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成島東一郎「青幻記 遠い日の母は美しく」

2022年4月シネマヴェーラ渋谷で、成島東一郎「青幻記 遠い日の母は美しく」  原作は一色次郎。  脚本は平岩弓枝、伊藤昌輝との共同。

幼い頃に亡くした母親(賀来敦子)と過ごした、たった半年の思い出を辿りに、遠路はるばる故郷の沖永良部島を訪れ、当時の思い出を回想する男(田村高廣)劇伴の甘美な調べ、昔も今も変わらぬ沖永良部島のエメラルドグリーンの海と抜けるような青空、そして若き日の母親が島伝承の踊りを優美に踊る姿が超絶ロマンチックな傑作。

名カメラマンの成島監督渾身のデビュー作は、ストーリーテリングよりも映像と音楽の融合による、スクリーンを見つめる観客をうっとりさせる様な幻想的でロマンチック、ここに日本人なら誰でも涙腺決壊必至な母を想う息子のセンチメンタリズムが重なっていく。

尺は約2時間あるが、ずっと鹿児島県奄美群島の一つ沖永良部島の美しい情景が展開され、このまま観光案内VTRに使えるんじゃないの?「ああ、俺も沖永良部島に行ってみたいなあ(コロナ禍あけたら)」と思ってしまう位にステキな画と音楽だが物語自体は辛くなるほどに暗いw

私が映画制作のパターンの一つだと思う、主人公が故郷を訪れ過去を回想してセンチメンタルな思いに浸る、そして過去の積み重ねがどんどんと肥大化し、思い出したくなかった辛い思い出までが紡がれていき、彼は故郷を訪れた自分の真の目的を知る、という構成。

私はもうね、自分の母親のこと思い出して泣きました。私の母親はまだ生きてるけど、この際、生きてるか亡くなったかとか、どうでもいいんだよね。自分が幼い頃に母親がどれだけ多くの愛情を自分に注いでくれたか、当たり前のことを思い起こさせてくれる感動。

よく、親の子供に対する愛情のことを「無償の愛」とか言うけど、子供はやがて成長して大人になるから、自分が親になって初めて、両親がどれだけ自分に愛情を注いでくれたのか、初めて実感して感謝する。私は父は亡くしたが母は健在。まだ感謝する時間、恩返しする時間が残されている。

親と子の愛情の結びつきには4パターンある。当たり前だけど、母親と息子、母親と娘、父親と息子、父親と娘。この中でどのパターンが強烈に愛情が深いかというと、間違いなく母親と息子。嫁が姑といがみあうのは、一人の男を二人で取り合うからだと思ってる。

主人公の田村高廣は決して幸せそうな生活を送ってる風でもなく、30年ぶりに故郷の沖永良部島に帰って来て、自分が小学2年の時に他界してしまった母親のこと、想い出の場所を訪れ老人(藤原釜足)と彼の姉(田中筆子)の思い出話とともに記憶を手繰り寄せて行く。

冒頭からしばらくは、肺病やみで沖永良部島に帰ってしまった母親と離れ離れになった主人公の若き日の小学生が、鹿児島の生家に残って祖父や妾に散々虐められ観ていてホントに辛くなる。そしてその分、沖永良部島に渡ってからの半年がかけがえないものとなる。

劇的に対比されるのは、同じ小学2年時でも、鹿児島では山岡久乃とか小松方正が見るからに悪人面で実際にも悪人で、それが沖永良部島に渡ってからは出会う人が美人の母親(賀来敦子)同居する祖母(原泉)だけでなく島の人全員がイイ人という信じられない好環境。

田村高廣が沖永良部島に渡り、若き日の小学生だった自分も沖永良部島に渡り、そして若くて美しい母親と再会する。島での優しい人たちに囲まれた幸せでのどかな日々。渡る世間は鬼ばかりのような怖い大人たちはもう居ない。天使たちばかりのような沖永良部島。

問題は、母親が肺病を病んでいたことだけでなく、鹿児島からやって来た外者の自分は小学校で虐めに遭う。でも、仲の良い女友達が出来、一緒に全裸で砂浜で泳ぐシーンは繊細な美しさに充ち溢れ胸アツ!彼はずっと沖永良部島で母と祖母と三人で暮らしたかった。

若き日の田村が夢見ていたこと。美しい母親の胸に一度でいいから飛び込んで抱きしめて貰いたかった。親なら分かると思うけど、子供は両親にギュッ抱きしめて貰って愛情を感じ取りたい。でも彼にはそれができなかった。母親は息子に肺病が伝染するのを怖れた。

田村が沖永良部島で出会った藤原爺さんと筆子婆さんは「あなたの母親は白い百合よりも美しいと評判じゃった」婚礼で島を発つ時、島民が全員で別れを惜しんだ。でも肺病になって鹿児島には居られなくなって故郷に戻って来た。でも寝たきりで動けない母親。

半年して死期を悟った母親が息子に対して取ったエピソードが2つ、超絶的に美しく描かれる。ネタバレと言われても仕方ない。このエピソードは書かないと今日、私は眠れない。永遠に脳内に刻み付けたい。私自身が母親を想う気持ちを忘れないようにしたいため、どうしても書き残しておきたいのだ。

島民が島の絶景ポイントを会場に奄美舞踊の催し物をしている。司会者が「さわさん(母親の名前)に踊ってもらいましょう」若き日の美貌と優雅な踊りを覚えている島民はやんやの喝采。でも母親が気にしている相手は一人だけ。我が息子が観たいかどうか?それだけ。

母親は私の表情から踊ることを決意。優雅に舞踊する彼女の姿はやがて夜の海の美しい情景の中に溶けて行き、その記憶は藤原老人と会話する田村の背後にもずっと残り続ける。向けるような青空とエメラルドブルーの海と舞踊する美しい母親とが画の中で溶け合う。

白い百合の咲く丘を走る私を肺病をおしてゼーゼーと息を吐きながらも追いかける母親。岩場で木の枝を結って魚を獲ろうとする母親。ここで、沖永良部島が全てサンゴ礁から成った岩場だけの島であるという冒頭の紹介が、単なる観光案内ではないことが分かる。

岩場が急に満ち潮の時間になり、歩いて来れた砂浜が海水に浸る。母親は私に「人を呼んできて」と陸に行かせた。そして「お母さんって呼んで」2回言い「お医者さん連れて来る」という私に「振り向いたらダメよ」と言い最後に「もう一回、お母さんって呼んで」

私は必死で岩場を伝ってお医者さんを呼びに陸に上がったが、そこで振り返ると、岩場は海水に浸り、母親の姿は亡かった。30年ぶりに故郷の沖永良部島に遥々やって来た私の目的。それは亡き母親を弔うことであった。その方法を教えもらうため、藤原老人と筆子婆さんに会った。

藤原老人は母親の遺骨が埋まっているという場所に案内してくれた。そこは、彼女が流された、そして私が呆然と見ることしかできなかったあの場所。地元の住人(戸浦六宏)の話では子供のいたずらで遺骨が3体もあるという。田村が墓を開けると、頭がい骨が3つあり、彼はそのうち2つを目の前に並べた。

藤原老人は「これがお母さんとお婆さんのだったのか」火を着けて頭蓋骨を燃やし始める。彼の供養は終わり、彼の記憶の中に初めて、美しい母親が舞踊を舞った海の見える場所に祖母と二人で会話する自分がいた。沖永良部島の人たちは親切で、田村が乗る船を総出で見送ってくれた。

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