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想定外の結果は「失敗」ではなく「新たな入口」。

人は皆自分が思っている以上に、純粋に、一生懸命に生きている。

やりたいことをやっている自分も、やりたくないことをやっている自分も、

喜び楽しんでいる自分も、もがいている自分も、

同じように、常に、一生懸命に生きている。

だから、想定外の結果だったりすると、

がっかりしたり、想定外の結果は「失敗」だと思ったりする。

でも、そうじゃないのだ、ということを私は今朝、再発見した。

想定外の結果というのはいつも、ただ、新しい発見と、気付きと、

学びと、新たな道や新たなインスピレーションへの扉になってくれるのだ。


その出来事の大小色々あれど、全てをそう捉えることができる。

子どもの頃、ココアをこぼして、母親に怒られたことがある。

怒った母は別に悪くない。掃除が大変なのだから、怒るのも仕方がない。

私はその時多分、何か別のことを考えていたのだ。

だからココアをこぼした。

ただ、それだけだったのだ。

その時私は、母が怒ったことに驚いて、「失敗」した自分を恥じて、

悲しい気持ちになった。

でも今振り返ると、

あれは大切な発見と学びの機会が提供されたにすぎなかった。


ただ、ココアをこぼした、という出来事を、「失敗」という言葉で

片づけてしまったら、勿体ないし、何だか悲しい。


それよりも、なぜココアがこぼれたのか、

その時私は、一体何に想いを巡らせていたのか、

母は何を考えていて、どうして怒ったのか、

そういうことから得られる発見や、新たなコミュニケーションの方が、

よっぽど大事で、そして楽しい。


想定外の結果はいつも、新たな発見と気づきと学びと、

新たなインスピレーションへの、入口なのだ。


今までもきっとそうだったし、

これからも、そうだ。

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