見出し画像

『7人の聖勇士の物語』第21章イングランドの勇士、聖ジョージの死

こんにちは。
いつもお読みくださりどうもありがとうございます。

新年になってから日々が過ぎるのがますます早く感じられます。もう1月もほぼ終わりですね。

あっという間に1年の12分の1が過ぎようとしています。1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」と言うそうですから、うかうかしていると2月、3月もあっという間に終ってしまいそうです。

今年は2月3日が節分、その翌日の4日が立春だそうですね。まだ寒いですが、暦の上では「春」はもうすぐそこまで来ています。日々の暮らしは忙しく流れていきますが、一日一日を大切に過ごせるよう、暦の上で季節が新しくなるのに合わせて私も気分を新たに頑張りたいと思います。

さて、32回にわたって少しずつ訳してきました『7人の聖勇士の物語』も、今回で最終回を迎えます。第1回目にご紹介しましたとおり、この物語は英語タイトルをThe Seven Champions of Christendom(直訳しますと『キリスト教国の7人の勇士たち』)といい、原作者は16世紀イギリスのリチャード・ジョンソン(1573―1659)という作家です。

ジョンソンが書いた原作は当時とても好評を博したそうですが、時代背景を反映してなのか、暴力的な表現や差別的な記述が含まれています。その後、19世紀にW. H. G. キングストン(1814―1880)という人が、もっと幅広い読者が楽しめるよう、原作の表現を和らげるなどして改編を加えました。その改編バージョンを毎回少しずつ私の下手な訳でお読みいただきました。応援してくださり、どうもありがとうございました。

古い物語ということもあり、キングストンによる改編版にも今日の目からはそのまま訳すのが不適切と思われる箇所が含まれています。そういう箇所も省略せずになるべく忠実に訳してきましたが、読んでくださる方がご不快にならないよう、気を付けたつもりです。至らないところもあったかと思いますが、当時の文化の一端ということでお読みいただけましたら幸いです。

※英文テキストは以下をご参照ください。

※画像は、ラファエロ・サンティ作『聖ゲオルギウスとドラゴン』(1506年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)の一部です。まさに竜を槍で突こうとしている聖ゲオルギウス(聖ジョージのラテン語名)の姿を描いています。パブリック・ドメインよりお借りしました。


『7人の聖勇士の物語』

第21章 聖ジョージの死(最終回)

この驚くべき、不思議な、波瀾万丈の物語の最後に登場する勇士は、偉大なる聖ジョージです。

聖ジョージも、忍び寄る老齢を悟ると、彼が生まれた美しい国、楽しいイングランドへと足を向けようと心を決めました。まだ槍を手に持ち、鋼を身にまとい、雄々しいライオンの如き心は萎えることなく、傍らには忠実なド・フィスティカフを従えて、彼はついに故郷の方へと目を向けました。忠実な年代記作者は彼が(帰郷の道中で)出会った数知れぬ冒険を記しています。それらは彼が若い頃に遭遇したものにも劣らぬ驚くべき冒険の数々でした。何度も激しい攻撃を受けましたが、ド・フィスティカフの巧みな助けもあって、まだまだ利子をつけてお返しすることが彼にはできました。とはいえ、実を申しますと、従者ド・フィスティカフはかなり肥満して、太りすぎになっていたのでした。

とうとう、ブリテンの白亜の岸壁が見えてきました。気高い勇士にとっては24年ぶりの光景でした。その眺めは彼にとって喜ばしいものでした。コヴェントリーへと進んで行きますと、町や村、畑の楽しげな様子、風にそよぐ緑の森の眺めはもっと彼を喜ばせました。コヴェントリーでは、住民は身分の高い者も低い者も彼を出迎え、温かく挨拶をしました。

しかし、彼は、多くの人が悲しみを浮かべているのを見ました。その理由は、この物語が典拠としている学殖豊かな書物を著した年代記作者が告げている次のような真実、すなわち、「病毒をまき散らす竜がダンモアの荒野を荒らし回り、その地をひどく悩ませているので、通行する住民は大きな危険にさらされており、その竜を鎮圧するため危険を冒して乗り出した王国の15名の騎士たちが既に命を失った、という悲しい報告」のためでありました。

聖ジョージはそれを聞き、彼の国がどんなにひどい仕打ちを有害な竜から受けているかを知るや、この冒険をためしてみよう、この地をこれほど大きな危険から解放するか、さもなくばこの試みで命を終えるかだ、と決意しました。そこで彼は、居合わせた全ての人に別れを告げると馬に乗り、アフリカで強大な緑色の竜と闘った時にそうしたように、気高い心持ちで進んで行きました。

そして、平野のなかほどまでやってくると、彼は恐ろしい敵が深い洞穴の中でうずくまっているのを見ました。怪物は、不思議な本能で自身の死が近づいたことを知り、すさまじい叫び声をたてましたので、空は雷鳴を発して裂け、大地は地震で揺れ動くかと思われました。そして、巣穴から転がり出てきて年老いた勇士を見つけると、竜は激しく怒り狂って彼に向かって走ってきました。あたかも騎士も馬も武具も全てを一瞬で貪り喰おうとするかのようでした。

しかし、勇敢な聖ジョージは、竜やそれに類した怪獣の扱い方をよく知っていましたので、すばやく馬首をめぐらせて竜の進撃をかわしました。そのため、ものすごい勢いで突進してきた竜は毒針をたっぷり3フィートも地中に突っ込んでしまいました。

やっと動けるようになると竜は猛烈に怒り狂って騎士に襲いかかりました。聖ジョージが竜の喉元に槍を突き出さなかったら、竜は騎士と馬を両方とも地面に倒してしまったことでしょう。怪獣は槍を避けようとして後ろにのけぞり、草地にあおむけに倒れ、足は空中に泳ぎ、先が分かれした長い尾を絶え間なくくねらせました。このことで気高い勇士は優勢に立ち、馬からとび降りざま剣を投げ捨てると、竜が身を起こす前に巨体を両腕で捕まえ、強烈に締め付けて、竜の命そのものを絞り出しました。

しかし、悲しいかな!竜の毒針はこの善き騎士を絶え間なく襲って苦しめました。とうとう竜は毒のある血糊にまみれて息絶えましたが、聖ジョージも竜の毒針が何度も深くささったために致命傷を負いました。彼は毒針を体のあちこちに受けて大量に出血したので、力が弱まり、衰弱し始めました。しかし、彼は心の気高さを保ち、コヴェントリーの町へ勝利者として雄々しく帰還しました。全住民が門の外に立って王侯にふさわしい威儀をもって彼を迎え、これほどあっぱれな征服者にふさわしい名誉を彼に与えました。

勇敢な老騎士は、町の前に到着しました。そして、先導役の忠実な老ド・フィスティカフによって運ばれてきた竜の首を人々に示しました。それは実に長い間この地を悩ませてきた竜の首でした。それとほぼ同時に、悲しいかな!深傷からの大量の出血が長く続いていたため、老騎士は忠実な従者の腕の中に沈み込み、吐息もつかずに事切れました。

国中が彼の死を激しく悼み悲しみ、王から羊飼に至るまで全ての人々が1ヶ月の間彼のために喪に服しました。また、王は、彼を記念するため、4月23日を聖ジョージの日と名付け、これより以後永久に、この日には国中の王侯や主だった貴族は荘厳な行列の儀式を行うべきことをお命じになりました。

その日、勇敢な老騎士は生まれ故郷の町にいとも厳かに埋葬されました。王は、王国中の人々の賛同により、この国の守護聖人が「キリストの勇士、聖ジョージ」と呼ばれるべきことをお定めになりました。その名によって彼は数多くの戦闘を行い、キリスト教国の誉れとなしたのです。

私が典拠といたしました年代記はこれにて終りでございます。古くより伝わる、真正の、最も信頼できる年代記でございます。聖ジョージの3人の子息の武勲や、他の勇士たちの子息たちによる偉業について伝える記録も数多く残っております。しかし、それらは私が用いました年代記ほど信頼に足り、異議を唱える余地のない典拠から出たものとは思えませんので、この真実の物語の中にそれらを取り入れることが皆様のお役に立つとは考えませんでした。

完 

これにて『7人の聖勇士の物語』はお終いです。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

なお、末尾の数行では、語り手がこの物語の信憑性を高めるため、自分が典拠とした年代記(多分架空の年代記)は真正の信頼置けるものだ、と述べています。彼が触れている聖ジョージの3人の息子たちの武勲を伝える別な記録とは、ジョンソンによる原作に含まれている聖ジョージの3人の息子達と彼らの冒険譚を指しているものと思われますが、キングストン版では割愛されています。

とても長いのでいつになるかはわかりませんが、ジョンソンの原作もいつか訳してみたいと思っています。でも、次は別な物語をご紹介したいと思います。準備に少し時間を頂戴いたします。ぜひまたお読みいただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?