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まるで“逃げ恥”みたいな里帰り出産は、切なくも尊かった。

2021年のお正月。
出産予定日まであと2週間の私は、実家で逃げ恥スペシャルを観ていた。

コロナ禍で初めての子育てに奮闘する、みくりちゃんと平匡さん。私は、自分たち夫婦を自然と重ね合わせていた。
逃げ恥はドラマだ。
けれど、これは世の中のリアルだと思った。

私たちは、人に話すと「リアル逃げ恥みたい」と言われるような産前産後を過ごしてきたと思う。それはたくさんの我慢と切なさと、そして尊さのかたまりだった。


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私の妊娠が分かったのは、みくりちゃんが子育てをスタートした頃=コロナ禍に突入した頃だった。

それがどれくらい怖いものなのか、どこまで気を付けるべきなのか分からず、食材の入ったビニール袋も洗剤で洗うみくりちゃん。ドラマではその後、平匡さんと離れて赤ちゃんと共に実家へ帰ることを、みくりちゃんは涙ながらに決断する。
私自身も、悩みに悩み、里帰り出産を決断をしたときのことを思い出して、このシーンは胸がギュッとなった。

“もし里帰り中に緊急事態宣言が出たら、産まれる我が子と夫が会うこともできなくなるかもしれない。”

そんな可能性もあることを考えると、どこで産むか簡単に決めることはできなかった。
夫婦と両親で何度も話し合いを重ね、ときには言い合いになり、「実家に帰ろう」と心が決まったのは、産休に入るわずか1ヶ月前のことだった。

里帰りするにあたって、私たちはいくつかのルールを決めた。

・里帰り中に会う回数は最低限に留める。
※出産後は、退院時と実家から自宅に帰るときの2回のみ。

・夫はできる限り不要不急の外出と人との接触を避ける。

・私の実家への帰省時は、自費で3万円かけてPCR検査を受け、陰性を確認する。


初めておなかに宿った、愛する人との我が子。

陣痛中も、赤ちゃん誕生の瞬間も、一番隣にいてほしい夫は遠く離れたところにいる。
仕方のないことだけれど、やはりそれは想像するだけで悲しかった。


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逃げ恥を観た約1週間後、予定日より1週間ほど早く陣痛がきた。

立ち合いもなく、たった1人で臨んだ初めての出産は、繰り返す未知の痛みと恐怖の連続だった。
途中で赤ちゃんの心拍が弱まり、私も意識が遠のいて酸素マスクをした。正直、終盤はあまり覚えていない。
けれど、誕生の瞬間は鮮明に残った。
先生が赤ちゃんを抱き上げた途端、大きな大きな産声が部屋中に響いた。

「おめでとうございます。赤ちゃんとっても元気ですよ!」

助産師さんが、寝ている私の胸に我が子を乗せた。温かくフニャッとした小さなものが突然きて、おそるおそる抱きしめてみた。

このときの感動を、私はきっと一生忘れない。

胸の奥が熱いものでいっぱいになり、今まで味わったことがないほど強くて大きな感情の波が押し寄せて、自分の胸には抱えきれなかった。
我が子と一緒に、気がつくと私も声を出して泣いていた。

“産むの怖い”
“自分なんかが親になれるんだろうか”


今までずっと、そんな不安の中にいた。
けれど、出産を乗り越えた先にあったのは、ただ我が子の幸せを願う気持ちと、静かに湧いてきた覚悟だった。

“どうかこの子の歩む道が、たくさんの幸せで溢れていますように”

この瞬間、私はもう親になっていたんだと思う。

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“退院したら、やっと会えるんだ”

立ち合いも面会もできず、感動の瞬間を夫と共に味わえなかったのは本当に残念だったが、とにかく会える日を楽しみに入院生活を乗り越えようと思っていた。

けれど、産後2日目。
恐れていた緊急事態宣言が発令された。

夫の住む土地も対象だった。
地方である私の里帰り先は、都心部以上に警戒心が強い。
産院はもちろん、私の両親にも仕事柄厳しい行動規定が出され、県外居住者との接触は原則禁止となった。

夫は産院に立ち入ることも、私の両親に会うこともできなくなってしまったのだ。

ということは、つまり、夫と娘を会わせる場所がないということだ。

産まれたての娘を連れてホテルに1泊しようなんてことも、カフェでちょっと会いましょうなんてことも、できるはずがない。
産院でも会えない。
実家でも会えない。

途方に暮れた。
出産のダメージでただでさえボロボロの状況の中で、このダメージは本当に大きかった。
あんなに頑張ったのに、なんで…?と思わずにはいられなかった。

まだ生まれて数日の娘は、どんどん顔が変わっていく。もう既に、私が初めて対面したときの娘ではない。正直戸惑った。

“こんなに早く、大きくなっちゃうんだ”

この宣言はきっと長くなる。もし退院の日に会えなかったら、次はいつ会えるんだろう?
最低でも1ヵ月検診が終わるまでは帰れないし、自分の産後の肥立ちもどうなるか分からない…。
今目の前にいる、この産まれたてでフニャフニャの我が子を、父である夫が抱くこともできないの…?本当にどうしようもないの?

グルグルとずっと、そんなことを考えていた。

退院したら実家で1週間一緒に過ごすという、当初思い描いていたようなことは高望みしない。

だからせめて、ほんのひと時だけでも良い。
夫と娘を会わせたい。今のこの子を抱かせてあげたい。

私たち夫婦にとってはじめての我が子なんだ。
一生に一度かもしれないんだ。

私は、諦めきれなかった。

緊急事態宣言が発令されるかなり前から夫はリモート勤務で、平日も休日も人と全く会わず、外出もせず、徹底して感染対策をしてくれていた。
リスクは最低限にできている。
もちろんPCR検査も受けるつもりでいる。
だから余計に、会うことを諦めるのはつらかった。

私は反対されるのを覚悟で、会える方法を探した。

父、母、助産師さん、看護師さん。
理解を得るしかない人たちに素直な想いを伝え、迷惑をかけずに済むよう、いろんな形を提案してみた。

人から見ればただの我がままだったかもしれない。けれど、我が子を夫に会わせたいという想いは、私にとって本能的なものだった。


そして、私と娘だけが夫と接触することのできる方法に辿り着いた。

産院近くの駐車場に、父の車を停めてもらう。

父にしばらくの間、外で時間を潰してもらう。

その間に車の中で夫と対面する。

夫が帰ったら父に連絡し車に戻ってきてもらう。

父に待っていてもらうこと、まだ娘が生後1週間であることを考えると、親子3人で一緒に過ごせるのは長くても1時間。

でも、会えることそのものに大きな意味があった。

これから同じときをいくらでも共に過ごせるとしても、「今」会うことは何にも変えられない気がしたのだ。

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待ちに待った退院当日。

我が子を抱いて、初めて外に出た。
綺麗な空だった。
娘が浴びる、初めての太陽。
この日が晴れで本当に良かったと思う。

迎えに来てくれた父が、荷物を運び、私と娘を駐車場まで連れて行ってくれた。

「ゆっくり話しておいで。」

そう言ってすぐに行ってしまった。
優しい父は私と夫に気を遣ってくれたのか、それとも急いでくれたのか、まだ孫を抱こうとはしなかった。
ごめんねお父さん、ありがとう…。

私は車に乗り夫を待った。

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間もなく、夫の乗ったタクシーが駐車場の前に停まった。私は車から出て、まだ慣れない手つきで娘を抱き、夫の元に駆け寄った。

「うわ〜ちっちゃい…」

初めて我が子を見て、目を細めながら呟く夫。

あぁ、会えて良かったんだ。
と確信した。

本当は、自分の判断がこれで良かったのか少し不安があったけれど、これで良かったのだと思えた。

私の夫は、子供が苦手だ。お子さんが産まれた友達に「抱っこしてみて」と言われても頑なに拒むくらい苦手だ。

でも、苦手=嫌いということではない。

どうしてそんなに抱っこするのが嫌なのか聴いてみたとき、夫は言った。
「うーん、なんか自分が怪獣で、赤ちゃんが小鳥みたいな感じがするんだよね。小さくてか弱くて、自分なんかが抱いたら壊れてしまうんじゃないかって思えて、触れるのが怖いんだ。」
と。

優しい夫らしいなぁと思ったのを覚えている。

車に戻って、いよいよ夫の抱っこタイム。
夫はもちろん、私もドキドキだ。

本当に怖がっていたので、夫には娘を下から抱き止める形で腕を固定しておいてもらい、そこに私が娘を寝かせるというスタイルをとった。

そーっと娘を渡すと、夫はカチカチに固まった腕と手のひらで娘の感触を感じていた。
抱いているというよりは、乗っかっているという表現のほうが合っているかもしれない。笑
夫の手を触ってみたら、ものすごく冷や汗をかいていて笑ってしまった。

娘はほとんど寝かけていて、ゆっくり瞬きしたり、時々白目になったりしながら、夫に見つめられていた。

「我が子ってこんなに可愛いんだなぁ。知らなかった。」

夫がそう言って、ほんとだね、と私も言った。

私たち、2人で親になったんだなと思った。

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時が過ぎるのは早いもので、気付いたら1時間近くが経っていた。

思っていた以上に名残惜しい。
次に会えるのは、何ヶ月か先になるのかな…。
この子は、会えない間にどんなに大きくなるのかな。

“じゃあそろそろ”と切り出すのが、お互い本当につらかった。

でも、行かねば。

夫が呼んだタクシーが到着し、私たちは駐車場で家族写真を撮ることにした。

断られたらどうしようと思いながら、運転手さんに撮影をお願いしてみると、思わぬ反応だった。

「わ〜これはこれはおめでとうございます。僕なんかが、こんな大事な写真撮って良いんですか…?」

その優しい言葉は、肩身の狭い思いでひっそりと過ごしていた私の心を、じんわりと温めてくれた。

“あぁ、おめでとうございますって、病院以外で初めて言われたなぁ”と私は気づいた。
“今、私たちはおめでたいのだ”とやっと思えて、本当にありがたかった。

「運転手さんしかいないんです…お願いします。ほんの数枚で大丈夫なので…!」

そう言うと、少し戸惑いつつも優しい笑顔で引き受けてくださった。

背景はブロック塀。
でも、良いんだ。
これが私たちの初めての家族写真。

「はい、いきますよ〜。」
カシャッ。
「はい、チーズ」とかではなかったので、タイミングが難しかったけれど、いつ撮られても良いようにずっと笑顔をキープしてみた。
隣を見たら、夫もずっと笑っていた。

良い写真だった。
何も整ったシチュエーションではないけれど、とても私たちらしい。2人とも笑顔で、娘の顔もちょこんと見えてる。
私たち家族がここからはじまったんだと、きっといつか思える写真だ。

(運転手さん、ありがとう。ありがとう。本当にありがとう。あなたのおかげで、一生に一度の宝物ができました。この文章がもしあなたに届いたら、お礼をしたいので教えてください。)

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タクシーに乗り込む前に、心残りはないか夫に聴いてみた。返ってきたのは

「心残りはあるけど、ここではなくならないなぁ。笑」
という素直な言葉だった。

「そうだよね…いっぱい写真と動画撮って、毎日送るからね。」
私にはそう言うことしかできなかった。
夫の乗ったタクシーを、私は娘を抱きしめながら、見えなくなるまで見送った。
“抱っこしていたら手を振れないんだな”とふと思ったけれど、1人じゃなかったので、悲しくはなかった。


緊急事態宣言は、思った以上に長引いた。
夫と次に会えたのは、その日から2ヶ月半が経ってからのことだった。

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私たちの出産エピソードは、だいたい人に話すと「大変だったね…。」「つらかったね…。」と言われる。
時期も近かったので、「逃げ恥みたい」とか「逃げ恥よりすごい」などと言われることもあった。

夫は新生児の娘にあの日の1時間しか会えなかったし、一緒に沐浴もできなかったし、へその緒が取れるのも見ていない。確かに、たくさんのもどかしさと、我慢と、切なさがあった。

けれど、1人で臨んだ出産も、家族3人で会ったわずかな1時間も、両親と過ごした長い里帰り期間も、とても尊くて美しいものだと私は感じる。

今ある切なさも、もどかしさも、いつかの私には、きっと全てが愛おしい。
そう思えたらどんな日々も宝物になることを、娘が教えてくれた。

あんなに小さくてフニャフニャだった娘は、もうすぐ9ヶ月になる。ハイハイとつかまり立ちをするようになって、目が離せない毎日だ。

よく泣くこの子のおかげで日々睡眠不足だし、答えのない子育てに悩むこともたくさんある。
でも、大丈夫。今が尊いことを、私は知っているから。
今日も明日も、娘を思いっきり抱きしめて、思いっきり遊んで、愛しい日々を積み重ねていくのだ。

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