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創作大賞小説部門応募作 『山の民 サンカ』 その6 日本にはサンカと呼ばれ蔑まれた山の民が居た。彼らを書き残したい。 

その5より続き

差別に生きた最後のサンカ

 淡路島はサンカが多かったらしい。
 
 僕は大人になり、淡路島を離れて大阪で暮らしていた。子供の頃、山で見た山の人たちのことは忘れていなかった。休日は、図書館か本屋さんで本を物色し、カフェに行き読書。たまにそこに映画が加わる。
 生活圏内に本屋さんと図書館と映画館とお気に入りのカフェ。淡路島での海と山に囲まれた生活とは一変した憧れの生活。都会でのシンプルな生活。サンカについて書かれている本を見つけたのは図書館だった。
 これだ。これが子どもの頃見た山に住んでいた人たちだ。
 鳥肌がたった。
 本当に居たんだ。と思った。すぐにその本を受付に持っていき、カフェに行くのももどかしく図書館の椅子に腰掛け読み始めた。夢中で読んだ。
 山の人たちがサンカと呼ばれていたのをその時に知った。
 全国に居たと書かれていたが、淡路島にも多く居たと書かれていた。呼び名は地域ごとで違っていたと書かれていた。全国の至るところにあのような場所はあったのだろう。
 サンカの人たちは、ひと家族で過ごしている場合が多く、多くても数組の家族で暮らしていた。移動する時もその数家族で移動した。ジプシーのように集団での生活ではなかったようだ。数家族で移動した方が、安全だと書かれていた。しかし、僕は、それよりもひと家族で広い山の中で暮らすのは寂しすぎる。話し相手が居たほうが楽しいだろう。それで数家族で暮らしていたのではないかと思った。しかし、これは後に大きな間違いだったとおじいさんと話した時に気付かされた。それに、小学生の時に僕の見たあの場所では大集団では利用するには小さすぎる。淡路に居たサンカの人たちが使っていたものと考えて間違いなさそうだった。
 移動は全国にまたがるものではなく、それぞれに持ち場があるようで、京都から岡山くらいまでとか、奈良と和歌山とかにそれぞれ持ち場があり、そこを回っているようだった。
 持ち物は二、三個の食器や刃物。住む場所に、前に住んでいた人が残していれば、そこを使い、なければ木を切り出し簡単なものを作る。数日だと風呂敷でテントでも作ればいい。
 サンカには親分やリーダーと呼ばれる存在はいない。それぞれが独立して自由な生活し、誰にも支配されず、誰の干渉も受けず、自己の思うままの生活をする、自然とともに生きる漂泊の民。独立自尊の思想に生きる人のように書かれてもいたが、僕はおじいさんに聞いた話からもそんな硬い言葉ではなく、欲望の少ない人、山で自由に自分にあった生活をした人たちなんだろうと思う。もし、サンカがサンカとして生存が許されたのならば、今もそのままの生活をしていたのではないだろうか。
 
 サンカがどのようにして滅びたのかも書かれていた。

 明治時代になり政府により一所不住の無宿者を取り締まる『無籍無宿』対策が厳しく実施された。
 義務教育を受けたこともなく、納税義務を果たすこともなく、徴兵制からも漏れた浮浪者が、まだ各地を徘徊している。彼らは文明開化の波から置き去りにされた棄民である。戸籍登録から漏れた浮浪者の存在は国家の恥だ。彼らは、生活に窮しているので、違法は犯罪に走る可能性がある。社会の安寧秩序を保つためにも、早急に一掃されねばならない。
 それは新聞でも取り上げられ、彼らはしだいに市民生活の中に入り込んで定住生活を営むようになった。その頃に山窩の文字が使われるようになった。
 サンカは数家族が集まって町やムラに入村したが、その場合は、被差別部落だった。もう一つは、大都市のスラム街、貧民窟に紛れ込む。部落や、スラム以外にサンカを受け入れてくれる場所はなかったのである。
 部落やスラムでも完全な無宿者であるサンカは、一段低く見られていた。それで、仕事もなく、その場からあぶれたものは、再びサンカへと戻っていった。それが一九五〇年代の戦後まで続く。戦後の戸籍制度や教育制度が全国民に届くことにより完全に、静かに消滅した。
 しかし、想像するだけで山で暮らしてきた人が、社会に溶け込んで生きていくのは苦労しただろうなと思う。
 住む場所が政府から与えられたとしたら、大地の上で眠っていた彼らからしたら、まずその狭さに驚いただろうし、その狭さに狂う人もいたのではないだろうか。役所に行き、自分の住む場所を届け出なければいけないかも理解できないだろうし、文字もわからない。
 その上、スラム街や貧民街に住むとしても、そもそも彼らは生活スタイルが違うだけで貧しくない。
 それがいきなり差別される。屈辱だったでしょうね。それでまた山へと帰っていく人が出る。充分想像できる。
 しかし、現代でも、生活スタイルや考え方が全く違う人たちが集団でいたならば警戒するだろう。それに彼らは山で生活し、文字を持たず、自分たちとは全く違う道徳観で生きていると当時唯一のメディアの新聞で喧伝されていればそれだけで差別や恐怖の対象となっただろう。
 これが山の民、サンカの最後である。
 縄文人より起源を持つかもしれないサンカの最後は、差別され終わるのである。差別のなかに生きた最後のサンカ。
 自分たちは何も悪いことなどしていない。山で暮らしていただけだ。
 彼らはそう思っただろう。
 救いようのない歴史である。
 差別や生活の苦しさに我慢のできなかったサンカの一部の人たちは、一九五〇年頃まで漂白生活を続けていた。そうであれば、僕たちが山で見たあの景色は最後のサンカのものかもしれない。

続く
その7は現在絶賛執筆中。

#創作大賞2024

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