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創作大賞小説部門応募作 『山の民 サンカ』 その8 日本にはサンカと呼ばれ蔑まれた山の民が居た。彼らを書き残したい。 



おじいさんの思い出

 キーマ。この人がおじいさんの友達で、おじいさんがまだ子供の頃に船に乗り、明日の漁の手伝いをしている時に、キーマがお父さんとやってきて、すっぽんやうなぎ、山菜や薬草を船をまわり売っていたらしい。その時に
「船に乗るか」とおじいさんからキーマに声を掛けたらしい。
「いいのか」とキーマが返事をして、おじさんは、その時の船頭さんであるお父さん、僕の曾祖父に当たる人に「船に乗せてもええか」と声を掛けていいと返事をもらってキーマを船に乗せたらしい。それが二人の友情の始まりになった。
 最初から何か気脈が通じるものがあったのだろう。
 キーマは、船の上では少し揺れるだけで怖がり、釣りを教えても全くだめで、泳ぎは得意のはずだが、海は波があると言って怖がってあまり海に入りたがらなかったらしい。
 しかし、山に入ると、山道を埋め尽くすほど落ち葉があっても関係なく、その落ち葉の上を音もなくすすっと駆け上がる。その駆け上がる姿が、相当スピードが出ているにもかかわらず走っているようには見えなかったらしい。その速さは、おじいさんが欲しに走らないと置いていかれるほどの速さだったらしい。いったん木に登ればから期から降りることなく木から木へと飛び移り、海だと泳ぐのを怖がるのに、川や池だとスイスイと潜り亀やすっぽんを掴み採り、仕掛けを使いうなぎや鮎も捕る。長い時間潜っていて、溺れて沈んだんじゃないかと思う頃に鯉を体に抱えて浮き上がって来たりしたらしい。猟に出れば、一昼夜に渡りイノシシを追いかけ、弓と漁師が大型の魚を割く時に使う程度の大きさの包丁のような刃物で仕留めてしまう。人間業とはとてもじゃないけど思えなかったらしい。
 キーマはおじいさんの事を良治という名からリョウと呼んだ。
 キーマとリョウ。山と海の友達。
 キーマがいくつかの山を巡り、リョウのいる近くの山、故智山に帰ってくるとリョウの居る海に降りてきて、船に顔を出す。するとリョウは海のもの魚やわかめの海藻や塩、それに衣類などを渡す。そして、リョウは山に入り、キーマとともに猟をし肉を得て、山菜や薬草を家に持って帰る。
 そんな時間を何度も過ごし、二人は友情を深めていった。
 海の漁師と山の人、当時はサンカと呼ばれ差別もされていた人がそんな友達になれたのだろうか。おじいさんは、
「海も山も変わらん」と笑った。本に書かれていたような差別は漁村にはなかったようだ。
 数年後。二人は立派な青年となっていた。
 その年も、キーマがやってきた。そして、照れたように
「結婚することになった」と言った。結婚してもしばらくは親とともに一つの家族として暮らし、移動する。リョウは
「おめでとう」言ったけれど、リョウも照れながら、
「わしも結婚する」と伝えた。お互い、笑いあった。キーマは、
「結婚式をするので二人で山に来い。一緒に祝おう」と言った。リョウは軽くわかったと返事した。
 数日後、キーマが弟を連れて鹿を祝いの品として持ってきた。キーマの結婚式の日が決まったので、その日に、リョウも大量の祝い鯛を持っていくことにした。しかし、花嫁が山に登れるのか不安なので、キーマの弟のケアが迎えにくることになった。服装はなんでもいいということだったが、若かりし頃のおばあさんの梅子が、結婚式に恥ずかしいものは着るのは嫌だとダダをこねて、山で着替えるつもりで、二人とも一着づつしかない洋服を用意した。スカートとズボンだ。リョウが二人分の荷物を持ち、ケアがリョウの用意した祝の品をどっさりと背中に背負った。それでもケアは二人の前をスイスイと山を登った。
 式場となる山に弟のケアに案内され到着すると、そこはリョウも知らない場所だった。山の中にこんな場所があったのか。リョウは驚いた。
 山の中に平地があった。近くに川も流れている。こんな開けた場所があったのか。そこにたくさんの人が居た。百人近く居るだろう。山の人たちはこんなにも居るのか。
 ケアは、淡路島、兵庫、岡山、四国などの山で暮らす人たちが集まってくれたと言っていた。みんなこの山を利用している人たちのようだ。
 うっそうとした森を抜けている時からすでに、香ばしい匂いが流れてきていたが、到着するとそこには何箇所かで竹で串刺しにされたまるまるの肉が焼かれ、鍋では魚や野菜が炊かれていて、おにぎりやお団子などもたくさん用意されていた。
 ケアがリョウと梅子が到着したのを知らせるとみんなおめでとうと挨拶してくれた。リョウたちは布で仕切られた着替える場所に案内された。そこには子どもたちが作ってくれた花飾りがいくつも用意されていた。
 着替えを終え会場に出るとキーマと花嫁さんがみんなに囲まれるように座っていた。その横にリョウと梅子の席も用意されており恐縮しながら二人は座った。
 式といっても山の人たちさほどのことななく、キーマの父が山へ、感謝と祈りの言葉を述べて、四人の若者への祝の言葉を述べて、そして、山でともに暮らす生き物全てへの祈りの言葉を述べて、そして犬の遠吠えのように叫んだ。
 そうすると山の至るところからウォ〜とかキィキィ〜獣たちからの返事があり、鳥たちもパタパタと激しく羽を動かす音がした。
 動物たちが集まってきた。
 宴の始まりである。
 人、動物関係なく酒を酌み交わし、笑い、唄う。
 おじいさんがほんとにあの日は楽しかったと二人は微笑みあっていた。ほんとに楽しかったんだろうな。
 僕は、おじいさんの話しを聞きながら気になっていたので、
「みんな動物と話せたの」と聞いた。
「話せたよ」僕が驚くと、
「驚くことはない」と笑って、
「今もみんな話せるやないか」と軽く返事をされた。おじいさんが続けて、
「自分が飼っている犬と話をする人はいくらでもおるやないか。それと一緒や。ずっと一緒におれば話は自然とできる。山で生まれた人はずっと、山で一緒におったから話すのは普通なんやろ。だいたい、人間よりも動物たちの方が多い中で生きていくのに、話せないと寂しいやろ」僕は納得し頷いた。
 
 最後におじいさんには辛い思い出かもしれないが、山の人たちは戦後どうなったのか聞いてみた。
「漁師になった者もおるし、百姓になった者もおるし、街に出た者もおる。それで、それが嫌になって山に戻って行った者も居る」
「キーマさんはどうなったの」
「漁師に誘ったが海は怖いと断り、街で出て建設現場で働いていたが、ある日舞い戻ってきて、山に戻ると言ってきた。今更無理や、すぐに警察に見つかって連れ戻されると言ったけど、人に合わずに山で暮らすくらい簡単やと言って山に戻っていった。それ以降はずっと行方不明扱いや。でも、たまに、玄関に山菜や薬草が置かれてる時がある。和樹が山で見たと言った頃は、まだキーマは山におったと思う」
 本当に僕は山の民の最後を見たのかもしれない。

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