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天に召されて

必要な時に、必要な人が現れてメッセージをくれる事があります。

バリ島のウブドで瞑想している時、大好きだった祖母が現れてこう言いました。

「パパをお迎えに、もう、近くまで来ているよ」

穏やかで優しい笑顔の祖母に私は、

「シンガポールに帰るまで待ってて。

そして日本に行くまでに数日下さい」

と伝え、

バリからシンガポールに戻ると

真っ先に冬用のブーツや黒い服を買いに行きました。

そしてそのまさに次の朝兄から連絡が入り、

その日の便で日本へ飛ぶ事ができました。

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父の身体はまだ柔らかく、

まるで眠っているかの様。

「パパ、ろみ、来たよ。パパ」

と声をかけると、

動かないけれどもその表情はなんだか微笑んだように見え、私は父の胸に手を置きながら、

「パパ、ありがとう、ありがとう」と

何度も繰り返して言いました。

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お洒落が好きで、

ジャケットの袖の捲り方や、

垢抜けた感じのボタンのかけ具合、色合い等を子供の時から私に教えてくれ、

自分で教えてくれたのにも関わらず、

「ろみはセンスがいいね〜」

と褒めてくれる父でした。

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私がゴルフカバーやマフラーを編んでお誕生日にプレゼントすると、

お返しプレゼントにティファニーの香水をくれたり、

私の友人が家に遊びに来ていると知ると、

わざわざ人数分の小さなプレゼントを買って帰宅し、

サンタクロースの様に皆に渡して喜ばせていた父でもありました。

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幼稚舎からエレベーターで大学まで上がり、そのままあれよあれよと会社のトップになるという絵に描いたような《お坊ちゃま》人生で、

それでもその中で

級友の加山雄三さんたちと一緒に悪さをして遊んだという《武勇伝》がお得意の父でした。

「仲間の何人かを海の真ん中の無人島みたいな岩に置いて来ちゃって、アイツら困ってたよな〜、ハッハッハ」

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引退後は「ろみ、俺は今、自分大学ってのを作って色々勉強してるんだよ。学生の頃は遊んでばかりいたからな〜」と言って、

インスピレーションノートとやらを作ってそこに自分の興味のあるものや心に響いた言葉などを書き留めたりして楽しそうにしていた父ですが、

段々と身体に支障が生じて入退院を繰り返すようになり、

最後の会話は、

義理の父がドイツから来ていた時に一緒にかけた電話で

「ろみ、なんだかおかしいんだよ。俺、上手く喋れなくなっちゃったんだよ」と

たどたどしい口調で言いながらも、

義理の父にかわると

まるで頭に電流が走ったかのように昔の事が鮮明に思い出されたと言い、

興奮した様子で「またね」と切った日。

あれはまだ、

たった数週間前のことなのに…。

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そんな父が

最後まで書いていた日記を見つけて読むと、

そこには妻(私の母)への感謝の気持ちが毎日綴られていました。


身体が弱っていく自分に対して完全に俯瞰しながら

その健康状態と共に、

ケアをしてくれる妻に対して申し訳ない。

本当に有難い。。と。

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そして昔昔の日記をパラパラとめくって

目に止まったある箇所には、

私の事が書いてありました。

ろみは、自分の事ばかりで、

なんて自分勝手なんだ。

ふざけるなよ。

なんだか、

ジュリアンって奴と

結婚する気配がする。

と。

本当はアメリカから2年後に日本に帰る約束をしていたはずなのに、

片道切符でドイツへ行ってしまった娘。

全て後報告で、

何も相談せずに自分で決めてしまう娘。

結婚に反対しなかったのは、母が応援してくれたかららしく、

父は本当は、心の中では憤慨していたんだな。。と思うと

《結婚する気配がする》という書き方に笑ってしまいながらも、

同時に涙がポロポロと溢れて止まりませんでした。

涙って、本当に《ポロポロ》と落ちるんだ…と感じたほど、

ポロポロと止まらない涙。

「たった一人の女の子だったから、それは、そうよね」という母の言葉に納得しながら、

ごめんなさい。ごめんなさい。心配ばかりかけてしまって、本当にごめんなさい。。と、

とてつもなく心が痛みました。。。

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でもそれも、もう既に20年程前の話。

泣き尽くした後、

まだその辺に浮かんでいるような気がする父に意識を向けてみると、

何だか笑っているような感覚が伝わってくる。


そして私は、
自分の中に湧き出てくる感情を全て感じ尽くしながらも、

一方でその自分を完全に俯瞰し、

全ての状況を完全に俯瞰し、

全部全部が愛おしく感じられる、

この人生ドラマがなんとも愛おしく感じられる


その、内側から溢れてくる大きな愛にただひたすら身を任せ続けていました。

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今またシンガポールに戻り、

身体は疲労し頭も少しボーッとはしていますが、

何だかこれも、この父の《娘》としての役割を一先ず終えた、人生の大きな節目のような、決意のような強さも同時に感じています。

そして、

《私》という肉体に生を宿してくれた両親に、止めどない感謝を感じてなりません。


この人たちが居てくれたからこの、《私》という存在がこの人生の毎瞬の喜びを感じる事ができている。


ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。

私はこれからも、
頂いたこの命を、大切に生きていきます。

そしてパパ、これからもずっと、笑っていてね。

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ここから徐々に通常運転に戻ります。

滞っていたメッセージのお返事も、順にさせて頂きますね。

今後ともどうぞ、よろしくお願い致します

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