「名乗っただけで性差別」〜「フェミニズム(=女性主義)」=「性差別政治運動」〜
直訳すると「女性主義」となる。
元々は公民権・所有権などの「公的な制度」において男性と同等の扱いを求めるもの出会った。
となると、シンプルに捉えればフェミニズムとは「制度上の女性の権利を拡張するための政治運動」となる。
当時の段階だと、未だヨーロッパでも王政が存在したり、貴族社会においてはサリカ法典などによって女子相続が禁止されていたりと、「明白に制度上男性のみに認められた権利」が存在したため、これを「男女平等のための運動」と解釈されていた。
しかしながら、制度上男性のみの権利というものが無くなった今、「制度上の女性の権利拡張」はすくなくとも「男女平等」とイコールとする理屈は論理的にも実質的にも成立しなくなった。
このような環境で「制度的・政治的な女性の権利の拡張」のみを訴えた場合、当然ながら「男性差別」ということになる。
こういうとたいていフェミニストと名乗っている人からは以下の通り反論がある。
① 思い込みなどの心理的な障壁があるからそれを解消するために政治的・制度的な手段を求めるのは当然である(アファーマティブアクションなど)
② 女性は「身体的な不利」があるからその格差が是正されるべきである。
③ フェミニズムは女性の「自由」を訴えるものである。男性の権利を侵害しようとしていない。
④ フェミニズムはその他のマイノリティや弱者を生きやすくし、結果男性も生きやすくするための思想である。
といったところである。(他にも多々ありそうな気がするが、まあたいていこれ以降に述べるロジックで終わってしまう。)
一つ一つ見ていこう
① そもそも、思い込みなどの心理的障壁を是正することを「フェミニズム」と呼ぶこと自体、「女性に不利な思い込みが男性的な発想によって男性の都合によって成り立っている。」という「思い込み」すなわちフェミニストが大好きな「アンコンシャス・バイアス」を助長し、男性を不平等主義者であるとレッテル貼りをするという差別主義に基づくものである。そもそも、女性に有利な方向に思い込んでいる可能性を否定し、女性の責任逃れを図っている点で、責任分担の意味でも性差別である。一方、アファーマティブアクションにおいて女性のみの都合を優先した場合、当然訴えている内容が「男性差別」となる。
② 「身体的不利」が女性にしかないということ自体が「思い込み」である。寿命の短さや社会的受け入れ率の低さからの自殺格差、根源的な「性的魅力の格差」など、男性の方が不利である点も多々ある。にもかかわらず女性にしか「不利」がないという主張はやはり男性優位であるという「アンコンシャス・バイアス」を助長している。当然男性差別である。
③ 女性の自由を訴える思想をフェミニズムと呼ぶこと自体、自由を尊重する女性対自由を束縛する男性という「アンコンシャス・バイアス」を助長している。女性自身が自由を束縛しているという責任の放棄であり、当たり前であるが男性差別である。
④ マイノリティや弱者を生きやすくし、男性を生きやすくしようという思想を「フェミニズム」と名づけること自体が、男性及び男性の都合の良い発想が弱者の生きやすさや男性の生きやすさを阻害しているという「アンコンシャス・バイアス」を助長するという男性差別に基づいているものである。つまり、いかに書かれている内容が良かろうとそのような思想の名前に「フェミニズム」とついていることが差別であるということである。
以上、フェミニズムという思想は「名前からして差別主義に基づいている」ことが判明した。一部の過激アンチフェミニズムのように、とんでもない過激な「ラディカル・フェミニスト」を連れてきて「フェミニズムって実はこんなに恐ろしいんです」とかやらなくても、名前にフェミニズムとついているだけで「差別」である。このフェミニズムを推進するという言葉で進められる女性に有利な制度の必要性について、もはやよほど論理的にも学術的にも厳密に証明しないと成り立たないものであること、そして、もはやフェミニズムが社会科学における「政治目標」になり得ないことを理解していただければ幸いである。