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バブル期に〇〇に"お使い"にいった話

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\オッケーバブリー! しもしも~! おったまげ~!/

先日、日経平均株価が3万3706円を突破し、バブル後最高値を更新したそう。1990年7月以来、およそ33年ぶりだという。

とはいえ、そこまで景気が良くなっていると感じないのだが、みなさんはいかがだろうか?

ちなみにバブル期とは、1986年末~1991年初頭までのおよそ4年間のこと。

筆者は当時、ファミコン通信編集部(現・週刊ファミ通編集部)で働いていたが(入社は1989年で、当時19歳)、年齢も若かったし、アルバイトだったということもあってか、それほどバブルの恩恵を受けた記憶はない。

たしか、時給は700円~800円ほどだったと思うが、コンビニやファーストフードなど、都内の他業種のアルバイト時給が、およそ600円~くらいだったことを考えると、まあ良かったほうだろうか。

とはいえ、よくよく考えてみると、アルバイトであっても、深夜帰宅時はタクシーチケットをばんばん使わせてもらっていたし、慰安(研修)旅行にも連れて行ってもらった。

また、少額だが賞与(ボーナス)も出たし、上司に連れられて高そうな料亭での打ち合わせや接待にも同席させてもらった。

そう思うと、間接的な恩恵は受けていたのだろう。

さらには、E3(その前身のCES)など、海外への取材も何回も行かせてもらった。

【E3】"Electronic Entertainment Expo(エレクトロニック・エンターテインメント・エキスポ)"の略称で、アメリカ・ロサンゼルスで毎年開催されている世界最大級のゲーム見本市のこと。

そんななか、'90年代初頭に、北米で開催されたイベント(SIGRGAPHだったか?)に出展されたゲーム(CG)の画面を撮影するためだけに、単身で渡米取材を担当したことがある。

まだ、インターネットもデジカメもない時代だ。フィルムカメラを持ってアメリカに渡り、イベントで数点写真を撮ってそのまま帰国するという、いわゆる単なる「お使い」である(笑)。

インターネットがない時代だったので、いまはメールでやりとりできるような資料や写真の受け渡しは基本、郵送かバイク便か、直接取りに行く(届けに行く)のいずれかしかなかったのだ。

だったら、「だれかに現地で写真を撮ってもらい、そのフィルムを日本に送ってもらえばいいのに」と思うかもしれないが、フィルムは空港のX線検査を通すと感光してしまうので、郵送や預け荷物ではなく、基本は"手荷物"として誰かが運ばなければならなかった。

カメラのフィルム。

また、誌面で使用する写真ということもあり、やはり勝手知ったる編集者が現地に行って撮影したほうが、的確な写真を撮影することができる。

そんなこんなで、たしかこの「アメリカお使い」のときは。帰国する飛行機のスケジュールの関係で、向こうで2泊することに。

イベントで写真さえ撮ってしまえば、あとはやることはないので、空いた1日はカリフォルニアのディズニーランド・リゾートに遊びにいったのを憶えている(もちろんこれは自費で)。

たった写真数枚のために、かなりの経費をかけており、まさにバブリーな時代だったのは確かだ。

「むかしは良かった!」なんて、言うつもりはさらさらないのだけど(絶対、いまのほうが良いこともたくさんある!)……また、(どこかの会社の)経費で海外にお使いに行きたいなあ、とはつねづね思っている(笑)。

もっと景気が良くなればいいな!


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