見出し画像

優雅な読書が最高の復讐である/Marie Calloway

10月。
レナ・ダナムのツィートで、BuzzFeed Newsにマリー・キャロウェイについての長い記事が出たのを知った。
今から十年ほど前、マリー・キャロウェイはインディ文芸とインターネットの蜜月期が生んだトリック・スターだった。
タオ・リンが主宰していたMuuu Muuu Houseのウェブに彼女の「エイドリアン・ブロディ」が発表された時のスキャンダルを覚えている。

それはマリー・キャロウェイがネットで知り合った年上の男とのセックスを詳細に描いた作品だったが、彼女が自分のTumblrにあげた初稿には、Muuu Muuu Houseのバージョンでは有名俳優の名前に差し替えられた男性の本名が公にされていた。この男性は業界では名の知れた編集者だったのだ。「エイドリアン・ブロディ」で暴露された彼の恋人への裏切り、劣等感、若い女性を操ろうとする姑息な言動とベッドにおける態度に人々は衝撃を受けた。そしてその編集者ではなく、それを書いた女性の方に非難が集まった。キャロウェイは彼の精液が口から垂れたままの状態で、その男性とベッドにいる写真まで公開していた。マリー・キャロウェイの名前は一躍広まり、彼女を罵倒する言葉がインターネット上に飛び交った。

 2013年、マリー・キャロウェイはインディ出版社のタイラント・ブックスから、唯一の著書となる「あなたの人生で私はどんな役割を果たしたのか(What purpose did I serve in your life)」を発表する。大型のノートのような判型の本で、表紙には無表情で、どこかあどけない彼女の素顔のポートレートが使われている。キャロウェイはそこで18歳の初体験から始まって、セックス・ワーカーとして働いた経験、チャットにおける男性との性的なやり取り、望まない3Pなど彼女の性体験を生々しく書き綴った。

ネットで寄せられたあらゆる非難と自分の写真を組み合わせた章のタイトルは「批評」。「尻軽」という短い一文から長々と彼女を責め立てる文章、フェミニストからの非難まで、あらゆる男性と女性が彼女をターゲットにしていたことが分かる。

大手のメディアはこの作品を無視した。五千五百部の売り上げはインディ文芸としてはヒットの部類だが、文学界には何のインパクトも残せない数字だ。2016年に「プレイボーイ」誌に短編小説を発表した後、マリー・キャロウェイは完璧に姿を消した。TumblrのページもS N S のアカウントも全て削除して、文章の発表もやめてしまったという。誹謗中傷に疲れ果て、傷ついて、彼女はいなくなった。もともとマリー・キャロウェイは本名ではなく、個人的な付き合いがあった人も、彼女の私生活についてくわしい話は知らないという。

記事を書いたスカーチ・コールは熱狂的なキャロウェイのファンで、かつてのエージェントや友人を通して話を聞き出そうとしたが、会ってもらえず、取材の協力は得られなかった。

マリー・キャロウェイの作品は時代の先を行っていたとコールは主張する。メリッサ・ブローダーをはじめとする赤裸々な性体験を描く作家たちや、サリー・ルーニーの小説のセクシーなシーンにさえキャロウェイ的なものが見える。「ニューヨーカー」誌で話題となったクリステン・ルーペニアンの「キャット・パーソン」には、チャットでのやり取りの組み込み方といい、マリー・キャロウェイの大きな影響がうかがえるという。確かに、私も最初に「キャット・パーソン」を読んだ時には、前にもこんな作品を読んだことがあると既視感のようなものを感じた。ただ、すぐにキャロウェイの名前は出てこなかった。

私はマリー・キャロウェイの本を買った五千五百人の内の一人だ。当時、自分のブログでも取り上げた覚えがある。

本の中で彼女の初体験について書いた「ポートランド、オレゴン 2008」や「エイドリアン・ブロディ」、ロンドンでの売春体験、タオ・リンとの(セックス抜きの)ぎこちない交流を描いた「ジェレニー・リン」などは読んだ記憶があったが、覚えていないエッセイもあった。ちょうどいい機会だから、最後に収録されている「Thank you for touching me」を読んでみた。

2012年8月2日、21歳の時にキャロウェイはFacebook越しで交流のあったキップとクリストファーという二人の男性と会う。ロンドン在住の彼らは偶然彼女と同じ時期にニューヨークに遊びに来ていて、ライブやワイス・ホテルの屋上のバーにキャロウェイをしつこく誘おうとする。結局、三人はキャロウェイが泊まっているホテルで会い、マリファナを巻く紙を買いに行くが、手に入らず戻ってくる。

ホテルに戻るとキップはベッドで彼女の隣に座り、キスをして、下着の中に手を入れてくる。友人の見ている目の前でセックスするつもりなのかと彼女が思っていると、キップはコンドームを探しに行く間、クリストファーに彼女を任せていく。二人は交代にキャロウェイに挿入し、彼女の尻を叩き、平手打ちをする。キップが自分だけではなく、クリストファーもコントロールしていると気がついて、その支配力に彼女は感心する。
 
セックスの合間、彼女は衝動にかられてホテルのメモ帳に走り書きをする。

この二人は私を通して互いとセックスしているように感じる。コンドームを手渡し、潤滑剤について聞き、一人が済んだらすぐさまもう一人が私を食い尽くすという欲望を抱いて、もちろん私を輪姦する欲望を抱いて…二本のペニスを同じヴァギナに入れて、限りなく近づける。ホモセクシュアル的に。英国のアクセントで。合間にキスをしながら。

二人の男に利用されていると知りながらも、彼女はやめられない。やり尽くしたその先に、自分が体験したことのないものがあると信じている。キャロウェイはセックスで搾取されながら、奪われた分だけ何かを得られることをいつも願いっている。きっとそれは、愛でなくても構わないはずだ。優しさや、触れ合い、仲間意識、平等な関係。彼女自身がその名を知らない温かな交流。寒々とした自分を癒してくれる何か。でも彼女がそれを手にすることはない。

「エイドリアン・ブロディ」で男は言う。君もいつか本当に交流できる相手と出会う。それが私ではなかったというだけの話だ。

感傷に溺れることなく、静かに、正確に、キャロウェイはセックスの悲しい真実を暴き出した。

マリー・キャロウェイは間違いなく優れた書き手だった。今だったらもっと違う受容のされ方がありそうだ。でも、どうだろう。普通のモラルと考えられているものから逸脱する人間について、人々は十年前よりもずっと厳しくなっている。彼女はただ男性に利用されている被害者で、自己評価が低いだけだと決めつける人も多いかもしれない。

それでも、自分を曝け出しながら彼女が語ったことには価値がある。記事を機会に、再評価が進むといい。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?