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土を喰らう十二ヵ月を観た

家から歩いて15分弱のところに映画館がある。もともと通りを隔てた向かい側にあったその映画館は、パチンコ屋の2階に封切館としてできた映画館だったけれど、私が学生の頃はピンク映画を上映しており、前を通ると目を向けるのが恥ずかしいポスターが貼り出してあった。そんな映画館が1990年ごろには名画座というかミニシアターというかに変わり、一度訪れたときには、なんともレトロなその雰囲気に感動した記憶がある。数年前に場所を移してからは前を通るたびに上映作品をチェックしていたが、観たい映画と上映時間の折り合いがつかなかったこととコロナ禍もあって、今まで訪れることはなかった。

ところが数日前に前を通ったら、かねてから観たいと思っていた「土を喰らう十二ヵ月」を日に一度だけ上映しているではないか、そして最終日の6月1日は奇跡的に仕事が休みだ。行こう。

そんなわけで私は昨日、初めて訪れる映画館の座席についた。3つあるシアターの中で、「土を喰らう十二ヵ月」は座席が30ほどのミニシアターで上映された。狭いながらもゆったりとくつろいで観ることができた「土を喰らう十二ヵ月」は、感じることの多い映画だった。歳を重ねたジュリー(私にとっては沢田研二でなくいつの時代もジュリーだ)は、今も魅力にあふれ、ときおり混じる京都弁が心地よかった。自然の恵みをいただき、ていねいに作られる料理も美味しそうだし、松たか子の食べっぷりも豪快で惚れ惚れした。山椒という名の飼い犬は、昔飼っていた犬に似てかわいかった。

けれど物語が進むうちにそんなことを楽しんでいる場合ではないことに気づいた。必要なものを必要な分だけ取ってきて料理をする。毎日をていねいに暮らす。私は、あたりまえのことをいかにできていないのだろう。

心筋梗塞で倒れ、奇跡的に一命をとりとめたジュリー扮するツトムは、今日を生きるということに徹し、「皆さんさようなら」と言って眠りにつく。朝目覚めると、また今日一日を生きて、「皆さんさようなら」と言って眠る。

ああ、こういうことなんだな。若いときにはこんなこと感じなかったかもな。でも今の私にはわかる。明日目覚めなくても後悔しないように。今日の仕事は明日に残さない。そんな決心をさせてくれた映画だった。

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