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優雅な読書が最高の復讐である/2020年の読書

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The Millionsが年末に掲載する、作家やライターたちのその年の読書の記録シリーズが好きだ。
そっけない新刊本のベストテンよりもずっと面白い。
新刊本の紹介やランキングは仕事で頼まれることも多いので、プライベートでやるならばこの形式の方がいいなとずっと思っていた。
でも、2020年は色々と落ち着かない年で、後半は体調を崩したこともあってあまり本が読めなかった。だけど、だからこそここで自分が読んで楽しかった(書評用に読んだ新刊本以外の)本についていくつか記しておこうと思う。

年の初め

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 パンデミックによって世界が急変するなどと思いもしなかった年の初め。私は秋に行ったニューヨークで買った「Metropolitan Stories」という短編集とウィルキー・コリンズの「白衣の女」を読んでいた。
「Metropolitan Stories」はニューヨークのメトロポリタン美術館にまつわる逸話の数々を基にした短編集だ。作者のクリスティーン・コールソンは25年間メトロポリタン美術館に勤務していて、作家に転身する前は同館のヨーロッパ彫刻と装飾芸術部門で働いていた。
「カール・ラガーフェルド氏にはミューズが同行します。ミューズは何も話しません。ミューズには言葉をかけないでください」というメモや、何もないのに急に壊れた天使像、展示された家具の下に置かれた鞄などの話は実話らしい。美術館好きの微笑みを誘うようなチャーミングな本だった。(ミュージアムショップの店員に割引が効くからと熱心に説得されて)メトロポリタンの年間会員になったことだし、今年もどうにかニューヨークに行って、この本に出てくるメトロポリタンの作品を巡る館内ツアーを勝手にやりたいと夢見ていた。
「白衣の女」は、どうして今まで読んでいなかったのかというくらい面白くて、本当にノンストップで読んだ。ノーラ・エフロンが夢中になって読んだというのもよく分かる。 “白衣の女”のアン・キャサックや、青髭のような男と結婚するローラといった薄幸のヒロインはどうでもよくて、私にとってこれはローラの従姉マリアンの物語であった。しかし知的で勇敢な彼女、登場シーンでは主観人物の美術教師ハートランドから「ボディはいいけど、ルックスを見たらがっかり」と思われるほど不美人の設定。失礼な。(すぐにハートランドも人柄の魅力が勝ると認めるが)
映画と下着の本のリライトをしていた頃だったので、マリアンがコルセットをしていないという設定に目がいった。彼女が健康美なのも、ローラを巡る陰謀に気がつくほど頭が回るのも、ローラを守るために色々と危険を犯すガッツと体力と運動神経があるのも、みんなそのおかげなのである。ジェシー・バックリーがマリアンを、そして敵ながら彼女に惹かれるフォスコ伯爵をリッカルド・スカマルチョが演じる最新のB B C版も見たい。

Eve's Hollywood

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 あとは基本的にイヴ・バビッツの本ばかり読んでいた。寝た男の遍歴が西海岸ロックとアートの歴史という彼女については、2020年だけで二度も雑誌に書いているのだが、出自や経歴が凄すぎて、いつもそれを書くだけで字数いっぱいになってしまい、どんなに文章が素晴らしいか伝えきれていなくて歯痒い。数年前にNYRB Classicsで「Eve’s Hollywood」が復刻されて以来、作家としての彼女の評価はうなぎ上りだ。私は2年前に「Slow Days, Fast Company」を読んで、2019年にLAに行った時に「Sex and Rage」を読んで彼女のファンになったが、「Eve’s Hollywood」で完璧に中毒になった。拾遺集である「I used to be charming」も、最後の短編集「Black Swan」も素晴らしかった。まるでスコットとゼルダ、二人のフィッツジェラルドが一体になったような作家だ。私は残りの人生、イヴ・バビッツのような文章を書くことを目標にしたいと思う。
しかし彼女の本当の悲劇は90年代後半に大火傷で下半身の皮膚を失って表舞台から消えたことではなく、孤独な生活で保守派ラジオの陰謀論に毒されてネトウヨになり、友人の大半を失ったことにある。書き手から引退して良かったのかもしれない。ロスの夕焼けやタンゴ・レッスンについて書くようにQアノンについて彼女が書いたら、うっかり転がされかねない。この間もSNSで誰かがこんなことを言っていた。
「フラン・レボウィッツの番組はつまらない。同じフォーマットでイヴ・バビッツがロサンゼルスを歩きながら喋る番組があったら夢中になって見るのに。メラニア・トランプの美貌について三時間くらい聞かされるのは覚悟の上だけど」

イヴの図書館から

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 その「Eve’s Hollywood」でイヴ・バビッツが「まるでプルーストだけど、レシピが付いているからプルーストよりも上」と絶賛していたM.F.K.フィッシャーの「オイスターブック」は今年最大のディスカバリー。ちょっと奇妙で官能的な文章は、近年本国では「クィア的」だと評価されているのだとか。「食の美学」は原書を取り寄せようかと思ったけど、TBSブリタニカから出ていた翻訳版が本間千枝子の翻訳と知って、俄然そちらを読みたくなった。本間千枝子の「アメリカの食卓」は、食エッセイの私のベストテンに入る。すごい名文家だと思っている。
イヴ・バビッツが勧めていたので、積読になっていたイサク・ディネセンの「アフリカの日々」もようやく読んだ。ピーター・ベアードが亡くなった年に読むことに意味があったと思いたい。私の永遠のスタンダードになる本。これと三毛の「サハラの歳月」で、ますますアフリカに行きたくなった。

サマーリーディング

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 夏は積読書の中から倉橋由美子の「悪い夏」を読み、誕生日の前後に「自省録」を読んだ。そしてその前の年からちょこちょこ読んでいた「Short Stories by Latin American Women」を読み終えた。これは外れなしのアンソロジー。私が持っているペーパーバック版は2003年のもので、元のハードカバーは1990年刊行だが、今からでも遅くないのでこのまま(どうせなら原語から)翻訳するべきではないか。
前書きにおいてラテンアメリカ文学においていかに女性作家が周縁に置かれてきたかを語るイサベル・アジェンデの「ある復讐」、耽美なマリア・ルイサ・ボンバルの「樹」、若手アイドル歌手に夢中になる老女の胸の内を描いたクラリッセ・リスペクトールの「Looking for some Dignity」など有名どころの作品はもちろん、初めて読んだ作家もみんな素晴らしかった。コロンビアのヘレナ・アラウージョという作家の「Asthmatic」はリョサの「子犬たち」と映画「アメリカン・アニマルズ」を掛け合わせたようなエモい短編で、これだけでも読む価値があった。

ホテル・リーディング

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 秋、ホテルに一週間ほど監禁された。基本的には仕事をしていたが、本も何冊か持っていった。フィッツジェラルドの「ラスト・タイクーン」の新訳。「マンク」の前に読めて良かった。タイムリーだった。GRANTAの最新号はパンデミック後の生活がテーマ。ケンブリッジの木々を撮ったテジュ・コールのフォト・エッセイも、ご贔屓のリアン・シャプトンのイラスト・エッセイも良かったが、アン・ビーティの短編「How things end」には一本取られた。母校が出している文芸誌に勝手に写真が使われ、短編の題材にされた女性が抗議の電話を編集部にかけるという内容だが、ラストが鮮やか。
 ホテルから出てきたが、今年は神保町の古本市がない。仕方なく、去年の古本市で買ったオーウェルの「パリ・ロンドン放浪記」を読む。アンソニー・ボールディンの愛読書と知って買った本である。ボールディンが好きだったのはひどいホテルのレストランの下働きにオーウェルが駆り出されるパリ編かもしれないが、彼が浮浪者生活を体験するロンドン編も面白く、どういう訳か読んでいてお腹が空いた。浮浪者たちがあの宿舎の出すお茶は薄くて飲めたものじゃない、あそこのお茶は悪くないなど、みんな紅茶に一家言持っているところがイギリスだった。

コロナ時代の読書

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 どうしようもなく体調が悪い日々。今年読まないでいつ読むのかと思い、メイヴィス・ギャラントの短編「Virus X」を読んだ。ギャラントの短編は「ニューヨーカー」に百編以上掲載されていて、それは確かジョン・アップダイクやジョン・チーヴァーに並ぶ記録のはずなのに、日本では一編アンソロジーに入っているきりだ。ウェス・アンダーソンの新作「French Dispatch」でフランシス・マクドーマンドが演じる作家はメイヴィス・ギャラントがモデルである。
「Virus X」は彼女がアジア風邪にかかった経験から生まれた作品。ジュンパ・ラヒリによるギャラントのインタビューが載っている2009年のGRANTAを読み直していたら、この短編のことが出てきた。恋人をカナダに置いてパリに留学してきた女の子が、そこで故郷を追放されたトラブルメーカーの幼馴染に再会する話だが、後半、主人公が病気に悩まされる描写が辛い。でも読んで良かった。この短編が載っている「Overhead in a Balloon」は2021年の積読課題図書。

ダイアリー・リーディング

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 もし私にとっての今年の本を一冊選ぶとしたら、ハイディ・ジュラヴィッツの日記「The Folded Clock」になるだろう。この本が刊行された2017年にニューヨークのマクナリー・ジャクソンで買って、今まで積んでおいた。今年、この本から一回につき一日分の日記を読もうと決めて枕元にずっと置いておいた。うっかり決めている以上の分を読み進めたり、ずっと読まなかったりする日々だった。記録によると読み始めたのが5月19日で、読み終わったのが12月10日である。ちなみにジュラヴィッツの日記は日付通りではなく、二年分くらいの日記がランダムに並んでいる。また一日の行動について正確に書いている訳ではなく、ある出来事をきっかけによみがえった記憶についての叙述が多い。どちらかというとオート・フィクションっぽくて、親友シェイラ・へティと同じ一派の作家だなと思う。ユーモアがあって、あけすけなところも似ている。登場する人物の中には有名そうな人も多いが、名前は書いていない。エミリー・グールドがジュラヴィッツは書いてある人物の名前を明かすチャリティ・オークションをやるべきだと呟いていた。
 読んでいてすごく楽しかったし、寝る前に他人の日記を一日分読むのはいいアイデアだなと思った。2020年はエレン・フライスの「エレンの日記」も読んだ。メイ・サートンの「独り居の日記」もちょこちょこ読み直した。私ももっと日記を書きたい。2021年はヴァージニア・ウルフの日記を読もうかと考えている。


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