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ある高校生からのお手紙への返信

今回の記事は, 次のメッセージへの返信です. ぼくとしては思うことを思うままに綴っただけなのですが, Twitter上で予想に反してたくさんの反応を頂きました. まことにありがとうございます. Twitter の特性上, 即興で綴ったので言葉足らずなところも多く, またいわば私信でもあるのですが, 改めて加筆しまとめておきたいと思います.

私はいま高校生ですが、大学数学に対して憧憬の念を抱いています。言葉がかっこいいとか、そういう不純であると断じても過言ではない類いの動機です。
いわゆる定期試験ができて模試で点数を取れないタイプなので、はっきり言って数学に向いていないと思っています。考えるのも得意ではありません。
こんな人間にどんな形で大学数学の習得を勧めますか?

2つの疑問

 お手紙, ありがとうございます. 数学に憧憬の念を抱いている高校生とのことですが, ぼく自身そうでしたから, なんと言いましょうか, 郷愁と心安さとが一緒になったような何とも嬉しい気持ちでおります.

 それでも頂いた文章を拝見すると, 少し不安を感じるところもないではありません.

 この文章を読んで, 2つの疑問が浮かびました. ひとつはあなたは「数学をする」ことがお好きなのでしょうか?, もうひとつはあなたは数学を学びたいのでしょうか? です. この2つの答えがともにイエスでないと「どんな形で」という方法の話に進むことはできません.

 逆にこの2つの答えがともにイエスなら, 数学をどう学ぶかという方法の話にはいろいろ可能性はあろうかと思います. ぼくの基本的な考えを述べておくと「大学数学を学ぶのに大学の数学科以上の環境はないだろうけれど, 数学科に行くことが総てではない」と思っています.

 では, 2つの疑問について, 順番にご説明します.

「数学をする」ということ

 ます,「お好きなのだろうか?」という第一の疑問についてです. 憧憬の念, 憧れているのだから好きに決まっていると思われるかもしれませんが, ここで申し上げているのは「自らの手と頭を働かせて数学に取り組む (高校生なら, 例えば問題を解く) のは好きですか?」という意味です.

 数学を学ぶ行程は, 机に向かい, 積み上げた文献を前にうんうん唸る地味なものです. 自分で考え, 手を動かさねば身に付きません. この営みをその筋の人は「数学をする」という不思議な言い回しで表します. これが好きなことは, 数学科に進学する人の最低限の必要条件だと思います.

 数学を実際に学んでいる人にとって, この「数学をする」という行為は, 自らの数学的世界を押し広げ, 整備し, 世界として完成させることに他なりません. アルピニストが山に登るのと同じ意味で, 数学徒は数学をするのです.

 アルピニストの例を続けると, ぼくの疑問は「あなたは山が好きとおっしゃっているけれど, 山登りは好きなのでしょうか?」と言うことです. 山が好きということと, 山登りが好きということは別物です. 両者の違いがお分かりになるかと思います.

大学の数学科という選択について

 次に「数学を学びたいですか?」です. 数学の学び方にもいろいろありますが, この疑問は「その場所は大学の数学科でなければなりませんか?」という問いです.

 大学数学を学ぶのに, 数学科が理想的なのは言うまでもありません. それでも, 学びの現場ではときに「憧れ」だけでは済まないこともあります.

 数学科に限らず, 大学の学部学科を選び取ることは, その他の可能性を削ぎ落とすことと裏表一体の関係にあります. そうまでして数学科を選ぶ覚悟はあるでしょうか?

 数学科に進学したら, 最低4年, 先ほど述べた「数学をする」という営みを楽しみ, また苛まれる日々が続きます.「高校の頃, 数学ができたから」という理由で数学科に進学してしまって, 苦労している人を何人も見ました.

数学を学ぶこと

 この2つの疑問に対する答えがともにイエスであることを前提として, なお数学を学びたいと思われる場合には, できることはいくらでもあります. それは, 数学科を選ぼうと選ぶまいと, です.

 まず「向いているか」を自分で決めるのは止めましょう. 向いているかは数学が決めてくれます.

「模試で点数がとれないタイプ」とご自身のことを仰っていて, その真意は精確には解りませんが, ぼくの印象ではさほど問題にならないように感じます. 覚えるべきことはありますが, 時間をかけて誠実に理解しようとすれば歯が立たないことはないと思います.

 また, 大学には教員がおり, 共に学ぶ友人がおり, 困ったときに駆け込む図書館があります. 独学に比べ, 大学を選んだ場合の利点は主にこの3点です.

 逆に独学を選ぶ利点は, 時間の縛りがないことです. 確かに大変な, 途方もない道のりですが, 好きなだけ時間をかけてあなたはあなたの道を歩くことができます.

数学を学ぶと決めたあなたへ

 もうひとつ言っておきたいことは, あなたが数学が好きでいるために, 数学ができる必要はないということです. 数学ができることが偉いわけではなく, まして数学はできる人だけのものでもありません.

 どんな道を選ぼうとも, あなたがあなたのやり方で数学を好きでいることは, まことに素晴らしいことと思います.

 ぼくも最近になって知ったのですが, 世間には実に多様なかたちで数学を愛好している人がいらっしゃいます. 数学のプロが究めたいと願う最先端の数学を学びたい人がいらっしゃる一方で, あらゆる分野に通暁したいと学び続ける人がいらっしゃいます. ありふれて見える数や空間のひとつひとつを愛でるような楽しみもひとつのあり方です.

 これらの方々に比べれば, 可換環論という決して大きくはない分野の, わかる範囲のことを学んで満足している自分がずいぶんちっぽけな存在に思えてきますが, しかしそれもまた数学に対するひとつのあり方だとぼくは信じています.

 これから, あなたがどのような道を見出し, 如何様に数学と付き合っていかれるのかは判りませんが, 数学があなたの生涯を豊かにするものであってほしいと強く願っています. 健闘を祈ります.

Twitter数学系bot「可換環論bot」中の人。こちらでは数学テキスト集『数学日誌in note』と雑記帳『畏れながら申し上げます』の2本立てです。