最近、生きていてやたらと擬音が多い

最近、やたらと擬音が多い。

擬音の種類も適当で、脳で考えるわけでもなく瞬間、その反応で声を出す。

ハァエエアア!!!

デェーーーーン!!!

ダァーーーン!!!

上記はあくまで一例でシーンによって自分の生きてきた経験値から言葉が生まれる。

擬音が多いのに比例して最近、固有名詞が出なくなった。

例えばボールペン。
ボールペンをアレと言ってしまう。

これはまだ一次間接表現だからまだいい。

最近に至っては「アレをアレして〜」、「アレのアレ」などと言った二次間接表現になってしまう。

ボールペンで例えるなら「ボールペンをノックして」を「アレをアレして」と言ってしまう。

まだボールペンがその場にあり、指を指せば「アレをアレして」と言うのもなんとなくニュアンスで伝わるだろう。

ボールペンをノックして、文字を書く
       ↓
アレをアレしてアレをアレする

最早何が何だか。

1つのアイテムで4つアレを出す。

まぁ、これはまだギリギリセーフだと信じてる。
セーフにしてください。

この紙を壁にアレしといて。 

壁にハンマーでピン打ちするのか、テープ貼るのか、画鋲で止めるのか。

選択肢があるものに関してアレと言う言葉は聴く側もストレスが溜まるのである。

ヤバいと感じた会社の先輩が少しスマホで調べた。

脳過労というものがあるらしい。

何かをする時、する前からその事を考えてしまって脳が休まる時間がない。

そうすると脳が疲れてしまって固有名詞が出てこなくなるのだという。

ちなみに脳過労という言葉を出てこなくて脳内でアレが駆け巡った。

脳過労を解消する方法は1日5分脳を空っぽにする事。

空っぽというのは難しい。

坐禅をして脳を無にするというような事なのだろうか?

視覚を遮断するのは確かに脳が休まりそうだ。
しかし、聴覚、嗅覚が残っている。

強烈な匂いでなく、慣れ親しんだ匂いなら違和感は嗅覚は感じないだろう。

しかし、聴覚はほっといても耳に入り込んでくる。

なかなか空っぽにする事は難しい。

そこで色々考えた結果日常の中に頭を空っぽにするという結論に至る。

それは限りなく素に近い自分で存在し、そこにいるという事である。

人がいない場所や、声を出しても許される場所で擬音を発して生きる。

声を出さないと言うことは意外にストレスがたまる。

TPOに合わせて静かにしなければいけない時、必要以外には発言してはいけない時などがある。

そこから解放されている時以外は本能というかとにかく擬音を発している。

人に聞こえないくらいに超小さい声でも擬音を発してみる。

案外やってみるとこれが自分にあっている。
ストレスが減った気がする。

とにかく感じたら擬音を発してみる。

ピーとかパーとかなんでもいい。

少し凹む時なんかはマザー2のどせいさんというキャラのぽえぽえーんなどと言ってみる。

※少し凹むとはホームについたら電車が行ってしまうとかそんなレベルのことです。

最近は同じ擬音を出すことで作業をルーティン化させて、空っぽにできるのでは?と思い、一定の行動に体が慣れたら擬音を発するようにしている。

ここまで色々書いたけど擬音を出したことによって脳過労に効果があるかは定かでない。
ただ、擬音を発するのは自分らしく感じる。

何より自然体の自分であるというのがすごくいい。

しばらくは擬音を発していこうと思う。

それではこの文章をデェーーーーーン!!!!!!!

Twitterにもドォーーーーーーーン!!!!!


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