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妖が見える女

 突然だが、私は人ならざるものが見える。
 雨の中で古書堂通りを歩きながら何を言っているんだと言われそうだが事実だ。現に道を歩いていると人間とそうではないものがいるのが良く見える。
 あ、向こうの歩道で男の人が何も無いとこで躓いてる。よく見ると小さい石のような棒のようなものが見えた。あの人周りをきょろきょろしているから多分アレが見えてないんだな。可哀想に。何も無いところで転んだと思ってしまったのだろう。本人のせいではないけどそういう風に周りからは見られてしまうし、本人もそう思ってしまう。
 まあ、見えない以上仕方ないか、最近お気に入りのバナナジュースに刺さっているストローをかじりながらそう思った。
 それに、オカルトティックなことではないし、怖い話でもない。よくある話だ。貴方が気が付かないだけ。
ちなみに、オカルトに分類したら色んなところから怒られるかもね。文化であり、娯楽であり伝承や時に風刺であった彼らにもね。
 人ならざるものが見える時点でオカルトだろうとか、ただの幻覚だろうという人はいる。私もそうだった。幽霊とか、そういう目には見えないものは信じなかったし、非科学的過ぎて信じるのも馬鹿馬鹿しいと感じていたほどだった。
 数年前に事故に遭うまでは。
 この手のものにはよくある話だが、交通事故で頭をぶつけてから見えるようになった。最初は頭を打った影響かと思ったのだが、検査で異常がなかったので脳内の配線が少し狂っただけなのだと思うことにした。それに、特に日常生活に問題はないので気にする必要はない。
 問題はないが見えるならではの困りごとはある。害のない奴はいいのだが、人にとりつき害を及ぼすやつがいる。
 例えば、朝の通勤時間に電車とかに乗っていてサラリーマンのおじさんに禍々しい何かついているのを見たとしよう。一概に悪いやつとは言えないので払わないでそのままにしておく。すると、大抵夕方のニュースでそのおじさんのみに不幸があった報道が流れる。つまり、引っ付いていたやつは害をなすやつで、おじさんはそいつのせいで不幸な目に合ったことになる。見えているのだから止めればよかった、という思いと止めたとしても当の本人には見えていないのだから無駄だという思いが同時に湧き上がる。まさにジレンマだ。
 勿論、これが毎日あるわけではないし、異形が全て害をなすものではない。いや、訂正。大きな害をなすものではない。転ぶのは害と言えば害だし。
 なんなら、見ていて可愛い物や面白いと感じるものの方が多い。たまにドン引きするようなのもいるがそれは敢えて黙っておく。
 あと、人ならざるものとか、異形と言うと幽霊を想像されるかもしれないがそっちは全く見えない。私が見えているのは”物の怪”とか“妖怪”などと呼ばれている者である。
 勘のいい人なら先程の発言で気が付いたかもしれないが一応言っておく。
 あと、幽霊は普通に怖いけど信じていない。信じたくない。幽霊は人の魂とかいろいろ言われるが、怨念とかだとどう対応していいかわからないし、憑りつかれたら妖怪よりたちが悪い。それに、話し相手にもならんだろうし。
 ふと、視界の片隅に大きい子どものようなものが見えた。
気になって振り返ると、そこにいたのは、傘を差した怪しげな和服の男の人と、異形がいた。頭と頭にかぶっている傘は大きく、だるまの模様の着物を身につけ、紅葉の型が押された豆腐を持った小僧だった。
恐らく豆腐小僧だ。初めて聞いた人は調べるか、妖怪大戦争を見るかなんかしてくれ。一応、本にもなっているからそれを読むのもありかもしれないが。
 とにかく、頭が大きい小僧が豆腐がのったお盆をもって歩いているというのを想像してくれればいい。それも駄目なら愛嬌のある小僧の二頭身キャラが豆腐を持っていると考えて欲しい。
怖いというより奇妙だし、出オチ感がすごい。豆腐小僧自体はある小説で読んで以来、結構好きな妖怪ではあるが実際に対面するとは。なんだか、嬉しいような悲しいような、何とも言えない微妙な気分になった。
そんなことを考えながら見ていると、豆腐小僧と目が合った。しまった、と思ったときにはもう手遅れだった。
 豆腐小僧がにこにこしながら自分の真後ろに立っていた。意外とデカいし圧がすごいなと思った。しかも喋らないし。
てっきり某小説の豆腐小僧みたいに煽ってくるのかと思った。
豆腐小僧はただ、私の真後ろに立ち豆腐を差し出してついてくる。くっ、可愛いなあって当たり前か。豆腐小僧は江戸時代の豆腐屋のCMキャラクター的なものだし。怖かったらキャラクターとして使えないもんなあ。ただ、多分付け加えられた創作なのだろうとは思う。豆腐小僧の豆腐を食べると身体がカビだらけになるとかならないとか。お豆腐屋さんのキャラクターなのにそれでいいのかと思う。まあ、豆腐は食べ物だし、あんな風に持ってたら衛生的に不安だし、無くはないのかなあとは思う。
 そんなことより、今のこの状況である。
 何の目的があるのか、豆腐小僧は付いてくる。
 ただ、喋らないことを言いことに、しばらく無視をしているとなぜか視線だけで圧をかけてきた。
ただ、目的が全くわからない。こうなったら私と豆腐小僧の我慢比べだ。
 しかし、だんだん圧が強まってくる。それに、なんだか可哀想になってきた。
 これは話しかけるべきか否か。段々圧が強くなってきた。
 ちらっと後ろを振り返ると、豆腐小僧は大人しく私の後ろを付いてきていた。ただ、距離が縮まっているような気がする。現に、振り返るたびに大きな顔が近くなってきている気がする。
 それでも、必死に無視していると今度は豆腐を持ち上げて目を見開き、更に顔を近づけてきた。無言の圧がすごい。
 ここまでされると流石にきつい。笑いをこらえるのも、無視するのも必死になってくる。
 限界だ。降参、完全に私の負けだ。それに、こんな可愛い妖怪を無視するのもなかなかきつい。
 立ち止まって振り返ると、豆腐小僧も私の一歩後ろで立ち止まった。
 思い切って声を掛けようと口を開こうとした瞬間のことだった。
 先程までこの豆腐小僧を引っ付けていた和服の男性とすれ違った。すると、豆腐小僧はまた、その男性に付いて行ってしまった。
 えっ? と思っていると男性は少し行ったところで立ち止まり、振り返ってこちらを見た。
 先ほどは、傘のせいでよく見えなかったが、男性は結構歳のように見えた。雪のような白い髪を後ろで束ね、前髪が左目にかかっていた。肌は老人のようにしわだらけだったが綺麗だった。着物は暗めの色で、黒っぽい茶の羽織を羽織っていた。傘を持つ手には黒い皮の指だし手袋のようなものを付けていた。どことなく、怪しい雰囲気を感じるのは雨でどんよりしているせいなのか、この男性から発せられているものなのか全くわからなかった。
 男はふっと笑うと豆腐小僧とともに姿を消した。文字どおり、歩いて行ってしまったのではなく、文字どうり忽然と消えてしまったのだ。
 呆然と消えたほうを見ていると渋い男性の声が、脳内に響いた。
 ――妖怪なんてのはただの事象に過ぎない。別段、不思議なものでも何でもないのだよ
 
 その日以来、私は人ならざるものが見えなくなった。
 もしかしたら、最初からそんなものは居なかったのかもしれない。あるいは、あの都市伝説が、雨の日に怪しい和服の男を見かけると何かを失うという都市伝説が関係しているのかもしれない。
 そこまで考えて首を横にふった。
 非科学的過ぎるし、都市伝説はあくまで都市伝説だ。そんなことがあってたまるか。
 妖怪や怪談話が文化であるから楽しいように、都市伝説は都市伝説だから面白いのだ。
 そう自分を無理矢理言い聞かせ、バナナジュースを一口飲んだ。甘い。甘いは甘いがざらっとした違和感が下に残った。
 ふと、空を見上げるとあの日であった男性のように、何かが笑っているような気がした。

年末最後の挨拶(あとがきに変えて)

 久々の浮上になってしまった。あまりにも今年は忙しすぎた。

 皆様、お久しぶりです。覚えていらっしゃるでしょうか。椿綾羅です。
 私自身、少しドタバタしていて、全く更新できない上にいろんなものに嵌まり創作をおろそかにしていました。
 本当に不甲斐ないです(反省)……。
 今年も残るところあと数十時間。原稿も仕事もできていない。
 酒を飲んでは食っちゃねしている。太る原因ですね。
 なので、自分なりの罰ゲームとして没ネタを年末に挙げるという謎の暴挙に出てみました(白目)。
 来年は、きちんと創作をして提供できるよう、精進してまいりますのでよろしくお願いいたします。
 そして、本作ですが自分でもわけわかりません。多分、京極夏彦先生の「京極堂シリーズ」か「豆腐小僧」に魅了されて勢いで書いたんじゃないですかね……しらんけど。
 なんせ、去年の没ネタ。何も覚えていない。なんということでしょう!
 
 はい。ボケはここまでにして。
 
 今年は誠にありがとうございました。
 来年もよろしくお願いいたします。
 それでは、よいお年を!

12月31日 寒い仕事部屋から椿綾羅より

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