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活字書体のブラックネス——追記|Theaster Gates: アフロ民藝|森美術館|

『シアスター・ゲイツ: アフロ民藝展』の追記。展示で印象ぶかかったことのひとつは、英文キャプションにフレディック・ガウディ系の活字書体が採用されていたこと。これにゲイツ自身の意図がどのくらい反映されているのかは不明ですが、まぁ、無関係であることはなさそうです。

ガウディ活字は膨大に存在しますが、筆致や小文字の「e」を参考にすれば、おそらくそのなかでケナリー系とされるものだと推測しています。Goudy活字は、いわば近代のアメリカにうまれた活字書体。現在もアメリカ国内ではかなりのシェアを持っているようです。

そもそも1776年のアメリカ独立宣言がCaslon活字で組版・印刷されているわけで、アメリカ合衆国がうまれたとき、すでにタイポグラフィは最初の成熟期を終えているかたちになる。

つまりこの時点でイタリア系のJenson活字やAldus活字、フランス系のGaramond活字、イギリス系のCaslon活字、Baskerville活字などなど。現在、典型とされる各文化圏の活字書体はすでにできあがっている。ゆえにヨーロッパからの合衆国移民にしてみれば、すでに自分たちの背景、文化圏を象徴するVoicesたる活字書体が存在し、それぞれの基準、スタンダードがあったことになるでしょう。

ゆえにアメリカ合衆国成立以降、近代になり、その地でうまれたガウディ書体が『アフロ民藝』展で採用されているのは、どこか示唆的にもみえます。ルーツから切断されたものたちによる声。それが近代アメリカを象徴するガウディ活字の選択につながった……というのは、すこしかんがえすぎか。

とはいえフレディック・ガウディ自身がプライヴェート・プレス運動に影響をされたり——これをたどるとウィリアム・モリスによるケルムスコット・プレスに、すぐたどり着くことになる——そうした造形運動の当事者だったことをふまえると、さもありなんという気もしてきます。

ここで反射的に想起したのはヴァージル・アブロー。ゲイツの活動における運動面は、どこかヴァージルによるスカラシップ財団などの展開をおもいだしてしまう。彼を象徴するのはHelvetica活字です。

いわば20世紀のモダンデザインを象徴する活字書体。ゆえに「定番」だとか「迷ったらこれ」とか「透明な書体」だとか。そうした評価がされています。でも、それって本当に?

いろいろな活字書体をあつかうなか気づくのは、Helvetica活字はやたらと安定していること。つまりレタースペースの調整はじめ組版上のさまざまな調整をおこなっても、その印象がたいして変化しない。つまりそれを選択した時点でモダンデザインの表情になるし、そこから離れられないものとなる(あれだ。YAMAHA DX-7の音色が鳴った途端に80年代ポップミュージックに聴こえてしまう感覚)僕個人はここに、モダンデザインが不可逆的に内包するコロニアル性をみてしまうのです。

ヴァージル・アブローはおそらくそのあたりを自覚して、あえてHelvetica活字を選択していることがうかがえる。ここでは、いわばヒップホップ文化圏にある濃厚なブラックネスを薄める機能をHelvetica活字が果たしていると推測できます。ゆえにヴァージルHelvetica活字/モダンデザイン解釈は批評的であるし、なによりそのサンプリング感覚がならではであるとおもう。20世紀に中心となったネオグロテスク書体(Helvetica活字はじめUnivers活字やFrutiger活字など)、その21世紀における使用法を予見するものにみえてきます。

ゲイツのGoudy活字。そしてヴァージルのHelvetica活字。
アフロアメリカン同世代の造形者たちによる活字書体の選択は、いっけんすると正反対の特性をもつ。だけれど、その選択理由を想像してゆけば、通底する課題意識が浮き彫りになるようにもみえます。


20 May 2024
中村将大

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