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写真ってなんなんだ、と思った話

気になっていた美術館での展示に友人が行ったという話をInstagramで見て、すぐに「私もそれ行きたいんだよね!」とメッセージを送った、ある日。
友人から返ってきた返事は

「面白かったけど、写真を撮りに来てる若者がいっぱいで見辛かった。」

というものでした。
写真を撮りに来てる若者?と思いながらも、美術館に行った頃にはそんな返信のこともすっかり忘れていてやっと来れたということにわくわくした気持ちでいっぱいでした!

そう、会場に入るまでは。

会場に足を踏み入れた瞬間、スマホを持っている人、人、人…。

確かに会場は撮影OKとは書いていたけれど、これは作品を撮っているのではなく、おしゃれなところに行って来たよっていうSNS用の写真を撮ってるだけなのでは。

彼の言っていたことを一瞬にして理解した気がしました。
異様な空間に怯みつつ、その隙間を掻き分けて展示を見て、1番最後に来たはずなのに誰よりも早く次のスペースへ。

そこでもあちこちから聞こえるシャッター音に、一体これはなんなんだろうと言葉を失いました。

以前、学芸員の人に教えてもらったことがあります。
海外では美術館内の撮影がOKなところもあるのだと。
日本は撮影NGの展示が多いと感じていたので、写真OKなところがあるんだと当時の私には新鮮でした。
でも、それは気になった作品を覚えておくためというような作品ベースの理由だと思います。

今、目の前に広がっている光景はこの作品が気に入ったから忘れないように撮っておきたいではなく、こんなおしゃれな空間に行って来た私を残したいという作品ではなく自分ベースの理由。

美術館はそんな理由で撮影をOKにしたんだろうか?もちろん、その写真がSNSで拡散されることによって来場者数は増えるかもしれないけれど。
結果こうなってしまっただけで、最初からそれを想定していたんだろうか?
そもそもここに来ている人は本当に作品に興味がある?

作品を見に来たはずなのに頭の中は作品以外のことでいっぱい。
それではあまりに作者に失礼なので一旦頭を冷やそうとベンチに座りましたが、高い天井に反響するシャッター音が鳴りやむ事はありませんでした。

そもそも写真って何なんでしょうね?

「写真映え」とか「インスタ映え」とか言い始めた辺りからずっと違和感を感じてきました。
素敵なものだから写真に撮りたいんじゃなくて、写真を撮るために素敵にしたい心理。手段と目的を履き違えている感。
それがどんどん世の中に浸透して、写真映えありきなお店も誕生して。

写真っていつから自己顕示欲を満たす手段になってしまったんでしょうか。

私は写真を始めたときから心が動いた瞬間を、その瞬間だけのものじゃなくできる写真の力に感動して、写真にすることで撮影時の記憶さえも呼び起こす写真って素晴らしいものだと思って、その時を止めることができる宝物をコレクションするような気持ちで写真を撮ってきたけど。

でも、写真ってもうそういうものじゃなくなってしまったんでしょうか?

大切に想っているものが貶されているような怒りと悲しさを感じます。






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