2021年に出た音楽のうち、気に入って聞いたもの

black midiが新譜を出した。レコード自体はおれにとって非常に聞きづらいのだが、シアトルのラジオ局がもう10年くらいはやっているLive on KEXPという番組(Youtubeの映像を番組って言わないような気もするけど……)に出演していて、そのときのライブパフォーマンスがすごい。映像だと誰が何をやっているか視覚的に助けになり、理解が進むのもあるだろうが、いや、それにしたってすごい。

デビュー当時はドラマーの技術と独創性が曲を引っ張っていくようなバンドだったが、デビュー四年を経てボーカルは声が出るようになり、ブラスセクションも参加し、ほかのメンバーの技術もうなぎ登りで、即興の息が合いすぎていて、怖いくらいである。マスロックなんかなあと思ってたけど、こりゃあたまげた、新しい……ジャズだ。最初の一分だけでも我慢して聞いてみて。

BADBADNOTGOODも五年ぶりに新譜を出してくれた。『ゼルダの伝説 時のオカリナ』のBGM三曲を、パキパキにとがった若々しい音のピアノ・エレキベース・ドラムの組み合わせでジャズにし、おれを含む90's Kidsを中心にはじけたのがもう十年以上前になる。この三部構成は曲ごとに楽器の主人公が異なっていて、ほんとに必聴です。調べて聞いてみて。ノスタルジーで死ぬ。

で、新譜。おれのお気に入りは長らく『Ⅲ』であったが、寂しさ、怒り、愛、死の感情が編まれた9分強の新曲"Signals From The Noise"だけで、軽々と前作を越えるのではないか。おれはとくにジャズびいきってわけでもないんだけど……やっぱりこういう音楽って、プレイヤーとリスナーの歳が近いほどにわかるもんなのかなあ?

かつてナボコフが、三カ国語を話すあなたにとって最も美しい言語はどれですかとインタビュワーに問われて答えた。「私の頭にとっては、英語。耳にはフランス語。心には、ロシア語。」さすが先生、知性と美しさを兼ね備えた言葉ですね(うろ覚えなのであてにしないで)。それはさておき、ちょっと仕事でフランス語に詳しくなる必要があり、その言葉で歌われている曲を好きになろうと試みた。結果、L'Impératrice、La Femme、Meimunaなどの素晴らしい音楽家たちを知ることができた。

La Femmeは2013年のデビュー作、「サイコ・トロピカル・ベルリン」(最高のタイトル!)からもともと好きだったけど、フランスはストラスブールの新興放送局であるArteが「リリース・パーティー」というシリーズもののライブ録画放送をやっていて、そこに新譜"Paradigmes"の映像が出たのだった。一世紀くらい前の場末のライブハウス兼クラブみたいなセットで、おめかしさせたサクラに酒飲ませたり葉巻喫わせたりしてるんだけど、いやあー、なんて言うのかな、フランス人のこういう虚仮威し的な絢爛さって、ほんと憧れます。テープは新曲"Nouvelle-Orléans"のところで止めてある。ミュージック・ビデオもいいんだけど、たぶん初見だときつすぎる(笑)。アルバムだと"Disconnexion"も必聴。

L'Impératriceはかなり純粋なシティ・ポップなんだけど、ものすごく細かく計算された音がめちゃくちゃ奇麗にミックスされていて、たぶんメンバー全員シンセ・オタクなんだろうな(褒め言葉)。音楽に一途な男子たちの怨念をすてきな女性のボーカルが浄化する……みたいな言い方をすると日本かよって話だけど(Pizzicato Fiveのことを考えている、もちろんいい意味で)、これだけ洗練された音で「灰色の人混みのなかで、あなたのふしぎな青い瞳を見かけたの……」って、そんなアイドルみたいなこと歌われるとまいっちゃいますよね。

Meimunaは女性のオルタナティヴ・フォークなソロなんだけど、とにかく声がきれい。曲の作り方はすごく素朴なんだけど、音数が少ないだけに、本場(なのかな?)のフランス語のrは空気を含むことを教えてくれた。天使の声、天使の言語だよなあ。最近は、もっぱらこのひとの発音をまねて訓練しております。さっきのナボコフの引用を思い出したのも、この人の声のおかげです。やっぱり外国語の勉強には音楽が一番ですよ。なに、えらそうに言って、文章は読めるのかって? ……がんばります。いや、まじで、なんであんなにサイレントの子音を語尾に付けたがるわけ? 取れよ、いらねーだろ!

厳密には今年じゃないんだけど気になっているのがEla Minus。 先述したLive on KEXPにものものしいDAWLESS(ようするにコンピュータなし)のボードをひっさげて登場。おれもつかってるMIDIコンと8チャンネルのミキサー、AKAI MPC、10万くらいするmoogの鳥の絵が描いてるやつ、10万くらいするmoogの犀の絵が描いてあるやつ等々が乗っかった、見たところ50万くらいする二段組の側面には、暗めのピンク色のダクト・テープに「BRIGHT MUSIC DARK TIMES」と手書きの文字。この人に限らず、ライブ・パフォーマンスの映像でエフェクターボードとか機材ボードとかがちらりと見えたりすると、チラリズムの効果でどきどきするもんだけど、この人のボードはほんとに……けしからんですよ。機材のひとつひとつにテープで留めたメモが書いてあって、たまにニコちゃんマークとか描いてあって……なんというか、こう、あこがれの人の部屋に呼ばれて、へーっ、くまのぬいぐるみとか置くんだ……とか思ってたら、日記帳(つまみの位置とかね)を見つけてしまったみたいな感じ。

曲の構成はものすごく硬派で冷たいんだけど、DAWLESSだからか(って短絡的に帰結させるのもよくないけど)芯のところに危うさと暖かさがあって、彫刻だと思って触れた女の肌にぬくもりがあった、って感じ。よく聞くと決して奇麗な音ではないんだけど、それだって生きてる女の肌とおなじだよね。染みとか皺とか見つかるわけで、でもそれがいいわけじゃん。いや、何でこんな比喩になってるんだ? ちなみにスペイン語系のようですが、この言語は日本語と発音が似ているので、親近感がありますね。文字を見てだいたい間違いなく音が合う。これは嬉しいことです(無精)。

スペイン語繋がりでJosé González。これも久々の新譜でうれしい。クラシックギターの例の天才チューニング(6弦をDに下げて3弦を2度上げるやつ)とアルペジオの時点でいつものJosé Gonzálezなんだけど(アルバムではドラムマシーン使ってみたりとかいろいろしてる)、今回注目すべきは、おそらく人生ではじめてスペイン語で歌っていること。この歌詞が、言語の音色も含めて、ほんとに素朴でいいんですよ。

Y por pertenecer / ページのあいだに生きる
A la gente del libro / 住人として
Pretendiendo entender / この宇宙の謎を
Los enigmas del universo / 知り尽くしたふりをして

Dime por qué será / 言っておくれ なぜこうなのか
Dime por dónde vas / 言っておくれ どこへ行くのか
Dime de dónde somos / 言っておくれ どこから来たのか
Dime, dime / 言っておくれ

Y dime por qué será / 言っておくれ なぜこうなのか
Dime en dónde estamos / 言っておくれ ぼくたちはどこにいるのか
Y dime por qué / 言っておくれ なぜなのか

2010年ごろ、つまり大学一回生のころ、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』をはじめて読んだ。そのとき完全にやられていろいろ読んだのだが、名前の感じが似てるのと、クラシック・ギターだけどクラシカルではなく素朴な曲(?)ってところで、マルケスを読み進めていくお供に、彼の音楽をよく聞いたのだった。なつかしい思い出である。

国籍はスイスだってことは知ってたんだけど今回調べてみたら、両親がアルゼンチンの出身で、彼らが70年代後半の軍事革命で国から逃げてスイスにたどり着いた、その二年後に生まれたのが彼、González家の愛息らしい(Wikipediaによる)。だからいつまで経っても安定しない南米の情勢を反映しているという意味ではマルケスなんだけど、両親がアルゼンチンだったってことと、歌詞とを感じてみると、これはマルケスというよりはむしろボルヘスなんだな。

あとはロシアン・ポストパンク。ポストパンクって語自体が何なん? と突っ込みたくはなるのだが、そこにロシアンが乗っかるともはや何が何だか。しかし音楽そのものはジャンル分けとは関係なく進む。やはり外せないのはМолчат Дома(Molchat Doma)。彼ら自身はベラルーシのミンスク出身なので、ロシアン・ポストパンクとくくるのはヘンな感じだけど……というか、そもそもスラヴィック・ポストパンクって言えよな。

おそらくこれは昨今のDoomer Music(Lo-Fi Hiphopのカウンター?)の勃興とも関連しているのだが、どうもロシア語を解さない、英語圏の若者がめっちゃ聞いてるみたい。インド・ヨーロッパ語族の極東の遠さと、かつてVaporwaveが明らかにした遙か遠き80年代への憧憬が、空間と時間のダブル・パンチでノスタルジーを惹起するのだろうか? いずれにせよおれは新譜"Монумент"(Monument)で踊り狂っており、この家にある最後のウオツカが底をつきそうだ。

もう一組、これはロシアはノヴォシビルスクのバンド、Ploho。新譜"Фантомные Чувства" (Fantom Feelings)はこれから寒くなるにつれ益々味が出そう。打ち込みのドラムの無機質さがバリトンのロシア語の音声的悲しみとがっちり組み合っていて、そこに叙情的なコーラス・エフェクトのギター、パキっとしたプレジション・ベース、Microkorgのプリセットだと言われても信じるくらい朴訥なシンセが絡んでくる。そこにあるもので音楽をするしかなかった感とスラヴ語って、合うんだよね。歌えるかって? 無理です。フランス語より無理です……。

最後に、やっぱりこの時世に外せないのはErlend Øye。La Comitivaというバンドと組んでやった"Lockdown Blues"は、ヨーロッパ、そしていまや全世界を覆った疫病の悲しみを、死者への尊敬を踏みにじることもなく、かといって落ち込みすぎることもなく、素直に音楽にしてくれた。「家にいるのもいいさ きみと一緒ならね」なんて歌詞、ほんとにシンプルに見えて、職人にしか書けないです。茨木のり子かおまえは。

もちろん組んだときのシナジーはKings of Convenienceの相方Eirik Glambek Bøeとのほうが圧倒的にあるんだけど、こういう外連味っていうか、恥ずかしいことをさらっと言っちゃうスター性がErlandなんだよなあ。実際KommodeでEirikは難しいフレーズ弾きながらベース・ボーカルしてたけど、Earlandはいつまで経ってもギター上手くならないし……。そういえば高校生のころに心斎橋のクラブ・クワトロまでKings of Convenienceを聞きに行ったけど、いやあ、泣いたなあ……。

とまあ、振り返って見ればヨーロッパ的(?)な音楽を聞いた一年であった。この勢いで中東とかインドとかも聞きたいんだけど、文化的断絶がまじですごすぎて何もわからないんだよなあ。がんばっていこう。

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