人を理解すること


前の記事でも書いたかもしれないけれど

私の周りは、良いのか悪いのか

「人の役に立ちたい」

という意志の強い人が多い


いや、きっと良いことなんだろう

元気なさそうにしていたら声をかけてくれるし、いつでも相談してともいってくれる、さらに最近どう?と電話もかけてくれる

しかし私は贅沢な悩みかもしれないがこの環境がかなりプレッシャーで

相手の体験談中心のアドバイスにはいつも絶望している


他にも本音を聞かせてと説得させられたりすることなどに、違和感や恐怖を感じ自分から悩みを話すのは滅多に無い

この絶望感や違和感は、10代の頃から感じていたが、なかなか言葉にできなかったが、明確にこの感情を表している言葉を見つけて浄化された


“私はあなたの影響を受けることに対して怒りを覚え身構える。
もしかすると罪悪感や恐怖感かもしれない。“        
                                               『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』
スティーブン・R・コヴィー 著、フランクリン・コヴィー・ジャパン 翻訳


『7つの習慣』によると、

人の話を聞く際、理解に徹する大切さを説いており、相手の話や相談に対して自分の経験談話し、アドバイスすることなど

自分の経験談や考えを相手に照らし合わせる行為は相手の          相談を理解しようとしていない行動なのだ

これでは相談している側も相手は自分の話を理解しようとしていないと察し、 前途の違和感などに繋がる


私はこの仕組みを知って、自分の感じていた違和感が確信に変わり、アドバイスをしてくれた相手を心の中で攻めるようになった

「なんて無知で想像力がないんだ」「自己中心的な発言に気づいてほしい」

悶々と私は1人で苛立っていた


しかし、私は気づいたのだ、私の原点とも言っていい            若林正恭さんの著書『ナナメの夕暮れ』

にて若林さんは

なぜかできる人は、なぜかできない人の気持ちがわからないとの内容を綴っていた。

私自身、人の話聞くとき、理解しようと努めることができる

相手の感情や聞いて欲しそうなことを察知し質問したり、うまく相槌を打ったり、リアクションしたり、相手の言葉を素直に信じ共感したり

いわゆる傾聴力が私は優れている(自分を褒め慣れていない様子の絵文字)(汗)

しかし私に頻繁にアドバイスしてくる人はこういった傾聴力が私より欠けているのかもしれない


つまり私は、人の話を理解する方法がわからない人になんで理解できないのと攻めていたのだ(直接は攻めてないけど)

私は“なぜかできない人”のことを理解していたつもりだったが、まだまだできていなかった


私はひたすら苦手な相手をうまくかわす術を身につけていればいい

相手を攻めることは時間の無駄なのだ(再々確認)

相手は私のように器用にできないし、私も相手のように器用にできない





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