弱音ばかりの回顧録(前編)
こんにちは。
ロンです!
今日はちょっと僕のココロの回顧録的なものを書いてみたいと思います。
おそらくまた長くなるので、どうか最後までお付き合いいただきたく。
ロンが生まれた田舎の港町。
以前、愛犬の話題で幼少期のロンのことに少し触れたかもしれませんが、僕は愛媛県の八幡浜市というところで生まれました。(ヘッダーの写真)
場所的に説明すると、ちょうど四国を猫に例えれば尻尾(左上の方に尻尾みたいに出っ張っている半島)の付け根あたりです。
上の地図の赤い部分が佐田岬半島。
その付け根にある八幡浜という港町がロンの生まれ故郷です。
北側は伊予灘で、西側が宇和海、丘陵の多いリアス式海岸がずっと続き、みかんは「温州みかん」と言われる柑橘が有名ですが、それも丘陵地形が伊予の温暖な気候が生み出すのでしょう。
伊予のみかんと言えば、ポンジュースでも有名ですよね。
なんと、愛媛県松山市の道後温泉では、蛇口をひねるとジュースが飲めるというサービスまであります。県内の小学校にもそういう蛇口があるらしいんだけど、さすがにそれは実物を見たことがないですけど💦
四国の田舎町から神奈川県へ。
そんな漁業とかみかんという一次産業が基幹産業の街は父の故郷で、実家は旅館を経営していました。
その故郷で実際に僕が暮らしたのは3年弱。物心ついた頃には父の仕事の関係で神奈川県に移り住みました。
父は7人兄弟の末っ子だったので家業の旅館を継ぐ必要もありませんでした。
そこへある東京の芸能プロダクションを経営している方の推薦があって、その方が引退する際に後を継いでその芸能プロダクションの社長になりました。
当時、東京の事務所まで電車通勤していたのですが、さすがに勤務先に近い東京都内には家を構えられず、片道1時間くらいの神奈川県に住むことにしたようです。
病弱で怪我ばかりの子供時代。
僕は物心ついた頃から人付き合いが苦手な"おくんぼ"でした。なので、近所の子供達と仲良しになるのも、幼稚園に通うようになっても、なかなか仲の良いお友達は出来ませんでした。
その頃から兄の後ろをちょこちょこ付いて歩いて、小さいから遊びの仲間には入れてもらえず、草野球や缶蹴り、縄跳び、夏の蝉捕りなどもただ見ているだけでした。
毎日がみそっかすみたいな僕だったのですが、何より覚えているのは、その頃から身体が弱かったという事です。風邪をひいては直ぐに熱を出して、いつも通っている病院の先生に太い注射を打たれてギャン泣きしていた記憶があります。
怪我も良くしていました。近所にお寺があったのですが、雨上がりのお墓でひとりで遊んでいて足を滑らせ墓石の角で後頭部を強打し、何針も縫う大怪我をしました。日曜日だったので近所の病院はどこも休みで、近所のおばさんがタクシーを手配してくれて救急病院に連れて行ってくれました。付き添っていた兄が、タクシーの中でだんだん手が冷たくなっていくのがわかったと言っていたのを覚えています。数日の入院で回復したのは本当にラッキーだったようで、もう少し切れている場所がズレていたら危なかったようです。
何しろ好き嫌いの激しい子供だった。
身体が弱かった原因は、食べ物の好き嫌いが多かった事が大きいと思います。小さい頃からとにかく野菜も肉も食べられませんでした。いったい何を食べて生きていたのか???笑
母は病弱な我が子を強くしたかったのでしょう。とにかくなんでも食べなさい、もっとたくさん食べなさい、そればかり言っていました。
僕は食べ物よりも何よりも母の小言、それが一番嫌だったと感じていました。
大好きだったチョコレート🍫
お菓子や飲み物にも好き嫌いがありました。
麦茶は飲めない。お煎餅も苦手。
調味料もソースもケチャップもマヨネーズも全部嫌いでした。
大好きだったのはヤクルトとチョコレート。
当時、我が家はヤクルトを配達してもらっていたのですが、兄と僕の分で毎日2本ずつ配達されていました。その2本を兄の目を盗んでこっそり2本とも飲んでしまい母にめちゃくちゃ怒られたり、板チョコ🍫を何枚もいっぺんに食べてしまって叱られたりしていました。
そんな僕を見かねた父が逆療法とでも言いますか?なんとチョコレートをダンボールいっぱい買って帰ってきました。さすがに最初は喜んで食べていましたが、あまりの多さに飽きてしまいそれ以来板チョコは食べなくなったらしいです笑。父の作戦は見事に成功したようです。
お弁当も残してばかりだった。
幼稚園のお弁当も残してばかりだったと思います。お弁当を残して家に帰ると母に叱られたので、帰り道にいた野良犬に残したお弁当のおかずをあげたりしていました。当時はまだまだ野良犬がかなりウロウロしていたので、食べ物があるとわかると何匹も食べに寄ってきました。
ある日、いつものように残したお弁当を食べた事にする為に野良犬のいる空き地に行って、お弁当箱をカバンから取り出そうとした時、いきなりガブっと犬に噛まれた事がありました。
さすがにこれは血もかなり出ましたし、痛みもそれなりだったので大泣きしながら家に帰ると、やはり破傷風や狂犬病の危険があるので救急車で大きい病院へ行き、手当てしてもらいつつ、予防接種?的に注射を打たれました。当然そこでも大泣きでした。噛まれた痛みよりも注射の恐怖でです汗。
僕の子供時代は、好き嫌いの激しい病弱で怪我ばかりでした。その度に泣いていたし、「痛い」「苦しい」「ツライ」という感情ばかりが付き纏っていたという印象です。
長くなったので、小学校から高校生、大学あたりのお話はまた次回へ持ち越します。次回まで少しお待ち下さい。
今日も長文にお付き合いいただき誠にありがとうございました😊
それではまた👋👋👋