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動物になりたいと思った瞬間、私の望む生き方が見えた。



息が白い。
足元が少し凍っていて、そっと気を付けて歩く。

凍てつくような指先の痛み。
駅までの道のりが、いつもの何倍も遠く感じた。


唐突に、思った。
あぁ、動物になりたい。
こんな日は丸くなって寝ていたい。

そう思うと同時に、
いやいや、動物も甘くないよ。
その日食べる物を自分でちゃんとなんとかしなきゃいけないもの。
と心の中の私が反論した。

いやいや、でも、動物はさ「今日を生きていられること」だけを頑張っているじゃない。

人間みたいに、「もっとよりよい何か」みたいなものに向かって、果てしない努力なんてしないもの。

今日だけじゃなくて見果てぬ未来(という名の老後)のために労働したり、媚を売ったりしないもの。

がんじがらめのルールに疲れ切ってでも、身体に鞭を打ってまで段取り良く生きることに頓着したりしないもの。

ああ、動物になりたい。

今日必要な分だけ頑張りたい。
それでいいの。
それがいいのに。

なんで人間はできないんだろう。
なんで私たちはよりよく、より多くを求め続けないといけないんだろう。

私たちは求めることをやめられない生き物だ。
求めることをやめたら、不幸が訪れるから。
いつか訪れる不幸に怯えて生きるしかない生き物だから。

いや、本当に?
本当に出来ない、かな?


出来ないと思い込んでいるだけかも。


今日の分だけ頑張る。
未来への保険をかけ過ぎて疲れる日々からの解放。

あ、私、そういう生き方がしたいんだ。


受験勉強も、就職活動も、全部全部息苦しかった。
今頑張らないと不幸になりますよ、と脅されているような窮屈感。
頑張ったけれど、私はそれによって幸せな未来を勝ち得ただろうか。


私は、素晴らしい誰かのように、何かを成し遂げるために頑張っていたわけではなかった。

夢や目標を叶えるために頑張っていたわけではなかった。

夢や目標がないとダメなやつな気がして、そう思われたくないと気にしていただけだった。

夢や目標を無理矢理作っては、身体の悲鳴を無視しながら、息苦しい世界でもがき続けてきた。

息苦しい日々の中で、本当の望みは生き苦しさからの解放だった。

今頑張れば、いつか楽ができる。


そんな言葉を心の拠り所にしていた。

望んだ「いつか」はずっと来なくて、ただ、形を変えた息苦しさを感じる毎日が、延々と続いていた。

そんな私の、心の叫び。
動物になりたい。


限りある命を生きるのに、
際限のない努力は必要ないのかもしれない。


今日、生きている。
今日、食べている。
今日、暖かい布団で眠れる。

そんなことを繰り返す先に、穏やかな未来があるといい。


今より成長しなくていい。
今より幸せでなくていい。

比べなくていい。
考える対象は、いつだって今のことだけでいい。


白銀の世界で、
白い息を吐く。

ひとつの答えを胸にしまって、
無心で満員電車に乗り込んだ。

機械的に運ばれていく、私。
自由なんてない。

けれど、不思議と息苦しさを感じなかった。


知らない人たちとおしくらまんじゅうしながら、車窓の景色をぼんやり眺めた。


不安から解放されたかった。
それが私の望みだった。

それがわかった今日、
私はひとつ、強くなった気がした。




ロン204.



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