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兄について【ヤバさ:?????】

私の今の一番のアイデンティティは高校教師である。まだちょっと照れ臭いが、妻や母というのもあるだろう。そして残念ながら負のアイデンティティとして先月から若年性乳がん患者というのが加わってしまった。

負のアイデンティティといえば、幼少の頃の私にとってその最たるものは「一人っ子である」ということであった。
平成の初期(生徒の言葉を借りれば「ほとんど昭和」)に産まれた我々の世代では、一人っ子というのはまだ珍しかったように思う。物心付いたくらいの頃に住んでいたちょっとした集落のような小さな戸建てが集った団地では、一人っ子なのは私だけであった。やがて母の妹である叔母に息子が産まれたときには、私は大喜びで彼の写真を幼稚園に持参し疑似弟としてみんなに紹介したくらいである。
「見て。この子。弟じゃないんだけどね、でもそんな感じ。」
という謎の文言と共に赤ん坊の写真を見せつけられた友と先生は何を思ったのだろう…
あまりに一人っ子というのがコンプレックス過ぎて、その五年後に一人っ子仲間だったはずの愛する従弟に妹ができたときは、子供心にどうか産まれないでくれと途方もなく罰当たりなことを願ったほどである。
もちろん母に「きょうだいがほしい」としつこくねだった。しかし母は「お母さんね、もう一人赤ちゃん産んだら死んじゃうんだ…」ととんでもない大嘘をかました。既に別居中の両親にきょうだいをねだっても無精卵を暖めるのと同じようなものである、ということに気付くにはあまりに幼かった私も悪い。とにかく、当時はママ大好き少女だった私は母を失うくらいならと泣く泣く一人っ子人生を受容したのである。

それから月日は流れ、ママ大好き少女は母を最凶の反面教師として勉学に励む大学5年生(23)になっていた。
その日は、祖母の姉の夫という絶妙に遠い親戚の一周忌だった。親戚宅に集まり故人の思出話や彼氏と出掛けていて不参加だった私の母の陰口などに花を咲かせていた。
するとそのとき、母の従妹というこれまた絶妙に遠い親戚(つまり故人の娘)が不意に私に言った。

「RONIちゃんのお兄ちゃんもウチの息子と同い年だっけ?」

「えっ?」

母の従妹の顔色が変わった。元々色白の面長の美人だったが焦りのせいか青い馬のような顔になっていた。
「やだRONIちゃん知らなかったの…?もうRONI母ちゃんから聞いてたかと…」
突然お兄ちゃんが現れる───そんな今流行りの少年漫画みたいな展開に内心心臓は早鐘のように鳴っていたが、青い馬になってしまった母の従妹が気の毒でたまらず、私は至って冷静なスカした態度を秒で取り繕った。
「まぁ、でもそんなことがあってもおかしくないよねウチの家じゃ…気にしないで!」
この言葉は本心である。前記事で言ったようにウチの家系は「クズの見本市」のような部分があるので一人くらいお兄ちゃんが隠されていても不思議はない。
同席していた叔母によると、なんでも実は父には母の前に一人離婚歴があり、その相手との間に息子がいたということである。早い話が異母兄である
叔母は続けて染々と言った。
「神奈川に住んでるみたいよ。あんたが大学に行くってなったとき、どっかでバッタリ会うんじゃないかとヒヤヒヤしたよ…」
私の大学は都内ではあるが、最初の一年だけ神奈川にある父方の実家から通っていたのである。
さて。叔母の言葉からすると、やはりお兄ちゃんの存在は隠されていたということである。


帰宅後、風呂場の鏡で己の裸体を見ながら私は恐怖した。何しろ、一人っ子というのは私のアイデンティティの一つだったのである。23年間、ずっと私は自分を一人っ子だと思っていた。神奈川の祖父が私を必要以上に溺愛(高校を休ませて二人きりの韓国旅行に連れ出すなど)していたのは、私が初孫だからだと思っていた。でも違った。一度孫から引き離されたという辛い過去が、祖父を私に執着させていたのだ。そう、叔母によれば、父の前妻の家は裕福で、父は離婚して以来息子に会わせてもらっていないらしいのだ。計算すれば、父が18や19の時の話である。
つまり私は、異母兄には知られていない存在であり、ひっそりと産まれていた異母妹なのだ。
私が誰かの妹?一人っ子の私が???
自分がこれまでの自分とは違う別の人間になってしまった気がして、私は風呂で一人震えた。腰回りが重くザワザワした。
そして幾分冷静になってもっと恐ろしいことに気づいた。

この家族は、一つの秘密を平気な顔して23年間私に隠してきたんだ。

やはりヤバイ奴らである。
そこから数日間は、何か甘く危険な夢でも見るように、自分の兄がどんな人なのだろうかと妄想した。自分と同じ母子家庭であっても、きっと裕福な母子家庭だからまた違った人生を歩んでいるのだろう。4つ歳上の兄。もう子供はいるのだろうか。私はもしかしてもう誰かの「叔母」なのだろうか…
一時はそのような妄想が止まらなかったが、就職や恋愛など、自分の雑事に追われ次第に異母兄のことは考えなくなった。ただ就職後たまに、生徒に話すビックリネタとして使わせてもらった。


先日、私が乳がんになったことを報告すると父が会いに来た。10月に産まれた孫には全く興味を示さなかったが(産まれたことをLINEで伝えたらおめでとうスタンプだけが来た)流石に娘が癌という事態には焦ったらしい。
その際初めて孫である私の息子を抱いた。父は希代の糸目をさらに細め
「やっぱ可愛いもんだな、孫は…」
と呟いた。私は聞けなかった。
この子は初孫ですか?それとも…
父は嬉しそうに胸ポケットからiPhoneを取り出すと、父と息子、私と息子、父と息子と私の写真をそれぞれ撮った。そしてポケットに消えていくiPhoneに写った待受画面を私は見逃さなかった。
そこには父と、その恋人らしき30半ばくらいの韓国系美女が写っていた。
今さら異母兄弟が増えないことを切に願う。


これが私の兄の話である。会ったこともないし会うこともないだろうから、彼のヤバさはわからない。


次回は家族の中でもヤバさ最低の善人、祖母の話をしようと思う。


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