第五十九話 ジャカルタで待つものは
少し時間を戻して、ジャワ島に到着する前、スマトラ最後の街での事。
僕の乗るバスはここで休憩をとり、食事をする事にした。
スマトラは写真のように長閑な景色がずっと続き、のんびりとしていた。
ただ、タイミング的には北からどんどん雨季に入っていたので、赤道を跨ぎ、雨に追われるように南へ南へと進んでいた。
食堂では、みんなで同じテーブルにつき注文する。
いつもの様に誰かが僕の食事を頼んでくれる。
スマトラは敬虔なムスリムが多い為か、旅人への施しか、とにかく人々が親切で、食べ物を食べるのにお金を払うという事はほぼ皆無であった。
取り敢えず誰か分からないので、僕は立ち上がり、テーブルを囲む皆に感謝を伝える。
この席に誘ってくれてありがとう。
僕のご飯も奢ってくれてありがとう。
そんな食堂にテレビが置かれている。
ニュースが流れている。
どこの映像だろうか?街中で火の手があがっている。
そんなテレビを見ていると誰かが、僕に言う。
「東京で大きな地震があったらしいよ。」
「えっ?!」
本当だろうか?僕が奥地にいて、なんの情報も入ってこなかった時に、そんな事が本当にあったのだろうか?さっきの映像と関係があるのだろうか?(映像は東京っぽくなかったし、ちょっと浅黒い肌の人々だったような気がするが。。)
僕は不安でに駆られ、早くジャワ島にあるインドネシアの首都ジャカルタに行きたい、そこで情報を集めたいという気持ちが強くなり、気持ちが焦った。
途中で何度か東京で地震があったのかという話を人に聞くが、みんな曖昧に「あったような、無いような」というような返事をする。中には自信を持って「あった」という人もいた。
なんなんだよ、その曖昧さは。
より、不安になる。
そして遂にバスは首都ジャカルタへと到着する。
街がデカい。
これまでのスマトラとは違って、流石にインドネシアの首都。規模が違う。
そして…荒れている!!
なんと燃えた家や、燃えた何かが道端にごろごろ落ちているではないか。商店は全てシャッターが下りているし、街中は手に武器を持ち殺気立った人がいる(人の数は少ない)。酷く混沌としている。
ジャカルタって、リアル北斗の拳の世界じゃないか!
なんて恐ろしいところなのだろう…。
ヤバいトコに来てしまった。
僕はバスから降り、バックパックを背負いながら街を歩くが、非常に治安が悪そうだ。あのスマトラのメダンよりも。途中に出会うインドネシア人達も物騒な連中で、あの穏やかな笑顔は無い。挨拶しても返って来ない。
っていうか、あの映像が、ここじゃね??!
そしてすぐに事の真相は分かる。
この時期、スハルト政権の末期にあり、街で暴動があった時だったのでした。(これが最初の暴動)
ホテルに到着してロビーで、その話を聞く。
「ええ?!今、スマトラから着いて、街を歩いて来たって??!君はかなりラッキーだよ!何事もなかったなんて」
え?そうなの??
ていうか、ラッキーとかそういう次元ではないでしょ?
しかも、特に中国系華人達は暴動の対象になり、かなりの被害だったらしい。
そんな暴動の真っ只中、何も知らずに街に到着し、何も知らず歩き始め、ここまで来たのだった。
僕はいつものように運良く?相変わらずのタイミングの良さ?で、気付かないウチに、トラブルに巻き込まれていたのでした。
そうだよね、流石にリアル北斗の拳の世界が、日常な訳がない。
ここまで戦地やらジャングル生活やらで僕の感覚が少しズレてしまっていたせいなのか、「世界にはこんな街もあるのだろう」とすんなり受け入れていたけど、やはりそれは間違いだった。
何にせよ、中華系に間違われずに済んで良かった。間違われていたら、命は無かったかもしれない。
そして地震。やはりこれもデマでした。
それどころか、この事件。あなたの国で起こっている事じゃないですか??(スマトラの人達!)
僕はこのジャカルタでは街中へは行かず、暴動とは駆け離れたインドネシア最大のスラムというものに興味があったので、そこを歩いて回った。
スラムと行ってもそこには僕の感じる限りでは悲壮感は無く、子供達がゴミの山で道が塞がってるような所で、何かを丸めたボールでサッカーをしているような光景や、普通に生活感が見受けられる迷路の様な場所であった。
ここまで来ると僕もインドネシア語が上達していたので、至る所でコミュニケーションを取り、仲良くなっていた。
一緒に混ざってサッカーをしたりした。
とは言え、街中はシャッターが開く気配も無かったので、短い日程でジャカルタには見切りをつけ、バンドゥンを飛ばし、その先、古都ジョグジャ(ジョグジャカルタ)へと移動する事にした。
ここにはヒンドゥー遺跡「プランバナン」と、仏教三大遺跡のひとつ「ボロブドゥール」があるのだ。
この街で仲良くなった日本の埼玉県に住んでいた事もあるという、大学生に案内され、遺跡や街中を巡る。
途中、僕が普通に街中でスハルトの間違いを指摘するものだから(今の社会の現状を見て)、彼は非常にびっくりし、オドオドしている。
大丈夫。誰も日本語なんて分からない。(分かったら、アウトだけど)
そして僕はここで初めて、インドネシアの彫師と出会う事となるのでした_。
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