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【現代ホラー異聞録(2) 山神の血印 ~クチヅタエの村~】(2話目/全10話)
訪れるもの 2
「ねえ、旭は?」
一美が帰ってきた恭介に詰め寄ると、夫は疲れた様子でリビングのソファに腰を下ろした。
「萩沢さんに預けてきた」
「ええ? なんで?」
一美が隣りに座ると、恭介は旭の希望もあり、しばらく萩沢の所に泊まることになったと言った。
「だから、なんで? なんで勝手にそんなこと決めちゃうの? カウンセリングの先生だって、家で休ませなさいって」
「旭を守るには、この家じゃダメなんだ」
一美は夫に自分の努力を蔑ろにされたような怒りを感じた。
「どういうこと? あたしが悪いって言いたいの?」
「違うよ。でも、ほら、明日は旭が働いていた会社の人がうちに来るだろ?」
「そうだけど、旭は会うのが無理そうだったら部屋にいるって言ってたじゃない」
「強がってたんだよ。本当は不安だったようだ。でも俺達に迷惑をかけていると思って、わがままを言いたくなかったらしい」
「そんな、……」
否定しようとしたが、一美は昼間の旭の様子を思い出すと何も言えなかった。
「言ってくれればいいのに……」
一美はため息をついた。言わないことが旭の優しさだというのはわかるが、頼りがいのない親だと思われているようで歯がゆくて悔しい。どうしてあんなに不器用な子になってしまったんだろう。ただ真っ直ぐに、強く生きていける子になって欲しいと思って育ててきたのに、どうしてうまくいかないんだろう。
「旭はいつも周りに合わせようとして頑張り過ぎるんだ。だから職場の環境がおかしくても合わせようと頑張って、俺たちにも弱音を言えなくてああなったんだから、ちょっと距離を置いた方がいいと思う」
「でも、そんなの無責任でしょ。萩沢さんにだって迷惑かけて」
「あの神社は町の駆け込み寺みたいなものだから、こういう事には俺たちよりも慣れてるよ」
「だからって自分の子が大変なのに、よそに預けっぱなしなんて」
「ずっとじゃない。一日か二日経てば、旭も落ち着く。そうしたらすぐに迎えに行けばいい。旭もそうしたいって言ってるんだ。好きにさせてやろう」
そう言われてしまうと反対できなかった。納得はできないが、受け入れるしかない。一美はそう思って引き下がった。しかし、休むように夫に促されてベッドで横になると、嫌な想像ばかりが頭の中に浮かんだ。
夫の軽いいびきをしばらく聞いていたが、眠れずにキッチンへ行った。
水を飲み、窓枠に置かれたよもぎ団子と塩が盛られた小皿をぼんやりと見つめた。
何を間違えたんだろう。自分が親との思い出が少ないからうまくいかなかったんだろうか。
一美の両親は共働きで、それぞれが自分の会社を経営していた。父も母も親とは相性が悪いらしく、どちらの祖父母とも数年に一度顔を合わせる程度で、親戚付き合いはほとんどなかった。両親はどちらもあまり家にいなかった。家の掃除や洗濯はハウスキーパーを雇い、食事は通いの家政婦が用意した。一美は幼稚舎から私立に通い、裕福な家庭の子として育った。
一美が中学生になると昼と夜は食事代をもらい、自分で好きなものを買うようになった。お小遣いも欲しい物も望めば好きなだけもらえた。
高校に入る前に両親は離婚したが、一美の生活は特に変わらなかった。
母親は海外展開した会社の経営に集中したいと言って、一美の親権は父親が持った。父も母も、ねだればお小遣いを振り込んでくれた。自由に使えるカードもあった。
友人たちと流行りのスイーツや服やドラマや映画を楽しみ、休みには流行りのスポットへ遊びに行った。楽しかった。ずっとこんな生活が続くと思っていた。
だが、十七歳の時に父の会社が潰れ、父は失踪した。残った借金は母が整理してくれた。しかし、手続きが終わるとすぐに海外へ戻った。すでに向こうで家族を持っていた母は、一美が二十歳になるまでの生活費と大学の学費は出すが、後は自分で稼ぎなさいと言った。
人生で初めて大きな不安を感じたが、心の底ではなんとかなると思っていた。
大学に入り、恭介と出会った。一つ歳下の恭介は頭が良くて穏やかな人だった。
付き合うようになり、一美は今までの自分の暮らしが一般的なものではないと実感することが多くなった。
母の口利きもあり、大手の商社に就職をして二年働いたが、仕事に楽しさを感じることはなく、恭介との結婚を機に辞めた。
一美は恭介に、普通の楽しい家庭を作りたいと言い、恭介も同意してくれた。ずっとマンション暮らしだったから、恭介の実家のような戸建ての家に住みたいと言うと、恭介は実家と同じ地区にある親類の土地を安く譲って貰い、ローンを組んで家を建ててくれた。
妊娠をして、旭を生んだ。義理の両親はよく一美のところへ来て手伝ってくれた。一美も子育て本を読んだり、ネットで調べたりして初めての子育てをがんばった。自治体の子育て教室や地元の集まりにも積極的に顔を出してママ友も作った。普通の家庭の子育てをするためにできることは何でもやった。自分なりに努力してがんばってきた。
旭はすこし頼りなくて不器用なところはあるが、優しくていい子に育ったと思っていた。就職をして独り立ちをした時は寂しさもあったが、肩の荷が下りたという気持ちの方が大きかった。
後は、恭介と二人でゆっくり過ごしながら孫が出来るのを楽しみに待つ。そんな普通の幸せな家庭を楽しむはずだった。
子どもの頭がおかしくなるなんて、そんな予定はなかった。
こんなはずじゃなかった。こんな暮らしを欲しいと思ったことはなかったのに、なんでこんな思いをしなければならないんだろう。ただ普通の暮らしをするだけのことなのに、なんで出来ないんだろう。
窓ガラスに映る自分の顔は、拗ねた子どものようだった。
昔、よく見た顔だ。誕生日やクリスマス。お正月、夏休み、冬休み、ゴールデンウィーク。幼い頃、クラスメイト達が家族と楽しく過ごした話を聞くたびに、一美はそっとその輪を抜けてトイレへ行った。
そんな時に、トイレの鏡に映るこの自分の顔が嫌いだった。
こんな顔はいらない、こんな気持ちもいらない。
一美は窓を開けてよもぎ団子と塩の小皿を庭へ投げ捨てた。ダスターで窓枠を拭いて、きな粉の汚れを拭った。ゴミ袋を持って、家中に置かれたよもぎ団子と塩を捨てて徹底的に掃除をした。普通じゃないものはいらない。
恭介は言った。母親というのは家の事を全部自分でやるんだ、と。子育てと、掃除と洗濯と料理。近所付き合い、家計の管理。全部きちんとするのが普通の妻であり母親である。そして夫は、妻に不自由をさせない暮らしを与える。稼ぐ事と、妻の相談に乗ること。家庭に問題が起こったら対処すること。
それで今までうまくいった。だから今度も、その役割をきちんと果たせばいい。
旭のことはもう夫に任せるべきだ。自分がすることは家をきれいにして、栄養のある美味しい料理を作って、夫と子どもが安らげる家を保つ。それが普通の家庭だ。
自分が欲しいものだ。
明け方近くまで家中を磨き、一美はすっきりとした気分ですこし眠り、夢を見た。
幼い旭の手を引いて、どこかの神社へお参りに行く夢だ。
境内で人々が輪になって揺れている。楽しそうに笑いながら何か話している。幼い旭がみんなの仲間に入りたいと言う。一美も喜んで旭をその輪の中へ連れて行った。
みんなで輪になって、おはなしをする。みんなとおなじように、ずっとずっとおはなしをする。
みんなの輪の中でおしゃべりをする旭の笑顔を見て、一美は、ほっとした。
良かった。うちの子はみんなと同じ普通の子だ。自分はちゃんと普通の家庭を作って普通の子を育てることができたんだ。
一美は嬉しくて、みんなとおなじようにわらいながらおはなしをした。
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