見出し画像

優雅な読書が最高の復讐である/Lives of the wives


 作家というのは、24時間、他のことは全部閉め出して、面倒な雑事は人にお任せして、ただただ文章を書いていたい、自分のビジョンについて考えて、それ以外のことは何もしたくない種族、しなくてもいい特権的な人たちなのだという神話が長いことあって、そういう人にはどうしたってかしずく人、相手の仕事を全面的にサポートする人が必要になってくる。(少なくともある時期まで)「作家の妻」というのはそういう人たちだった。

 ところが面倒なことに、作家っていうのはただ自分に従ってくれる女は退屈だから好きじゃないのだ。自分と同じくらい頭が良くって複雑で、手応えがあって、何なら才能があって、どこか特別で、自分と“格”が合う女がいい。そういう人しか愛せない。
 そんな訳で、昔は“頭が良くて手応えがある上、特別な容姿とセンスを持つプロの女性”が存在した。作家とかアーティストはそういう女性と外で遊び、恋愛のような駆け引きをして、妻とは恋愛ではない何か別の絆を結んでいた。あるいは、結ばずに放っておいた。「作家の妻」とはそういう職業なのだと、妻の方も割り切っていたのかもしれない。

 今の私たちとかつての「作家の妻」のメンタリティは違うので、それについて単純に不公平だ! 搾取だ! この人たちはとんでもなく不幸だ! と言い切ることもできない。「今の自分に当てはめて考える」ってことが、時代も環境も違う他者への理解とか共感につながるとは限らないから。

 しかし“頭が良くて手応えがあって、作家と格が合う女”が別の“作家”(あるいはアーティスト)だった時は話が別だ。女の方も「この男、相手にとって不足なし」と考えて作家を夫として選んでいる訳で。でも結婚したら女は自身が作家であっても、やっぱり「作家の妻」になってしまうのだ。(少なくともある時期までは)

「妻たちの人生 五組の文学者たちの結婚生活」はそんな例を、主に妻側の視点に立って描いたノンフィクション。五組中四組は異性愛カップルだが、序文を含めてレズビアンカップルも複数登場する。カップルの一方が「妻」的な立場に追いやられてしまったパターンである。

 ラドクリフ・ホールは「女性にとって最適な仕事は妻であり、母であること」と公言していた。この人は「自分は女じゃない」と思っていたから。ガードルード・スタインにとってアリス・B・トクラスは対等なパートナーというより“奥さん”だった。オードリー・ロードにも、フランシス・クレイトンという妻的なパートナーがいた。彼女はアカデミズムにおける自分のキャリアを諦め、ロードの二人の子供の面倒を見た。しかしロードはグロリア・ジョセフという他の女性と恋に落ちて、20年間近く自分を支えてくれたクレイトンを捨てた。(他のオードリー・ロードの伝記ではもっと違う描かれ方をしているかもしれないが)人間ていうのは色々と厄介で、割り切れないものだ。

 それでも圧倒的に不幸なのは異性愛のカップルの方だ。
 表紙の美男美女はキングスレー・エイミスとエリザベス・ジェーン・ハワードのカップルで、ハワードの方は残念ながら邦訳がない。「作家の才能は遺伝しない」と公言していた夫に代わって、先ごろ亡くなったマーティン・エイミスの文才を育てたのは義理の母ハワードだったという。マーティン・エイミスの方も、自分の父と離婚したハワードをサポートして、彼女の最大のヒット作である自伝的四部作を書くように後押した。この本における数少ないいい話だ。

 典型的な飲んだくれマッチョのキングスレー・エイミスはひどい。しかしもっとひどいのはSM趣味のDV夫だったケネス・タイナンで、そのキングスレー・エイミスと浮気した妻エレーヌ・ダンディを、エイミスの名前の文字数だけ杖で殴りつけたという。ついでに言うとケネス・タイナンはエリザベス・ジェーン・ハワードと情事を持っていた時期があり、ハワードはタイナンがセックスの時に尻を叩いてくるのに辟易して付き合いをやめた。才能ある作家たちがスワップ状態になる英国文芸界、狭すぎる!

 しかし最悪なのはラスボスとして登場したロアルド・ダールで、結婚した当初は自分より格上だった女優の妻パトリシア・ニールに対するモラハラは天井知らず。脳卒中で倒れた妻のリハビリ支援は一部では美談になっているが、ニールの自伝によると実質的には虐待だった。

 そういう人が「マチルダ」みたいないい話を書く。妻シルヴィア・プラスも、愛人も自殺に追いやったテッド・ヒューズが息子のために「アイアン・ジャイアント」みたいないい話を書く。それを寝物語として聞かされていた息子も後にうつ病で自殺する。色々と考える。

 ロアルド・ダールとパトリシア・ニールは別にしても、ここに出てくるカップルはお互いをひどい目に合わせながら、どこかで本当に愛し合ってもいる。それが“格”が合う相手というものなのだろう。ロマンスはそこが複雑で、正直面白い。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?