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[西洋の古い物語]「水晶宮」

こんにちは。
いつもお読みくださり、ありがとうございます。

昨日、帰りのバスの車内でぼんやりすわっておりますと、年配とおぼしき二人の女性がお喋りをしておられるのが聞こえてきました。

狭い車内のことですので、二人の会話の内容が自然と耳に入ってきます。
今晩の夕食のおかずのことや、家庭菜園のトマトが色づいてきて食べるのが楽しみなこと、駅前のお蕎麦屋さんの新メニューの話など、ささやかな話題ばかりなのですが、二人とも実に楽しそうなのです。
思わず私も、心の中で相づちをうっておりました。

ほどなく、三つ目ぐらいのバス停で片方の方が下車されました。
「お目にかかれて楽しかったわぁ。お元気でね。」
「こちらこそ。気を付けて帰ってね。」
別れ際のそんな言葉も温かく、私は幸せな気分でいっぱいになりました。

ただバスに乗り合わせただけで、お顔も存じあげないお二人でしたが、その楽しいお喋りのおかげで、バスを降りた後の蒸し暑い夜の道も心なしか爽やかでした。

日常は楽しいことばかりではなく、誰しも辛いことや悲しいことを抱えて生きていますよね。でも、ちょっとしたことで幸せを感じるのも日常の暮らしの中なんだなぁ、とあらためて思いました。丹精こめたトマトを冷たく冷やして召し上がるのは今日でしょうか、明日でしょうか。待ち遠しいって、なんと幸せなことでしょう!

※おいしそうなトマトの画像は、フォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございました。

さて、今日は、ライン川に伝わる物語を訳してみたいと思います。

『水晶宮』

何年も何年も昔のこと、チュルドルフの村に風変わりで小柄なおばあさんが一人住んでおりました。彼女はとても親切な年老いた女性で、病人を看病するのが上手でしたので、村の子供たちを看てほしいと頼まれることがよくありました。彼女は実にたくさんの面白いお話を知っていましたので、子供たちは病気のときも楽しく過ごすことができました。彼女は子供たちに立派な騎士や貴婦人のお話や、お城や妖精たち、森の精や水の精のお話をしてあげました。でも、中でも一番は「ラインのご老公」の物語でありました。

 ある夜のこと、彼女が座って編み物をしておりますと、小屋のドアを誰かがノックしました。彼女がドアを開けますと、風変わりな男が一人、珍しい模様のついたランタンを提げて立っておりました。彼は何も喋らず、ついてくるようにと彼女に手招きをしました。
暗い夜でしたし、雨が滝のように降っておりました。通りには大きな水たまりがいくつも見えました。マルゴットおばさん(子供たちはおばあさんをそう読んでいたのです)はその不思議な男についていくのをためらいました。でも、それは嵐が怖かったからではなく、その男が見知らぬ者だったからでした。

 男は再び彼女に手招きをしました。彼女は彼の顔が良い人らしく思えましたので、彼についていくことに決めました。深い水たまりの水をびしゃびしゃはねながら、二人は暗い通りを通っていきました。
突然水が深くなり、マルゴットおばさんのくるぶしのまわりを渦巻いて流れ始めました。彼女はびっくりして後ろを向いて逃げようとしました。
「これ以上行けないわ」と彼女は叫びました。「あなたは何者なの。私をどこに連れて行くの。」
その老人は返事をせず、マルゴットおばさんを腕にかかえるとライン河にさっととびこみました。川面は土手を越えて水かさを増し、逆巻く水の流れはマルゴットおばさんを仰天させました。
下へ、下へと二人は冷たい緑色の水の中に沈んでいきました。マルゴットおばさんには永遠に下降し続けるかのように思われました。彼女は目を閉じ、抗うことをやめました。

 とうとう水から抜け出せたように思われたので、マルゴットおばさんは目を開きました。彼女がいたのは素晴らしい水晶の宮殿の中でした。あたり一面宝石がキラキラと輝いていました。飾り物は金銀でできていました。驚嘆から我に帰りますと、彼女はすぐに広い部屋へと案内されました。そこには絹のカバーをかけた水晶のベッドの上に黄金の髪をした美しい水の精が横たわっていました。彼女は病気なのでした。
「お前をここに連れてきたのは」と老人が言いました。「私の美しい奥を世話してもらうためなのだ。奧をよく看病して健康な体に戻して欲しい。このことでお前に決して後悔はさせるまいぞ。」

 愛らしい水の精は見るも美しい方でしたので、マルゴットおばさんは彼女の世話をするのがとても楽しく思われました。彼女はとても優しく誠心誠意世話をしましたので、黄金の髪の奥方はみるみるよくなり、間もなくすっかり回復しました。
奥方はマルゴットおばさんに、彼女の夫君は強力な水の神で、人間は彼のことを「ラインのご老公」と呼んでいるの、とそっとささやきました。奥方はライトの領主の一人娘で、以前は陸に住んでいたのでした。
ある日、村の舞踏会でのこと、彼女の前に一人の不思議な男が現われました。彼は泡立つ緑色の服をまとっておりました。彼は彼女に自分と踊ってくれるよう頼みました。二人は何周も何周も円を描きながら踊り、とうとう水際へとやってきました。突然彼は彼女とともに流れの中へととびこみ、彼女を水晶宮へと連れて行き、彼の幸せな奥方としたのです。
「さあ、親切なおばさま、私たちはまもなくお別れせねばなりませんわ。」と美しい奥方は言いました。「ラインのご老公があなたに報酬をくださるときには、あなたが普段得ている以上は受取らないでくださいね。もっと取るよう彼がどれほど促してもですよ。夫は正直を愛しますが、貪欲は忌み嫌っているのです。」

 ちょうどその時、ラインのご老公が姿を現しました。愛する妻がすっかり回復したのを見ると、河の神はマルゴットおばさんについて来るようにと手招きしました。彼は豪壮なお城の幾つもの広間を抜けて彼女を案内していきました。とうとう二人は彼の宝物庫にやってきました。部屋中に黄金、銀、宝石が大きな山をなして積まれてありました。
河の神は奥方を救ってくれたことでマルゴットおばさんにたいへん感謝していました。そこで彼は彼女に好きなだけ取るようにと言いました。おばさんは宝石を切望の眼差しで見つめました。貧しい人たちを助けるためにこの宝石はどれほど役立つことでしょう!しかし、彼女はあの美しい黄金の髪の奥方が言ったことを忘れてはいませんでした。そこで彼女はいつも受取るほどの、ほんのささやかな報酬を選びました。不思議な男はもっと取るよう促しましたが、彼女は固くお断りしたのでした。

 すると偉大な河の神は彼女の手を取り、長くて暗い廊下を導いていきました。突然彼女はライン河の冷たい水の中にいました。彼は彼女を連れてゆっくりと暗い流れを昇っていきました。上へ上へと昇っていき、やっと彼女は自宅近くの川岸にたどりつきました。体中から水が滴っていましたが、無事でした。ラインのご老公は彼女にさよならの合図をすると手のひら一杯の黄金を彼女の膝の中に投げ入れました。そして再び河にもぐり、行ってしまいました。

 その時以来、村の子供たちは河の流れの下にある驚くべき水晶宮のことを聞くのが大好きなのです。だから、マルゴットおばさんは何度も何度もこのお話を話します。そしていつも決まってあの手のひら一杯の黄金を見せてくれるのです。それは、おばさんが言うには、ラインのご老公が彼女にくださったまさにその黄金なのですって。

これで『水晶宮』はおしまいです。
使用テキストは次の通りです。

今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

次のお話、「天使のお小姓」はこちらからどうぞ。




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