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サブリミナル効果だったら僕らにだって狙えるかもしれない

こんにちは、ロンロ ・ボナペティです。

いきなりですみませんが、まずこちらのnoteを読んでください。


読みましたか?
嶋津さんは僕の敬愛するnoteクリエイターのおひとりです。
いつも読んでいて「教養が人生を豊かにする」を体現されているなぁと思わせてくれます。
初めてその存在を知った時は過去の投稿や、嶋津さんが運営されている「教養のエチュード」の記事を貪るように読みました。

なので、真面目な方はリンク先から嶋津さんの文章をあれこれ読み漁っていると思うので、本記事に戻ってくることはないと思いますが、後でいいや、とまずこの記事を読み進めてくださっている不真面目なあなたに向けて続きを書きますね笑

※ ※ ※ ※ ※ ※

だれかの書いた文章を読んで、「やられた」と思うことがある。
それは「僕が書こうと思っていたことを先に書かれてしまった」という意味でのやられた、ではなく、その文章が提示した価値観に、一発で染められてしまうというような感覚。
みんながなんとなく思っていた感覚に初めて言葉を与えた文章とか、深く考えてみたことはなかったけど、言われてみればそうだなと納得させられてしまう文章とか。

そういう文章は、バズることが多い。
一発KOを食らった衝撃で、反射的にシェア・RTしてしまうのだろう。
書き手の人生あってこそ生まれた文章というものも多く、同じ境遇にいる人にとっては共感の深みが違う。
読み終わった時にはその主張に納得させられているから、割と後味はスカッとしている。
後々になって同じテーマで何か考える時に思い出すことはあるけれど、折に触れて考えを巡らせたりはしない。
そして同じ著者から同等の質と重みをもった文章は、なかなか生まれないような気もしている。

嶋津さんの文章には、それとは違う攻撃力がある。
読み終わってもしばらくそこから離れられない引力のようなもの。
自分自身を省みながらでないと、読み進めることができない。
そして嶋津さんの問いかけに対し、自分なりの答えが出せないと次の原稿に取り掛かれないような、そんな感覚がある。

それは多分、嶋津さんの文章との向き合い方に由来している。
冒頭にあげた「日本の美意識」について、嶋津さんは8か月という時間をかけて取り組まれたそうだ。
8か月。
「日本の美意識」について考えをまとめるために費やす時間としては、特別長くはないのかもしれないけれど、それをnoteに書くということを考えた時、どうだろうか。
それだけの誠実さをもって、noteでの発信に取り組んでいる人がどれだけいるだろう。

僕は編集者という仕事をしているので、ひとりの著者と1年2年かけて1冊の本に取り組むことはよくある。
それだけの時間、ひとつのテーマで物事を考え続けるのはやはり相当な負担のようで、結局書き切ることができずに頓挫してしまう企画もある。
もちろん編集者としての力不足という面もあるのだけれど、文章を残すというのは本来それだけのエネルギーを掛けて成されるものなわけだ。

嶋津さんが8か月かけて取り組んだ「日本の美意識」に対する考察の、前段となるテキストで僕は彼の存在を知った。
それから幾つもの文章を読むことで、少しずつ引きこまれていった。
KO型とは違う、やられ方だと思う。
彼の文章はひとつの記事に書き手の全体重が乗ったものとは異なり、深い知識と教養に裏付けられた内容だから、嶋津さんが次なるテーマを見つけ取り組んで下さる限り同質のコンテンツが継続的に生み出されていくはずだ。
一度取り憑かれてしまった以上、ずっと付き合っていくことになると思っている。

バズを生み出す記事も、嶋津さんの記事も、文章によって人を動かすことができているという点において、価値ある記事だといえる。
価値観を塗り替えられ「共感した!」とシェアすることも、その文章に引きつけられ更新を心待ちにすることも、どちらも読み手を動かした結果だ。
そして僕自身のことを考えざるを得ない。
果たして僕はnoteでの発信を通じて、どんな価値を生み出すことができるだろうか?

脆弱ながらも結論めいたものをもって、僕はいまこの文章を書いている。

僕が編集者として実現したいことは一貫している。
プロフィールにも書いてある通りだ。
「建築の面白さを広めたい」
その手段として一発KO型の文章が書けるかというと、現時点では無理だろうと思っている。

では嶋津さんのようにボディーブローを継続的に打つという方法が取れるかと考えてみたけれど、それも無理と言わざるを得ない。
それだけ思考を深められるほどの教養が足りない、というと身も蓋もないのだけれど、それでなくともそのためのコストをいまの生活から捻出できる自身がないという気もしている。

とするともはや僕が書く文章でだれかを動かすことは難しいのだろうか?
僕と同じような境遇の人は、文章を書くことが向いていないのだろうか?

安心して欲しい。
僕らにだってできることはあるのだから。

そう、「サブリミナル効果を狙え」だ。
僕はこれまで一貫して建築についてのテキストを書いてきたが、ありがたいことに僕の書いた文章に共感して記事を書いてくださった方もたくさんいる。
僕のnoteが人を動かしたのだ。

僕はバズを起こすような記事を書けたこともなければ、半年かけてワンテーマに取り組んだこともない。
ただただ、その時々で書けそうなテーマで建築についての文章を綴ってきただけだ。
反応がなくても、諦めずに書き続けてきただけだ。
それでも手を変え品を変え、同じことを言い続けてきたことで共感し、いつも読んで下さるようになった読者がいる。
僕の呼びかけに応じて建築の記事を書いてくださった方がいる。
noteを書きはじめた時には予想もできなかった状況が生まれている。

書くことのプロではない僕が、理想を実現するために小さくも確実な一歩を踏み出せている気がしている。
そしてこの方法は、noteを通じてなにかを実現したいという思いのある人であれば、等しく効果のある汎用性の高い方法なんじゃないかと思っている。
そのためには継続することが重要なのだけど、noteには発信を継続するための機能がこれでもかというほど充実しているわけだし。

これからも、僕の理想の実現に向けて、一歩一歩進んで行きたいと思っています。


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本記事は、現在polcaで取材費を募っている企画にご支援くださった嶋津さんのことをご紹介したいと思って書いたものです。
「名も無き設計士」の方から #建築をスキになった話 を集めたいというこの企画、ご支援いただいた方のnoteを僕のnote内で褒めさせていただきます。
現在ほか3名の方に支援いただいておりますので、またご紹介いたします。
既存の建築メディアではできなかった企画に育てていきたいと思っていますので、ぜひご支援いただけると嬉しいです!



最後まで読んでいただきありがとうございます。サポートは取材費用に使わせていただきます。