まず初めに。

これは、誰かの為に書く記事でもなければ

自分の為でも無いかもしれない。

そんな主体性もクソも無いただの記録。

未来の自分が見返した時、何か感じ取れる様に言葉に残せる物でありたい。というかあって欲しい。願望。


話は突然移り変わって

まず、2021年になった訳ですが世界で、日本で、大変な時期を過ごし落ち着かないまま年が変わって行った。そんな1年だと思う。

少なくとも私はそう。


ただ、私の中では2020は変化の年と考えていた。

いや、決めていた。間違いなく決めていたのだ。

どんな事でも変化があるなら、そのチャンスに飛び込む覚悟が出来ていると

思って始めた新しい物事が無事今も続いているのだけども
(高々、半年経ったぐらいで何を言っているのかはさておき)
今までやってきた趣味や行動のお陰でそれなりに、こなせる事もあるが  自分の常識だと思っている事や感覚がまるで通用しない時が多々ある。

多々どころか常にある。何と言えばいいか。最早、自分以外の周りの人達が普通で自分が異常であるという状態。
それは突然やってくる感覚、感情、何とも言い表せない。今、言葉で的確に表すのが難しい。ただ感情で近い物を言うのであればこれは”苦しい”

そう”苦しい”のです。

何が苦しいのか。自分でもわからないけどこの感覚(ゾーン)に入ってしまうと全ての物事がどうでも良くなって何に対しても、無気力。
立ち上がる気力の源は身体のどこにも残っていないのである。

つい少し前の事であるけど、そのゾーンに入った時は東京と言えど真夜中の寒い夜に、近所の神社のベンチで2時間だったか、
定かでは無いが数時間以上座って自分という存在に対しての
存在意義を確かめていた。そんなまた大袈裟なという感じかもしれない。
何言ってるのコイツ。状態である。

結論から言えば、わからない。

ただ、絶望感に近いこの感情でふらついていても神社にいては神主様にも
迷惑だし神様もそりゃ怒るであろう。その日は震えに震えながら帰宅した。
帰宅した後も、震えは止まらず朝まで過ごしていた。

自分は、過去を振り返るといつもこのネガティブな感情を常に何処かに持ちながら生きていたなと。
それがいつからかも覚えていない。元からだったのかもしれないし
成長期の家庭で親同士の喧嘩など観たり、聴いたり、離婚までも見てきた。
母親がうつ病になり、自分も当時は自覚がなかったが学校にも行けず
寝小便を垂らし、無気力に生きていた中学時代。

そこで何かが変わってしまった。
のかも知れない。元からただのドアホウで馬鹿なだけかもしれないが。
ただ人のせいにはしたくない。
自分が人生というこのゲームを攻略していく際に、面倒臭いレベル上げ的な
所に関して逃げ切る事を続けた結果だと思っている。
人間、自分では正解、不正解の判別は中々難しい物で客観的に自分を
見れる人は本当に尊敬する。

これからも僕は、この感覚と共に常に隣り合わせで生きていく。
どこかで、別れる時が来るかもしれなしまた出会う事もあるだろう。
ただ、この自分の生き方を人に言うつもりはないけれども
恥じるつもりもない。

自分は自分だ。
今までは誰かに影響を受けたり周りの声に流されてきた部分もあるだろう。でもこれからも、自分という存在を肯定し又、否定しながら
自問自答、苦悩しながら生きて行こうと思っている。
それこそ正解など無い。答えも無い道を人生に沿って歩んでいける事を
ただひたすらに突き進むしか無いのだ。

そんな自分を、肯定していく為のトレーニングとして
日々思った事を書いて残していく。



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