ネット書店に欠けているものはリアル書店なら足りるか。

◆ぼくは愛知県の海辺の田舎町に生れ, 大学生活を名古屋で過ごしました. あるとき感じた彼我の差は, どうしたら埋まるのでしょうか.

 ぼくは愛知県の三河湾に面した片田舎, より正確には毎年十二月に「討ち入られる」あの方の地元に住んでいます. 気候は穏やかで雪もほとんどなく, まだ地元にも仕事があり, 特に不満なく暮らしています.

 ただ, その不満のなさは, 名古屋まで電車でも車でも小一時間という立地が支えていることは間違いありません. 同じような規模の都市に住んでいても, 名古屋クラスの大都市までの距離によって確実に失われるものがあるからです.

 そのひとつが「文化資本」と呼ばれるものです.

 最近, 名古屋とぼくの地元とで, その差を痛感する出来事が2つありました.

 ひとつは「高校の選び方」です. ぼくの妻は名古屋生まれ名古屋育ちの生粋の名古屋人で, その妻がこともなげに言ったのです.

「高校は部活で選んだ. 同じような高校が2つあって, おもしろそうな部活がある方にした」

 ぼくは本当に驚きました. ああ, 文科系の部活が高校を選ぶ理由になるんだ, と.

 スポーツ推薦で私立高校へ進学するケースは (稀にですが) ぼくの身近にもあったので, それは理解していました. 取り立てて学びたいことがある場合は, そのような科がある高校を選ぶのもわかります.
 しかしそれ以外の場合, ぼくの周囲にあったのは「偏差値で輪切り」という構図だけでした. 偏差値のレベルに応じて上位校から下位校までほぼ一列に並んでいて (三河地方は特に私立高校が少なく, 特別な事情がなければほぼ全員が公立高校を受験し進学します), その中で自分の身の丈に合ったところを選ぶのが普通でした.

「文科系の部活で高校を選ぶ」そんなことはぼくの周りにはなく, 考えもしないことだったのです.

 そして, もうひとつは「本屋がないこと」でした.

 誤解のないように言っておくと, それなりの規模の書店は市内にいくつかありましたし, 今でもあります. 自転車通学の高校時代は, 帰りに書店や古本屋を覗いて帰るのが日課のようなものでした.

 それでも, 名古屋の大学に10年以上通い, 名古屋の書店を回るようになると, つくづく思うのです. 真面目な本が買える本屋がない, と.

 例えば, 数学科の教科書はありません.『数学セミナー』をはじめとする数学系雑誌もありません. 最近ぼくは歴史系の新書をよく読むのですが, ネットなどで見て「読んでみたいな」と思ったものが, 本屋にあるかどうかは半々です.

 よほど珍しい書籍以外はまずある, 市内何店舗か回ればほぼ入手できる. 名古屋の書店事情とは雲泥の差です.

 これをどう埋めたら良いのか, そもそも埋められるものなのか, ぼくにはわかりません.

 最近はインターネットが世界をつなげていますから, どんな本でも「望めば手に入る」ところまでは来ています. ぼくもネットでしか買えない本はネットで購入しています. しかし, それだけでは「差を埋めた」ことにはなりません.

 高校時代, ぼくは数学科へ進学したいと望み, 大学ではどんな数学を学ぶのか知りたいと思いました. そうして頼った図書館で, ぼくはvan der Waerdenの『現代代数学』に出会います. もちろん名著ではありますが, 他に何かなかったかとも思います.
 今ならもっと穏やかな切り口の本だってたくさんあるのです. しかし今ぼくが高校生だとしても, それを手にできるかといえば, 難しいと言わざるをえません.
「ネットで買えばいい」と一言で片付けられそうですが, そう簡単ではありません. そんな本があることすら知らない, どの本がそうなのか分からない, そんな人にネットで買うことなど不可能です. リアルな書店なら棚の前で片っ端からパラパラめくってみることも出来ましょうが, ネットではそれもできません.

 同じぼくが, 名古屋に生まれるか今の住まいに生まれるか (あるいは東京に生まれるか) で, ずいぶん違った人生を送ることになります. ぼく自身はさほどの不利益を感じたことはありませんが, 何人かの人には「この差が人生を分けただろうな」と感じました. もちろん, 出会ったときにはそんなこと思いもせず, 今にして思えば, というに過ぎないのですが.

 ただ, ネット上の膨大なテキスト群は, その「欠けたもの」を埋められるだけの可能性を秘めているように思います. それでもまだ課題は多いわけですが, 確実に時代は変わっています. 可換環論botとしてか別の方法か分かりませんが, その一助を担えるならば, ずいぶん好き勝手に学んできたものにもそれなりの意味があったのかな, と思ったりもするのです.

Twitter数学系bot「可換環論bot」中の人。こちらでは数学テキスト集『数学日誌in note』と雑記帳『畏れながら申し上げます』の2本立てです。