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子供を産むこと・生まれること~李琴峰『生を祝う』感想(結末に触れています)

「親ガチャ」という言葉が嫌いだ。

もちろん、現実的には、生まれた親や環境などが子供の人生を大きく左右することはよくわかっている。貧しい家に生まれたら十分な教育を受けることができず、子供も貧しい人生を送る可能性が高くなる。虐待するような親のもとで生まれ育ったら、一生苦しむことになる。

けれど子供は親を選べない。どんな親のもとであろうと、生まれてきた以上は生きなければならない。それが「普通」とされてきた。

李琴峰の『生を祝う』では、胎児が出生前に生まれるかどうか意思表示をすることができる。親のデータ、生まれる家の環境のデータ、さらには日本や世界の現在のデータなどから、胎児の「生存難易度」が算出される。生存難易度の数値が高いほど、しんどい人生が待っているというわけだ。胎児はそれらのデータから、自分が生まれたいかどうかの意思を表明し、胎児が「アグリー(同意)」してはじめて母親は出産することができる。「リジェクト(拒否)」されたら、それまで9カ月もお腹のなかで育てていた胎児を、「キャンセル(堕胎)」しなくてはならない。

現在でも、出生前診断により、胎児の性別や、障害の有無などがわかるようになった。それによって、障害のある子供だったら堕胎するというような母親も増えた。

さらには人工授精の発展で、子供の遺伝子を親の望むとおりのものにすることも技術的には可能だという。髪の色などの容姿や、性格など。そうなってくると生まれる子供は「命」というよりも親の財産みたいなものになってくるだろう。

このように、親の都合によって一方的に生まれさせられている子供にとって、『生を祝う』のように出生前に生まれる意思を確認してもらえるのは、いいことのように一見思える。しかし、本当にいいことなのだろうか。

たとえば、裕福な親、快適な環境のもとで生まれ育っても、その子供が必ず幸せになれるとは限らない。逆に貧しい親のもとで生まれ育っても、幸せかもしれない。「生存難易度」は、人によって違うのではないか。それに、時間によっても変わってくる。子供のころは生きづらくても、年を取るにつれラクになるということはよくあるし、その逆だってあるだろう。

『生を祝う』では、母親の心境も細かく描かれている。同性婚をしたパートナーとの間に人工妊娠手術で子を宿した主人公・彩華。数度の検査では胎児の「出生同意確率」は97%と高く、子供を産むことになるとなんの疑問も持たずに思っていた。パートナーの佳織とともに、子供の出生を待ちわび、子供を迎え入れる準備を進めていた。

が、出産予定日の一カ月前の、胎児の意思確認をする「コンファーム」で、なんと「リジェクト」と告げられてしまう。動揺する二人。だが検査の結果は絶対だった。

9カ月もの間お腹のなかで胎児を育ててきて、出産を疑いもしなかった彩華は大きなショックに見舞われる。そして、どうしてもこの子を産みたい、と思うようになる。リジェクトされたのに産むのは、罪になる。「辛いけど今回は諦めよう」と彩華を説得する佳織。佳織は実際に妊娠していないから、彩華の気持ちがわからない。彩華は反発する。二人の間に溝が広がる。

母親にとって、胎児に拒否されることは、世界が終わるに等しいことだ。大事に育んできた命を、捨てたくもないのに捨てなければならない。死ぬほど辛いことだ。

どうするのが正しいのかわからず、悩み抜く二人。そして佳織は、「彩華がどうしても産みたいなら、産んで育てよう。リジェクトしたのを後悔するくらい、この子を幸せにしてあげよう」と言う。そう。子供が生まれてくる、これは、何にも代えがたいことじゃないか?どんな状況であれ、子供が生まれてくることは、祝福されるべきじゃないか?母親だってそれを望んでいる。だったら産んで、大切に大切に育てて、子供を幸せにしてやればいいのだ。

が、彩華の答えは予想外のものだった。彼女は言う。

「佳織が言ったように、私たちがほんとにものすごーく頑張れば、この子を幸せにできるかもしれない。自分の選択が間違ってたって思えるくらい、幸せにできるかもしれない。でもそれだけじゃ、やっぱり駄目な気がする。一人の人生の、ほんとに始まりの始まりのところで、既に何か大事なものを奪われているというのは、やはりよくないと思った。人生の初っ端から自分の意思が無視されたという事実が、この子にとって一生解けない呪いになるかもしれないって、そんな気がするの。」

なにが正解かはわからない。あれこれ考えず、産んでしまえば案外うまくいくのかもしれない。でも、きちんと納得した上で産みたい、という彩華の気持ちもわかる。

誰かに子供が生まれた、と聞くと、すべての人が笑顔で「おめでとう」と言う。「子供が生まれる=祝福」という意識が、人間には刷り込まれている。しかし、本当に祝福だけなのか?そこには呪いもあるのではないか?子供にしたら、生まれたくなかったのに勝手にこの世界に産み落とされ、強制的に生きたくもない人生を生きさせられるのだ。出産はある意味、暴力的でさえある。

子供を産むこと、子供が生まれてくること。当たり前のようで当たり前でない、これは奇跡。正解がないまま、ただ自分が正しいと思うところを信じるしかないのだ。


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