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ブラック、グレー、いつかはブルー 3

〜社畜は鬱になって、生き直すことに決めました〜


ある先輩の話をしようと思う。

彼はとても優秀で思いやりがあり、どこにも欠点の見つからないパーフェクトな人物だった。同僚、後輩はもちろんのこと、先輩や社長にも一目置かれていた。
軸と言おうか、彼の存在が当時の会社を支えていたと言っても過言ではなかった。
彼の魅力に引き込まれる女性はたくさんいたと思う。

私はこの頃、会社の、そして社長のブラック加減をほんのりと感じ取れるようになっていた。しかし辞めるという選択肢は私の中には当然なく。むしろこの先輩がこの会社にいる限りは、きっとおかしなことにならない、と踏んでいたのだ。

その先輩と社長の間に軋轢が生じたのは、私が働き出して4〜5年経った頃。
独立したい、という旨を、回り回って他人の口から社長の耳に入ったらしい。

社長は、社員について全てを把握しておきたい、という性質を持ち合わせていた。それは病的というか非常識なレベルで、ひとりひとりのSNSをチェックしては、プライベートな事にまで口を挟むこともあった。


報連相が大事なのはどの世界でも同じ。
本人ではないところから独立の話を聞いた社長は激怒した。大事なことを自分に相談なく先輩が他人に明かしてしまったことが、この一件の導火線となった。
さらに、社長はおそらく先輩がここを辞めて出て行くなど夢にも思わなかったようで、彼の判断を「裏切り」と取った。それほどまでに先輩は社長の「片腕」の役目を見事にこなしていたからだ。
先輩は非礼を毎日謝り続けた。
しかし、後輩である私から見ても、社長の先輩に対する怒り方は常軌を逸していたと思う。
針のむしろ、という言葉があるが、針なんて可愛いものだ。
もうそれは、五寸釘。
漏れ聞こえてくる社長の怒声は、本人でなくとも震え上がるほど恐ろしかった。

しかし、先輩は一度も愚痴をこぼすこともなく、やさぐれるでもなく、「自分が悪いから」としか言わなかった。確かに先輩の伝える順序は間違ったかもしれないが、普通の会社なら嫌味を言われることはあっても、細胞レベルから全否定されることはないはずだ。
私だったら確実に逃げ出していた。
携帯の番号を変えて、整形もしたかもしれない。
大袈裟ではなく、もしこれが自分に降りかかったら、と思うだけで背筋が凍った。

毎日続く社長による先輩への攻撃を間近で見続けて一ヶ月。
結果、仕事を辞めるにはこの五寸釘のむしろに耐えなければならないんだ、という考えが私の頭にがっちりインプットされることとなった。

先輩はと言うと、無事に(とは言い難いが一応)独立した。
そして驚くのはここからで、先輩はその後10年、社長に謝罪の手紙を送り続けたのだ。ちなみに私や同僚はその手紙が届くたび、社長が先輩を最低の裏切り者扱いする様子を目の当たりにしていた。
きっと一生社長は先輩を許さないのだろうと、全員が思っていた。

なのに。

一体いつのまに、どんなやり取りがあってそうなったのか誰一人知らなかったが、独立して10年後、先輩はパワーアップして私たちの前に姿を現した。
満面の笑みの社長が彼を迎え入れるのを、あんぐりと口を開けて見ていたのは私だけではなかった。
あの五寸釘地獄がまるで幻だったかのように、社長は嬉々として先輩をアドバイザー的な役目に据えた。


30年の中でもこれは、3本の指に入る衝撃的な出来事だった。

どんな酷い目にあっても、先輩は社長との縁を切らない、という判断をした。
そして10年を経て戻ってきた先輩は、会社にいた時よりもさらに優秀になり、輝いていた。
私は勝手に、先輩が勝ったのだ、と思った。
自分の価値を最大限に引き上げ、許さざるを得ない状況を10年かけて作り上げたように、私には見えたのだ。

この一連の出来事は、その後の私のはたらきかたに、多大な影響を及ぼすことになった。

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