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春を待つ植物と私
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最近すこしばかりSNSから離れていた。SNSが駄目とかではなくて、どうしても見過ぎて時間が取られてしまうから避けるようにしていた。人と人が揉めてるのは面白いからね。さかのぼってでも覗きに行きたくなってしまう。
そんなわけでSNSから離れて、私は植物を無闇に育てていた。
植物を買うのは町の花屋さんとか専門のグリーンショップであることも多いのだけど、私はあえて百均で買うことも多い。DAISOとかキャンドゥではプラスチックトレーに小さな植物が大量に並べられている。案外種類も多くて、コーヒーの木なんかだとけっこう元気なものが売られていたりする。
まあすぐには枯れないだろうというぐらいのものを何個か選んで家へ持って帰ってくる。土はあらかじめ10キロ以上買ってあるし、お古の鉢もあるので、植物をどんどんと植え替えていく。植え替えというのは売られたままの簡素な鉢から自分の用意した鉢へ植え替える作業のこと。不思議なもので、植え替えをした途端になんてことのないゴムの木であっても深い愛着が湧いて、大きくなってくれるのが楽しみになる。
そんなことをするうちに、小さな植物の植えられた小さな鉢がいっぱいできて、部屋のいちばんご機嫌な窓近くを占領していく。植物の特徴に合わせて暖房を長めにつけてやったり水やりしたりする。優先度と占有率から考えると、もはや植物のための部屋であるし植物のための私という存在になってくる。これは全然嫌なことじゃなくて、むしろ植物が私の差し出すものに喜んで大きくなっていってくれることは、私の日々に意味を与えてくれて安心感をもたらした。
そうして感謝の愛が行きすぎると、植物にオシャレをさせてやりたいからとデカい流木を拾ってきてそこに植え替えるなんて無茶なことまでするようになるわけだ。流木がデカいせいで私の部屋はより狭くなった。
そのうちに自分でも、私によって生かされている植物が私を生かしている、というなんとも珍妙な関係性を自覚するのだが、自覚したとてそれが不愉快ではない。私にとっての植物とはそういうものになっている。
植物をインテリアとして置く人も多いから、無印良品みたいな雑貨屋さんには観葉植物が売られてる。落ち着いた色合いの素焼き鉢にサボテンやガジュマルが植えられて並んでいる。
そういう植物を見かけるたびに、少し寂しくなる。なんだか植物がとても窮屈な役割に押し込められたような気がしてしまう。
私が植え替えを自分ですることで植物との関係性をスタートさせたのに対して、こっちのインドアプランツたちは(インテリアとして使われる植物をそんなふうに言うらしいです)もう上等な鉢を仕込まれて、もはやどこかに置くだけでその機能を果たすようになっている。下手なところに置いたってすぐには枯れやしないだろう。多少水やりを忘れても、水をあげすぎても、すぐには枯れやしないだろう。茎と葉の状態も良いし、よく呼吸する素焼き鉢を使っているから。
だけど、インテリアとして優れれば優れるほど、なんだか人間本位で、人間優位な植物との関係しか思い描くことしかできない。例えば、冬の寒さで葉を茶色く枯らしてしまったインドアプランツはインテリアとして劣っていると見られてしまう。植物が弱った時というのは、けっこうグロテスクな姿を晒すものだ。緑で健康的であった茎と葉からはどんどん色素が失われて、黄色やら白色に変色してから藁色に萎びていく。でも、まだ枯れてはいない。葉を落としてやって暖かい陽射しを受ければ、また健康に育ってくれる。でも、その時には人の手がかならず必要になる。できれば、多少枯れても諦めずに守ってくれる人に可愛い植物が買われてほしいなと望んでしまう。
まあ、偉そうなことを書いたものの私もこれまで数多の植物を無惨に枯らしてしまったので、あまり人のことを言えたものではない。サボテンがしなっしなになるととても悲しい。
光るような新芽の緑が膨らんでいるのをふと見つけて、嬉しくて、顔を近づけるその距離の分だけ植物を一方的に愛でてやる。
愛でてもらいたくて伸びるわけじゃない緑を、私は勝手に見つけて、一方的に愛でてやる。
植物が待つ春を、私も一緒に待つ。
おわり
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