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「用即美」の「即」

民藝——柳宗悦による「用即美」の「即」。これをどのように解釈すると、わかりいいか。

工藝風向 高木崇雄さんによる著書『わかりやすい民藝』[ D&DEPARTMENT ] でふれられているよう、柳宗悦自身の文章からは「用の美」ということばは(いまのところ)みつけられないとのこと。世間的に定着してもいる「民藝=用の美」というイメージ。それが意外にも当人の発言になかった(かもしれない)……というのは、いろいろな意味において興味ぶかい。とはいえ、柳のかんがえをみてゆけば、たしかに「用即美」というように、「即」としたほうが腑に落ちる。

「用の美」というように、その接続が「の」であれば「is」とみることもできる。たしかに世間的に「用の美」ということばがもちいられるとき、そこにFaction is Beautyという趣旨を散見することになる。こうなると機能美Functional beautyと、ほぼ同意か。

ちなみに、益子観光協会のウェブサイトでは濱田庄司の紹介にあわせ「用の美」に「beauty in Everyday Crafts」という英訳をあてている。いくらか限定的な意訳。なおイギリス ペンギンブックスから刊行されている、柳のオムニバス英訳本タイトルは『The Beauty of Everyday Things』。ともにEverydayという表現が共通する。

それで「用即美」の「即」。
たとえば鈴木大拙による『禅と日本文化』の原書『Zen and Japanese Culture』をみると、「多即一一即多」を「One in All and All in One」と表現している。isやatでも、equalでもなくinとして「即」をあつかっている。

そうなると「用即美」は「Faction in Beauty」……いや「Faction in Beauty and Beauty in Faction」のように反語的な表現になるかもしれないし、はたして、ここの「用」がFaction で、「美」がBeautyなのが適切か……という課題がのこる。もちろん、それぞれにその意味は内包しているけれど、完全には説明できていないともおもえる。いずれにせよ、大拙の例をみてもわかるように、たしかに「即」は「in」と認識するとわかりいいかもしれない。

ここでおもいだすのが、柳の初期的な研究対象であったウィリアム・ブレイクと、その詩。
『Auguries of Innocence(無知の告知)』を例にみれば……

To see a world in a grain of sand.
And a heaven in a wild flower,
Hold infinity in the palm of your hand.
And eternity in an hour.

……と。すべて「in」となっている。
なるほどたしかに。このブレイクの詩はおのずから「即」なるものを想起する。
備忘録としてメモ。


24 March 2024
中村将大

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