強迫性障害にかかった話


思えば、人生の調子が悪いのはずっとだった。笑

今に始まったことじゃなかったね。

幼稚園時代から感受性が強く今じゃあ想像出来ないくらいコミュニケーションが取れない子供だった。(今は初対面の人相手でもベラベラ喋ってる人)

まず、幼稚園児のくせにみんなが歌を歌ったり踊りを踊ってるのを見て 恥ずかしい。滑稽だ。なぜ親に遊んでいるところを見せなくてはならないの? みんな何が楽しいんだ?と思っていた。

はち組では1人だけ踊らない、笑わない、歌わない子供だったので繊細で他人の目を気にする母は大変傷ついたらしく、家に帰り私は日々責められた。

小学生時代は思い出したくもないボスゴリラのいじめターゲットにされ、靴を隠されたり、鬼ごっこの際には足を引っ掛けられ転倒させられたり、私めがけてそろばんを振り下ろしてきて顔面に直撃したり散々な日々だった。

クラスで2番目に背が小さくて白くてヒョロヒョロでおどおどしててたまに生意気な口を利く私は格好の標的だった。

思い出したくもない学芸発表会、300人の保護者の前でセリフを間違えてフリーズした私を見た母親は1週間ほど口を聞いてくれなかった。

小学4年生の私はその時心底、もう死にたい、もう生きていたくない と心身消耗した。

中学生になってすぐに変な病気にかかった。強迫性障害と診断された。

手を永遠と洗い続けたり、ヘアーアイロンのスイッチを切ったか永遠に確認し遅刻したり、夜中に10回トイレに行かないと寝てはいけないルールを自分に課したりしていた。その儀式を守らないと発作的な強烈な不安が四六時中止まらなく生き地獄だった。

1年近く明らかに様子がおかしい状態が続き親に心療内科に連れて行かれた。(親にバレたら頭がイカれてると思われると考えたため必死に隠してたがバレた)

病院に連れて行ってくれたこと、感謝してる。ありがとう母さん、父さん。

母は私の気持ちが少しでも明るくなれるように、とホームセンターでハムスターを二匹飼ってくれた。(エキセントリックな性格の2匹のハムちゃんずのおかげでだいぶ家庭内が明るくなった)

日常生活が綱渡りギリギリな状態で、バドミントン部を退部した。

地区ではそこそこ強豪校で中学生にしてバリバリの体育会系縦社会、鉄パイプを持ってランニングするなどのなかなか気合の入ったバドミントン部だったため、「あんたはバドミントン部を早々にやめた奴 として有名だよ」といけ好かないクラスメイトに直接言われたことが今でも忘れられない。(クソ腹立つな)

バドミントン部をやめた本当の理由なんて誰にも言えなかった。

自分がわけのわからない精神病にかかったことなんて認めたくなかった。

幸い、強い薬の副作用に苦しみながらも症状は内服で安定し中学2年からは友人にも恵まれ、高校でも成績こそ悪かったが友人や教師には恵まれおふざけしながらのびのび楽しく生活出来た。

のちに母親には あんたには生まれつきセロトニンが足りないんだ、脳の気質の問題だ と言われた。

セロトニンなんて知るか!と思ったし

母の言葉や信憑性はさておき。

だから私が生きづらいのは別に今に始まったことじゃなかった。笑

どうやってもみんなみたいになれない。よく、普通の人なんていないんだよ!とか言われますが 私からしたらみんな普通に見えます。一部個性的な仲間も見かけますが。

だから人と同じように仕事が続かなくても、すぐにやめたくなっても、貯金がたまらなくてもそこまでは気にする必要ないのかな?

足に重りをつけて走ってきた自分を自分だけは認めてあげようと思う。

全部の戦いが終わったら、大好きな京都にリュックサック1個で行ってしまおう。

大好きな猫と暮らす準備をしよう。

大好きなお友達とカフェに行こう。


そんな気持ちで毎日乗り越えたら、それで充分なんじゃないか。??




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