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fence

 私の住んでいるマンションの隣にはもう一つマンションが建っている。私が住んでいるマンションとそのマンションの間には敷地を区切るためのフェンスが併設されていて、これがかなり厄介だった。
 子どもの頃の私にはどちらのマンションも、はたまたその建物たちの敷地も全てが遊び場だった。フェンスを乗り越え、マンションとマンションの間を行き来してケイドロやかくれんぼをした。二つのマンションを行き来するという鬼が不利になるような範囲を近所の子ども達と駆け回っては、その騒がしさに周囲の大人達に叱られる程だった。
 このフェンスを私達はすいすいと乗り越える。見上げるくらいの高さがあっても、ものの5秒程であちら側へワープする。だけどこのフェンスを乗り越えている者は私たちの様な体の軽い子ども以外にもいたらしく、フェンスは何かの重みに耐えられなくなったのか、気がつけば垂直に水平に規則正しく続いていたフェンスの一部分が、歪んで斜めになっていた。少し掴まってよじ登ろうとすれば最後の一息、こちらに倒れてくるのではないかという様な緊張感をフェンスは持つようになり、それ以来そのフェンスを乗り越える事はなくなった。
 子どもの頃の私たちには、あのフェンスさえなければ隣のマンションまで回り道をせずに移動出来るという思惑があったので、それだけのことで悶々としたものだ。
 いつしかあのフェンスは目立つ傾きの危なさ故に、歪んだ軸の部分は新調され、再び昔のように垂直に水平に規則正しく続く様になっていた。フェンスが元の一定さを取り戻す頃、私は敷居を越えて走り回る様な遊びをしなくなっていた。ケイドロやかくれんぼというわんぱくな遊びは、校区外にあるショッピングセンターにプリクラを撮りに行ってフードコートでだべる時間に変わっていた。フェンスの網目に足を引っ掛けるには丁度よい柔軟なビーチサンダルを履く小さな足は、黒い革の光沢で美しいローファーを履くようになっていた。体の成長は服装を変え、服装は遊びの形を変えていた。
 
 あの頃の子ども達もいつしかめっきり見なくなった。みんなどこに行ってしまったのか、「またね」と言ったのに会えなくなるなんて。「またね」と言って十年会わないこともざらになるなんて。思ってもいなかった事が起きている事に気づく時、ハタりと切なくなる。気づかない間に季節が変わってる、私は何にも変わらないのに。

 これが最後だと知らずに、再会を望む姿勢をとらないまま、無邪気な挨拶をする姿がその人への一番新しい記憶として止まっている人が私にはたくさんいる。そうゆう出来事が多いことに気づいては「今更こんな事を思っても」と一人行き場のない気持ちを抱える。なので最近は友人との別れ際の「またね」と言う声の裏に「元気でね」と小さくお祈りを忍ばせるようになった。なんだかちょっと神経質かもしれないけれど、これが最後かもしれないと思ってしまうくらいみんなに切実だ。私はこのままぐんぐん歳をとってゆくのだろう。
 マンションのフェンスの横を通る時、網目の規則正しさが横目に映ってさわさわとする。日に焼けて少し色を霞めて、雨に錆びつき、少しずつ色や態度を変えながらもずっとここにいるこのフェンスは、何も変わらない私の意識の端っこにいつもいる。履き慣れたローファーがくたびれてる卒業式の日も、振袖を着て無邪気に歩いた成人式の日も、実感のないまま社会人になって家を出たスーツの日も、実家のあるこのマンションに出戻ったゆるいシャツの日も、このフェンスはここにずっとあったのだと思うとなんだか遥かな気持ちになる。そんな遥かさを抱えた時に、遥さって、太古の恐竜がいた時代の事や文明開花し出した頃の歴史に対して与えられる価値観だと思っていたけど、遥かさは人それぞれが個人を懐古する感情そのものなんだと思えた。私ってば遥でいていいんだね、そう思うとなんだかほっとする。
 フェンスに指先をかすめて歩くと一定のリズムが体に届く、無邪気な笑顔の人たちの手を振る姿が今日の夕方の出来事の様に思い浮かぶ。記憶の奥の夕暮れ時の中で別々の道に帰る友達。何度も振り返って「ばいばい」と叫ぶ。角を曲がって見えなくなっても、点のような声で届く「ばいばい」はどちらが優位に立ちたいとも思わない無邪気な愛そのもの。温かかった日々の常識が今の私の体の中でこだまする。思い出したから忘れたくないな。

 日用サイズの遥かさを今時の人達はエモいと言うのだろうか。自分のちっぽけさを知りながら、私は私の未来を遥かなものだと言う。置いてけぼりに気がつくのが遅くても、すべての事に理由が欲しくても、なんてない日々よ、当たり前に続け。何があっても続け。同じリズムじゃなくても良い、降りかかる重圧で見える世界が歪んでしまう時があってもいい、不安定な羅列でも少しずつ進め。全てを抱えて遥かになりたい。

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