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関東大震災のニュースを伝える100年前の雑誌を買ってみた

東京・神保町の古本屋を見て回ると、かなり古い本をよく見かける。戦前・戦中の本など珍しくも無いし、中には江戸時代に発行された本すらある。私はそんな中から、大正12年(1923年)12月2日に発行された「時事新報 第一万四千五百四号付録」を買ってみた。そのタイトルは「大正大震災記」。関東大震災から約3か月後に発行された、貴重な当時の史料である。
ちなみに時事新報とは当時最も知られていた新聞社の1つらしい。創設者は福沢諭吉で、有名な「脱亜論」を世に出したのも時事新報だ。

表紙。「大」の字の下が破れているのは値札をはがした時のもの。(泣)

ちなみに、お値段はたったの200円だった。ゲリラ豪雨でも来たら流れていきそうな屋外の本棚に、ぞんざいに積まれていた。素人目には貴重な品に思えるのだが、案外そうでもないのだろうか?


1.したたかな広告

1ページ目を開くと、まず金庫の広告が目に入る。「空前の大震火災は平素堅牢なる金庫の用意肝要なるを極度に立証しました」「幸にして堅牢無比なる竹内製金庫を常用せられたる京浜その他罹災地各地に亘る幾多のお得意各位は其貴重なる入庫品の安全なるを得られ、夥しき感謝状を頂きたるは弊店の深く光栄とする所であります」とうたっている。震災をしっかりと宣伝に利用しようという、したたかさが伺える。

金庫の広告

ちなみに、竹内金庫というのは日本で初めて金庫を製造した会社で、その世界では結構有名らしい。

2.「世界史の新記録たる惨害」

次のページからは本題が始まる。「土の怒り、火の狂い、自然の凶暴に躙られた大東京及び横浜、その他関東地方の大震害は実に有史以来の大惨事であった。九月一日午前十一時五十八分その刹那の凄まじき大地の震動と共に、或いは前後に或いは上下に血と人とを揺るがして止まず、さしもの大家高厦も一瞬にして壊滅し、大地は割けて水を吹き、人は屋梁に壓されて傷き死し、その混乱せる光景よく筆舌の盡すところでない」とある。なんだかニュースにしては随分仰々しいし、詩的とも受け取れるような表現だがこれが当時の流行りなのだろうか。また、とにかく漢字が難しい。實に(じつに)とか壓され(おされ)とか盡す(いたす)とか、私は読めない。当時の人は漢字に強かったのだろうか。

難しい漢字が多い

3.写真つきの記事たち

次のページからは、各地の被害状況が写真付きで紹介されている。「火焔の中に生霊三萬の断末魔」など、やっぱりどこか詩的というか、仰々しい見出しが躍る。こういった記事は10ページぐらい続き、被害の様子を生々しく伝えている。

地割れの様子を伝える写真

4.天皇家の人々

やはり当時なので、天皇陛下の言葉というのは大切なようだ。「畏し皇室の御深憂と」という見出しで大正天皇の「御沙汰」が載っているし、摂政宮(後の昭和天皇)が馬に乗って東京を巡視したという記事もある。また、皇太子(こちらも後の昭和天皇)の結婚式を延期するという記事もあった。私の感覚からするとそりゃ結婚式なんかしていられないだろうと思うが、記事には「この国民的大成儀を我々東京市民罹災の理由の下にご延期遊ばさるという事は恐懼の至りに堪えない」とある。このあたりは価値観の違いだろう。

皇族特集のページ

5.「不逞鮮人の投毒説」

さて、関東大震災というと最近何かと話題になるのが、朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマと、それに伴う虐殺事件だろう。この本にも、しっかりとそれに関係したニュースは取り上げられている。まず、25ページ目には飲料水の不足について記載した記事があり、その中に「たまたまこの井戸に対して不逞鮮人の投毒説まで流布されて、井戸に対する不安は嫌が上にも高潮した」とある。虐殺があった、とする記載は、この記事内には無かった。

「鮮人に脅える」という見出し

6.虐殺に関する記載

虐殺に関する記載は、もう少し後のページにある。一部の朝鮮出身者が検挙されたのが誇張されて伝わり、虐殺に繋がった、というような事が書かれている。

虐殺に関する記事。「善良な鮮人も見境なく惨殺された」「一人残らず殺せとふれ回った」などと書かれている。

全文の引用は省くが、けっこう具体的な記載が多い。「さながら暴行の現状を見たような流言に避難民中の男子は極度の反抗心を起こし、青年会が率先自警団を組織して同夜早くも鮮人を殺せの声が上げられた。竹槍、抜き身や日本刀、銃剣その他のあらゆる凶器をひっさげ喊声を上げながら馳せ回った。かくて一日夜から四日頃までには市内各所に多数の鮮人惨殺が行われたのである」「五十八名の鮮人が、東京から高崎に向かう途中熊谷本町通りに辿り着くや、同町の消防組を中心とする自警団員、若者らは日本刀、棍棒、竹槍等を携え喊声を上げて一行を襲撃し、熊谷町付近まで追跡し、五十八名全部を惨殺した」など、各地の虐殺事件についてその人数や経過まで詳細に述べられている。

よって、朝鮮人虐殺はあったのか、なかったのかという議論に関しては、この本を参照する限り「あった」とみなすのが妥当である。時事新報という大新聞が、皇室特集と同じぐらいのページを割いて報じているのだから、当時としても大事件だったのだろう。

なお、その次のページには「鮮人暴行実例」というすごいページがある。震災直後に朝鮮人が行った(とされる)犯罪行為を列挙しているのである。だが、よくよく読むと中には「自警団員の如く装って隙を窺っていた」「海嘨々々(津波津波)と呼び歩いた」など、犯罪なのかなんなのかよく分からないものも混ざっていた。

「鮮人暴行実例」のページ

ちなみに、当然のことながら震災直後は日本人による犯罪行為も多数あったようで、別のページでは日本人によると思われる放火や傷害事件の記事もある。

7.歴史を学ばなければならない

以上が、おもな内容である。全部で50ページ以上の本で、他にもいろいろ紹介したい事項はあるが、キリが無いのでこのくらいにしておく。

自分がこの本を読んで持った感想としては、月並みだが「歴史は放っておくと忘れ去られるものなので、きちんと当時の史料を参照して学ばなければならない」という事である。難しい漢字を使っているだとか、皇室への思いとか、被害を受けた人々の心情だとか、私はこの本を読むまで知らなかった。WikipediaやYoutubeの適当な動画でもおおよその事は分かるのかも知れないが、そういうのは真偽が怪しいし、情報量にも限界がある。こういった当時の史料や、それを引用しているきちんとした書籍などを参照して、当時の人の想いを学び、遺していくことが重要ではないだろうか。


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