断捨離と僕の未来

全てのモノには神が司る。

これはアニミズムという日本の古来からの考え方である。

僕はモノを捨てられない。
人から貰ったモノなんて尚更である。

それは買ったり、もらったりしたモノは
捨てるなんてもったいない
と考えてしまうからであった。

あと少しで使い切るからまだ取っておく。
これは今後使えるかもしれないから捨てない。
大事な思い出だから必要だ。

これだ。今思い返せばこれが捨てられない元凶だ。

確かに、使い切りのモノであれば全て使いきってから捨てることがベストである。
また今後、もしかして使えるタイミングが来て捨てなくてよかったと思うこともあるかもしれない。

だが、これらのモノを全て取っておいた結果
家の中はモノで溢れかえり、最後にはゴミ屋敷となってしまう。

そこで言いたい。

少し残していた使い切りのモノを果たしていつ使うのか?
今すぐ使うなら僕は何も言わない。
またいつか使うと取っておいた結果は見え透いている。

あ、まだ使い切ってなかった。でも今は使いどきじゃないからな〜。
また取っておこう。

あれ?そういえば前の分が少し残ってた。
すっかり忘れて新しいの買ってしまった。

きっとこの後にまた残した前のモノの存在を忘れ、新しいモノを使い、その新しいモノも使っている途中で存在を忘れるだろう。

モノには神が司ると言った。
表現が正しくないかもしれないが
これは元々の神様がいるのに、新しく同じ神様を増やしていると同じではないか。

僕は同じモノの神様は一人でいいと考えており、同じモノは一つだけにすべきだと思う。

また、今後の為を思いモノが捨てられないというのも僕は間違いであると考える。

もしも(If)の世界は現実世界ではない。架空の世界だ。
地震や火災などの災害対策とはまた違う。

この段ボール箱は将来引越しをするときにきっと役に立つから取っておこう。

ここで僕は言いたい。
本当に引っ越すのか。いつ引っ越すのか。段ボールの量はこんなにいるのか。
引越しをする際の業者さんが段ボールを持ってきてくれるのではないのか。

将来のことなんて僕にはわからない。
しかし僕は、不確定な未来を考えてモノを溜め込むより、今使わないモノならば捨ててリサイクルしたり、そのモノを必要としている人に使ってもらう方がよっぽど有効的だと考える。
少なくとも今必要ではない自分からしてみたら、必要とされる方に出向きたいと神様も考えるはずである。

また自分が必要となったときに手にするべきだと考える。

最後に、大切な思い出のモノを残すことについてである。

僕はこれに関しては強く言えない。

大切な思い出が詰まったモノを眺め、過去の出来事に浸るのもいいが、過去に囚われ、今を前向きに生きている自身に支障がでる思い出なら、もうそのモノと踏ん切りをつけるべきだと考える。

大切な思い出はモノで残すことも大事だが、心に残す事が一番大切だ。モノを捨て心に残らない様な軽い事はそれほど大事な事だろうか。

必要と不必要を明確にして行動に移すことにより、これからの人生が明るくなることもある。

僕は今日や明日という日を大切に新鮮なモノとして過ごしたい。

それに気づいた昨日であった。

#断捨離 #思い出

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