ ^


このお話の中で、鬼を倒す4人のメンバーの中には、あの日本昔ばなしを飾る

「金太郎」こと坂田金時(さかたのきんとき)も居て、

主君と、鬼退治に行くのですが、

その中に「渡辺綱(渡邉綱)」(わたなべのつな)

という人も、居ます。

(皆、実在の人物です^ ^)

今でいうと、まさに鬼滅の刃の中の

鬼殺隊や、柱になります。

漫画のキャラクターで言うと、誰が誰に相応するでしょう。。。^ ^



源頼光と共に4人組は、

「女をさらい、悪行を重ねる鬼」
を倒しに行きます。

「鬼」というのは、厄災の象徴ともされていますが、

当時は、追いはぎ、盗賊、山賊などの、

盗み、誘拐し、人殺しをする者たちも指したため、

それらに対峙、退治した
渡邉綱達は非常に人々に感謝されました。

そして、「鬼を滅した人」であることから、

それ以降、子々孫々まで、

「鬼をはらうための、豆まきはしなくていい」

とされ、代々それが継がれているそうです
(・Д・)

そして、人生とは生きていれば不思議なことや面白いことがあるものだと思っていたのですが、

なんと、この話を知ったきっかけが、
この渡邉綱の末裔の人との偶然のご縁だったのです。


知り合ってから一年以上たって、節分を迎えた時の話題で、

大変なことが多いから
豆は撒いといた方がいいんじゃない、と、

冗談で言うと、

ウチは豆は撒かなくていい家系なんだ、と言うので、更にからかうと、
ネットを開いて、綱のことを見せてくれて教えてくれたのでした。。。

ご先祖様だそうで。。。( ゚д゚)

今の時代だったら、鬼滅の刃のブームで、
時の人だったのに…笑


かなり疑ったのですが、名前も同じだし、
まあ、ほんとなのか、と最終、納得したのですが、
主君の側で仕えた
「鬼殺隊」の末裔というだけあって、

それはユニークな人脈の持ち主で、
世が世なら、為政者と共に鬼を滅したであろう人でした^ ^

ガタイも大きかったので、なるほど、と
末裔の知人を見るのも、タイムトラベルをしているみたいで面白かったです^ ^


そして、ご縁とはまたまた不思議なもので、
その綱の子孫と知り合ってから、

調べものをしていて偶然に知ったのが、

「四面塔稲荷大明神」。

追いはぎ、辻斬りなどが多数出没し、
あまりに人が大勢殺されるため、村人が集まり、お寺の上人に依頼し、供養し、
日蓮聖人のお経を書いた石塔を建てたところ、

霊験もあらたかに

そこでの殺人が収まったというのです。



<四面塔尊の由来>
享保の頃(徳川幕府八代将軍吉宗の頃)
高田雑司ヶ谷と板橋を結ぶ街道と
礫川と東長崎を結ぶ街道の四ツ辻付近(現在の西武線池袋駅東口)は、
夕方になると追いはぎや辻斬りが出没し、夜はその難を逃れるため通行する人が途絶えました。
 享保六年の夏、一晩で17名の辻斬り残骸があり、この不祥事を憂いて池袋村民有志64人が、
雑司ヶ谷鬼子母神威光山法明寺 第22世日祖上人に供養をお願いし、享保6年9月、法華経のお題目を刻した石塔を建立して無縁仏の霊冥福を供養しました。
正面にはお題目、
右側面には、北の方板ばしみち、
左側面には、南方高田雑司ヶ谷道が記され、道しるべとしても使われました。
霊験あらたかなこの塔は四面塔尊と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消されました。
池袋四面塔尊奉賛会


第22世日祖上人が、村の有志から依頼を受け、日蓮聖人のお題目の「南無妙法蓮華経」を彫った石塔を建て、
供養したことでこの場所の追いはぎや辻斬りがなくなったそうです。

その石塔がある、と、たまたま検索していたネットでここを知り、それが当時いつも通う場所の目と鼻の先だったことにも驚き、
おまいりさせていただいたことでした。


ここは、四面塔稲荷大明神というお稲荷様と、石塔を祀る場所で、
池袋東口を左、PARCO前を通り過ぎるとすぐ横に位置します。

これだけの街のど真ん中に、、、。


これだけ賑わう場所にあり、

ただ、今は華やかに楽しい街も、かつては人が大勢命を奪われるような凄惨な土地だったものが

村人達の祈りや上人様のおかげで、清められ、生まれかわったことは、すごいことだと思いました。


行ってみて感じたのは、

パワースポット、という観光巡りのような場所ではなく祈りと鎮魂の場所で、
人の心や場所に巣食う鬼、心の隙間に魔がさすようなエネルギーとの強い決別と、
祈りの意思の場所、

そんな所でした。


漫画、アニメの鬼滅の刃では、

「許せるものではないが、

鬼の道に入るものにも、憐れむべきものがある」

というような、成仏させるような心の寄せ方も描いていました。

ここで善悪を問うつもりもありませんが、

悲しみを弄ぶものを自らは遠ざけて生きていきたいものだと思いました。


そしてここでは、今なお、悼む思いと、祈ることの力と、
それを支えて護る強い意志の力を感じさせてもらいました。

感謝。


取りとめのない、鬼退治の徒然でした。



そういえば、

このシリーズがあまりに可愛らしくて、
即買いしてしまった

「出前一丁」ならぬ
「鬼滅一丁」。。。

ユーモアと可愛らしさに、煩悩を入り口に釣り上げられ、財布の紐も緩んでしまっているので、

自ら煩悩を滅したいところです。。。




今回も、おつきあいいただきまして、ありがとうございました。


皆さまにとって、今日も楽しい一日でありますように。


戸張碧月

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?