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誰も幸せにしない「イクメン」というワード

自分はもともと「イクメン」になりたかった。しかし、いつからだろう。そのイクメンになりたいという言葉が自分を苦しめるようになってきたのは。

まず背景として、私の転勤が原因で妻が仕事をやめて専業主婦になり、その後、ほどなくして娘が生まれた。なので、もともと妻は専業主婦を望んでいたわけではない。そのことで、私も妻が仕事をやめたことへの負い目があり可能な限り子育ての負担を分配したいという思いがあり、自分はイクメンになりたいと考えるようになった。ただし、どうしても妻のほうが子供といる時間が長く、子育ての主導権は妻のほうにあり、私は支援的な役割が多くなっていった。

問題は自分のイクメンになりたい、という思いが無意識のうちに妻から評価されたい、という思いになっていたことだった。イクメンという言葉は所詮他者(主に妻)からの評価に過ぎない。この状態は会社員が自主的に会社の利益を考えて動くことなく、上司の評価だけを気にして仕事をしている状態に近い。そんな状況で仕事が楽しいはずはないのは自明だろう。

そして、この状態は妻側から見ても楽しい状況ではない。共同経営者とみなしているはずの夫が新入社員並みの働きしせず、しかも決められた義務をこなしているだけで「私はイクメンです」などと言おうものならイラっとするのも当然だろう。

よほどのキャリア志向の女性を除いて、母親は本当に命と人生をかけて子育てに取り組んでいる場合がほとんどだ。残念ながら善悪は別として、事実、妻と夫の間に経営者と新入社員ぐらいの気持ちの隔たりがあるケースは少なくないと思う。

話を自分のことに戻すと、私は次第に妻からの低評価にストレスを溜めるようになっていった。そして、だんだんと自分が妻のために育児をしているのか子供のために育児をしているのか分からなくなってきた。家事は義務感になってきた。当時仕事もトラブル続きで長時間残業も常態化しており、娘はちょうどイヤイヤ期まっただなかで、私も(そしておそらく妻も)精神的に限界を迎えていた。

そこで、私は「イクメンになろう」という思いを完全に捨てた。ここで、私の言うイクメンをやめた、という言葉の意味は「妻からの承認欲求を目的とした子育て」を完全に捨てたという意味だ。娘にとって必要だと自分が思うことをやろう、と。妻からの指示で動くのではなく、自分がシングルファザーになったと仮定し、何をやるべきかを自分の頭で考えてそれをしよう。家での過ごし方をすべて妻に従う必要はない、と。

それ以来、子供の声だけに集中するようになり、はっきりと娘といる時間が楽しくなった。あれから2年たち、娘も4歳になったが、今では妻が外出しているときなど、娘と二人で過ごすことも珍しくない。そんな時に娘が楽しそうに過ごしている姿を見るのは至福の時だ(当然、癇癪を起こされたりしてイライラするときもある)。

当時、自分がイクメンになろうという思いを捨てたころに、オリエンタルラジオの中田敦彦さんが同じようなことを言っているのを見つけた。中田さんはイクメンではなく、良い夫という言葉を使っているが、世の中、イクメンという言葉に勝手に悩んでいる男性は意外と多いのではないかと思う

結局、育児にしろ仕事にしろ他人の評価を気にして何かをするということは、とてもストレスだということだ。特に育児なんて人の評価を気にしてすべきものではない。イクメンという言葉は今でも本当に嫌いだ。そもそも言葉の響きが人を小馬鹿にしている。

年末の休みを迎え、娘と遊ぶ日が続いてついこんなnoteを書いてしまった。今の自分にとって娘が健やかに育ってくれれば他は些細なことだ。育児すらも他者からの評価を気にしながら行うなんて、本当に不幸なことだと思う。

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