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新年度のスタートに向けての「選択」は敢えて「選ばない」ということ。


おはようございます。
ロンです。


新しいスタートの季節。


今日から令和6年度のスタート。

新社会人の方、進学される方、進級される方、転属される方。
いろんな「新」が始まりますね。
この「新」という言葉には、とても胸がワクワクするのと同時にドキドキするような不安もあったりしますね。希望と不安を抱いての門出となると思います。

どうか、皆さんの新しいスタートが楽しく充実したものになりますよう心からお祈りしております。


舞台は何も変わらないとは言えど。

斯くいう僕はというと、昨日までと何の変わりもございません😅

取り立てて目新しい4月がスタートするわけでもなく、以前にも少しここで書かせていただきましたが、仕事は2月後半に一度復帰を試みたものの見事に失敗に終わり、復職も未だに果たせずの状態です。

それでも、3月という月は自分にとってもとても特別なひと月になったと感じています。
何が特別だったのか。。。

人生は選択し続けるという事。


通常の生活の中でも、どんな些細なことであってもどちらかに決めないといけない…という事はありますよね。

例えば、しばらくの間何かの作業をしていて、ちょっと休憩しよう!と思った時に何か飲みたいなぁと思う。
コーヒーにする?それとも紅茶?いや、水でいいんじゃない?みたいな。何を飲むかの「選択」です。

その前に、休憩を入れるか入れないか…だって「選択」といえば「選択」です。

そうなんですよ。当たり前なのですがそういう見方をすると人生は「選択」の連続なわけです。

特段自分の中で意識していなくても、常にどちらか或いは複数の中からどれかを選ぶという脳トレ的なことをやっているんです。


もちろん「選択」した結果に対して、重大な結果が付いてくる場合もあれば、どれを選んだとしても大した影響はない場合もあります。むしろ、後者の方が多いのかもしれない。

ただ、「これ」に関してはかなり「重大な選択」になる!という場合も当然のごとくあるわけで。

そんな時、みなさんは自分で自分を追い込んでしまう時ってないですか?

おい、鏡の中の君!(鏡に映る僕のことですね)
君のこの選択によってはすごく良い結果になるかもしれないし、愛悪の結果に終わるかもしれないぞ!しっかり考えなさい!!みたいに鏡に映った自分に問いかけてたり、知らず知らずのうちにプレッシャーをかけている。


そんなの僕だけなのかな?
みなさんはそんなことしたこと無いですかね?


自分の選んだことに責任を持つのは自分自身。


結果がどうなるかなんてのは、その時点ではわかるわけがない。タイムマシンがあったとして結果を見に行けるのならば???
いやいや、そもそもタイムマシンなんて存在しないですし、仮に結果を変えたいから別の方を選んだとしても、またその結果がどうなったかは結局のところわからない訳で。
結論としては、人生はどれかひとつしか選べないんですよ。分かれ道ならどちらかに行くしかない。だったら悔いのないようにって考える。
そういう人が多いんじゃないでしょうか。
選んだことに責任を持つのは自分自身ですから。

例えそれがうまく行かなかったとしても、そちらを選んで挑戦した事に意味があるし、がんばって選んでチャレンジした自分に拍手を送ろうじゃないかと。

うんうん。そうなんです。
その考え方は嫌いじゃないです。
とても前向きな考え方ですし、どちらか(或いはどれか)を選んだ時点で、すでにもうやるべき事をやっている気もします。



どれも選ばずに現状維持を目指すという「解」


仕事に戻るべきか?現状維持か?

還暦を迎え、定年も迎えた。雇用形態は変われど会社は継続雇用もしてくれる。早く体調を戻して復帰するべきなのか?

それとも、現状維持なのか?
「健康寿命」って言葉があるじゃないですか。
それって何歳までなのかという議論はあると思うんですが、当然人それぞれですよね。70歳くらい?まぁ仮にあと10年、70歳ということにしておきましょう。
健康な状態で生活出来る時間は限られていると思うんです。大学を出てから今まで自分なりに必死に働いて来ました。最後の最後で身体を壊して(心を病んで)今に至ります。
もう充分じゃないか?それこそ鏡の中の自分に「君はよく頑張った。あとはもう好きに生きろ!」と言ってあげようか。

何度も何度も考えました。それこそ眠れない夜も何度もありました。

そうして出した結論としては、今は「選ばない」ということです!
それって反則ですかね?
これはある意味「解」になってないんじゃないか?そう思ったりもします。


「時間切れ」という何とも残酷な結論。


「敢えて選ばない」という「解」を出した自分。それは、今は選ぶタイミングじゃないという判断をしたからなんです。

何事にもベスト或いはベターなタイミングってあると思うんですね。今回の僕の選択は今ではない、ということです。

サッカーで例えるならば、試合後半のアディショナルタイムに入ってリードしてる状態だとします。そういう場合、自陣でボールを回して時間稼ぎするじゃないですか。すると時間切れになって勝手に勝利という結果出てしまう、みたいな。

無論、今の僕は点数でリードしている状態でもなければ、とてもじゃないですけど良い状態とは言えません。けれども、今の自分の状態を"良くはないけど悪くもない"と考えた場合、何か次の一手を打つとなれば、今は下手に動かない方がいいんじゃないか!という考え方なんです。それはひょっとするとかなり残酷な結論を生んでしまうかもしれない。だって、何もせずに結果が出てしまうわけですから。これほど残酷なことはない。


人生において「最適解」とは何か?


ではもし仮に、自陣でボール回しをして時間稼ぎをするという「選択」が正解ではないと考えた場合に、「最適解」とはいったい何なのか?

当然誰だって「最適解」を選びたいわけじゃないですか。なぜなら失敗したくないから。失敗することが怖いから。失敗したらどんな未来になってしまうんだろうととてつもなく不安になる。

うーむ。でも先ほども書きましたが、この世にタイムマシンは無いわけです。結果も見に行けないし、あの時に戻ってやり直すことも出来ない。人生は一度きりだから。

「現状維持」という「最適解」

だったら自然に身を任せる!!
何もどれも選ばず「現状維持」

それが今の僕の「最適解」だと考えたわけです。非常に消極的な「選択」なんじゃないか。
そう思えるかもしれません。僕の頭の中にもその考えは何度もよぎりました。これでも無い頭をめちゃくちゃ使って、絞りに絞って出した「現状維持という解」なんです。

また例え話になるんですが、雪山で遭難したとした場合(雪山なんて登ったこと無いですし、そもそも登山らしいこともしたこと無いけど)、下手に動かないで救助を待つ。体温の維持と体力の維持を優先にしてひたすら我慢して助けが来るのを待つ。そういう考え方もあると思ったんです。
生き延びるための「究極の最適解」が「時が経つまで死なずに待つこと」だと。


死んだら負け、生きてさえいれば何とかなる。


新しいスタートを切った方々に向けて書き始めたのに、何を言うかと思えば「とにかく死なずに時間稼ぎしてもでも生き延びろ!」かよと思われるかもしれません。

4月1日という新しい舞台に立つ日を迎えた方々は、おそらくその数ヶ月前、或いは年単位で準備をされたり、それこそ「大切な選択」をされたんだと思います。その選ばれた道の先に素晴らしい未来が待っていることを祈ってやみません。

でも僕は、何度も書きますがその「選択」を敢えてしなかった組なんです。
あくまでも僕の現時点での「最適解」は、今は選ぶタイミングではない!という事だからです。
なので、今は舞台にすら立っていない状態😂

そんな僕が希望を胸にスタートを切った方々に人生の選択について偉そうに語れる立場ではないのは重々承知しております。生意気な事を言ってごめんなさい。


そのままでいい 君のままでいいから。


長々と書いた「選択」の結論付けのひとつの「証明書」みたいな事を書いて終わりたいと思います。

藤田悠也くんという関西出身のシンガーソングライターさんがいます。
以前に書いたオカダユータさんとも親交がある同じ関西のシンガーソングライターさんです。

僕は彼の歌が大好きで、時折路上ライブやら箱ライブにもお邪魔しています。
彼を応援するのは、もちろん「魂のこもった歌を全力で歌うものすごい歌い手さんだから」なんですが、もうひとつ理由があって。それは彼が僕の息子と同じ歳なんですよ。ホントに見てると(聴いてると)息子のようにかわいいし愛おしい。この年齢でよく頑張ってるなぁといつも感心しています。


そんな彼の歌の中に「行方」という曲があるんです。
僕が大好きな曲のひとつです。

因みに歌詞は以下です↓↓↓

「行方」         作詞作曲 藤田悠也

毎日歩く道で足を絡め転んだ君
まるで右足が現実 左足が理想で
2つが重なり 温度差で壊れたみたいだった

膝と手のひらの傷は大した事ないけれど
君は痛い痛いとずっと泣き止まないでいて
傷つく心が 大粒の涙に映ってた

頑張れと言う人はいつでも
君の壁を知りやしない
70億個の気まぐれを纏う
世界で君は生きにくそうなんだ

立ち止まるからこそ 足跡は深いよ
涙は軌跡を描くよ
何気ない昨日より 意味を成す今日になるんだ
悲しみの行方は 君の手の中だよ
笑えて泣ける場所へ行こう
強くなくたって すぐ疲れたって
そのままでいいから

毎日帰り道で1日を振り返る君
記憶に残るコマは1つもない怠い身体
呼吸をするのも 面倒臭そうな顔をしてる

明日を既に憂鬱で染めて
夜が明けないように願ってる
朝が怖くて 布団に潜り
世界の人口 ひとりにしてるんだ  

街を濁らせてる 社会のため息が
君まで汚してしまうなら
青く清んだ空気を 吸い込む旅に出かけよう
誰の言う言葉も 無視しちゃえばいいよ
ズル休みも構わないよ
でもそれを悲しむ人が居れば
もう独りじゃないから

立ち止まるからこそ 足跡は深いよ
涙は奇跡を描くよ
今日の君の事 明日の君が待っている
幸せの行方は 君の手の中だよ
笑えて泣ける場所へ行こう
強くなくたって すぐ疲れたって
そのままでいい 君のままでいいから


宜しければYoutubeも↓↓↓


正にこの歌詞の中に出てくる「そのままでいい、君のままでいいから」が僕の「選ばない最適解」だという事なんです。
この「選択」「行方」は誰にもわかりません。
ですがこれは自分で決めたことです。
自分の責任で選ばなかったということです。

今日も本当に長々とお付き合いいただきありがとうございます🙇

そんなわけで、何も選ばずゆるっとスタートした4月も、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました😊

もし良かったらいいね🧡やコメントをお願いいたします。

それではまた👋👋👋


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