睨まれる人身事故の掲示

クリスマスの浮かれた空気が去って残り少ない平日がやってきた。もはや年の瀬、師走も残り300メートル、血相変えて走る師の姿。

寝坊気味に最寄りの駅に到着すると改札前に人だかり。急いていた足を緩める。運行停止との表示。
電車は完全に止まっていた。運転の再開が1時間以上後になることを駅員は拡声器を使って伝えている。
動いてもいない電車の前ではどうしようもない。皆が上司やら家族やらに電話をかけている。私は携帯を出して業務用のチャットツールに現状を送信した。私が急ぐ必要はない。積まれた業務もなく、ただ出社さえすればいい。

家に帰った私を見て妻は驚いた。そして、無言のまま目で訴えて別の駅へ車で送ってもらう。つくづく思う、こんなに厄介な亭主はいない。人を送る送らないの判断も相手の良心に委ねようとするのだ。性格はさっぱりせず、沼沼としている。

乗り換え先の駅には独特な殺気が流れていた。ほとんどの乗客が急遽乗り換えに来た人達だろうから、急な変更を強いられた朝に苛立つ故の殺気と推測された。
着く電車の乗客は眼光鋭く、乗り込む乗客の眼光も鋭かった。私は如何に電車の遅延と到着時刻の差となる時間でサボるかを思案していた。

電車が主要駅に進むにつれて乗車率は増して殺気も増した。車内でもしきりに先程の沿線の運行停止を伝えるアナウンスが重ねられた。

人身事故は「電車とお客様との接触」という表現になって電光掲示を流れる。その文字列から詳細を拾うことはできないが、あまり望ましくない風景ばかりが浮かんでくる。はねられたか、轢かれたか、突き落とされたか,酔っ払ってぶつけたか、なんにせよ痛ましいものだ。
その事実を伝える文字列に向けられる目は慈悲か仁愛か、いや違った。強い怒りであった。人の死を時間の損失が塗り替える。朝の濃密な数十分を奪った死人を怨む怒りの目があった。

人がその生を終わらせようとする刹那を達成する材料は何になるのだろうか。絶望が導いて諦めが身を投げさせるのか。湧き上がる衝動が地面を蹴るのか。死へ肉薄してゆく景色はどのようなものになるのか。

私は知らない。最後の瞬間が何色で、焦点がどこに合うのか。その景色は多くの怒りを買う価値があるのか、無価値であるが故の意義があるのか。意義ある死とはなにか。

私の経済的損失は軽微。この軽微な損失を以て悼みたい。

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