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エッセイ 「静かの海」のナゾ  中編


前編で、明治41年から現代まで続く「天文月報」という手がかりに辿り着きました。月面地形の和名の記録があるのか? ナゾのゆくえは?
はてさて、どうなりますか。では、中編です。


天文月報 1911年(明治44年) 8月号 雑報「月の各点の光の差異」に、
『此差違は「海」の部分にて特に著し。』

月の地形の呼び名が、なんらか存在するみたい。
それにしても、初めての明治の雑誌ですが、割と読めるモンですね。



天文月報 1914年(大正3年) 3月号 雑報「月面に於ける火口の変化」に、
『~アインマルト火口の著しき実質的変化を記せり。此火口は危の海の西北縁にありて~』

出たぁ~!「危の海」  「危難の海 (Mare Crisium)」ですね。
1918年7月号では「危海」って記載されてる。
まだ、和名が統一されたって感じじゃないですね。


天文月報 1925年(大正14年) 2月号 雑報「月の正色写真」に、
『~トランキリタチスはオリーブ緑色を呈し、セレニタチスは褐色、イムブリウムは褐色とオリーブ緑の喧嘩したようである。アリスターカスは移り具合不良のため~』

出たぁ~!「トランキリタチス」 「Mare Tranquillitatis」(静かの海)  !
「セレニタチス」は「Mare Serenitatis」(晴れの海) で、
「イムブリウム」は「Mare Imbrium」(雨の海) で、
「アリスターカス」は「Rimae Aristarchus」(アリスタルコス谷) かな。

とすると、まだ和名がついてないか、一般的ではない、みたい。


天文月報 1930年(昭和5年) 10月号 雑録「月面に見られる諸形態の起因に就いて」に、
『~マレ・インブリウム海はその好例~』

「マレ・インブリウム海」…マーレと海が被ってるし、「インブリウム」と「イムブリウム」… まだ呼び方もカタカナ名も統一感に欠けますね。


天文月報 1934年(昭和9年) 2月号 雑報「月面のピコ山」
「プラトー環山の南にあたり『雨の海』中に孤立せるピコ山塊~」

「雨の海」!  和名登場 「危の海」に続き2つめ。
この年 1934年に IAU が『Named Lunar Formations』を出版しているので、このあたりで和名が統一されるのかも?


ところがです、ところがですよ。
このあと和名の統一どころか、月の話題そのものが、ほとんど天文月報に出てこないんです。

月日は流れます。(というか、目次を読み飛ばします)


天文月報 1940年(昭和15年) 1月号 抄録及資料「Transaction of International Astronomical Union Vol.6(1938)」に、
『1939年8/3-8/10 ストックホルムで國際天文同盟第6回総会があり、その内容が『天界第19巻11月號』に記録され~』

へぇ「天界」って資料もあるんだ。
とりあえず、発行元の天文同好会へ
google先生ぇ


1920年(大正9年)に、京都帝国大学の山本一清氏が中心となって結成した「天文同好会」(日本最古の同好会)は、1932年(昭和7年)に東亜天文協会、1943年(昭和18年)に東亜天文学会と名称を変更しながら現在も…

探してみたけど、ネット上に「天界」の古い資料はなさそう。

山本一清氏...
1929年(昭和4年)10月 花山天文台の初代台長
アポロ計画の月面地図作りに、日本では花山天文台が協力したらしい。
1935年(昭和10年) 日本人初のIAU専門部会の委員長に就任。

なんか...モノ凄い人…
こんな昔からIAUと繋がりがあるんですね。

おっ! 山本一清氏が、1943年に『月の話』(偕成社)を出版してる。

...
国会図書館デジタルコレクションで読めました!
『月の話』1943年(昭和18年) 3月13日初版発行

おぉぉぉ キタァァァ!
「月世界の海」の章に、とうとう月の海の和訳が出てきましたぁぁぁ。

現代の定義と並べてみると

「月の話」の日本語訳        ウィキペディアの定義
------------------------------------------------------------------------
クリシウム海  危難の海      危難の海 (Mare Crisium)
フェクンド海  豊饒の海      豊かの海 (Mare Fecunditatis)
ネクター海   神酒の海      神酒の海 (Mare Nectaris)
トランキル海  静寂の海      静かの海 (Mare Tranquillitatis)
セレノ海    晴れの海      晴れの海 (Mare Serenitatis)



1943年当時は「静かの海」ではなく「静寂の海」で、「豊かの海」も「豊饒の海」です。そうだよねぇ、この翻訳の方が素直ですよねぇ。

これで 仮説B は、この年1943年から、レインジャー8号衝突の1965年の22年間のどこか、に絞り込めたっぽいですね。

仮説B:IAUが出版した『Named Lunar Formations』を日本天文学会が和訳して、月の和名を統一したのでは?



天文月報に戻ります。が、やはりほとんど月の話題はなく、月日は流れ、次に月の話題が出てきたのが、


天文月報 1958年(昭和33年) 5月号 「月への飛行の力学」で、
関口直甫氏(東京天文台)が、ソビエト科学アカデミー V.A.エゴロフの研究結果を紹介しています。高速自動電子計算器で、「月に物体を打ち当てる軌道」「月をまわって地球にもどる軌道」「周期軌道」を解いたことを解説していて、この中で関口氏は「月に物体を打ち当てることは近い将来実現するものと考えられる」と予測しています。


そしてなんと、この関口氏の予測通り、翌年 1959年9月14日に、ソビエト連邦が人類で初めて宇宙探査機ルナ2号を月面に衝突させるんです。

なんかぁ、なんかぁ、熱い時代ですねぇ。

ところがです、ところがですよ。
天文月報を 1959年9月号,10月号,11月号,12月号と読んでいっても、ルナ2号のことは何も書いてないんです。

そして、天文月報 1960年(昭和35年) 1月号 「輻射点」というコラムに、
ようやく、ソ連の3つのロケットに関する報告がでてきます。
⑴ 1959年1月2日に発射した「人口惑星」
⑵ 1959年9月12日に発射して見事に月面衝突した「月ロケット」
⑶ 1959年10月4日に発射した「宇宙ステーション」

⑵はルナ2号のことだと思いますが、記事にその名前は出て来ません。

なんで?


でもまぁ、そこは、良いんです。
えらいこっちゃなのが、

同じ天文月報 1960年 1月号 の月報アルバム 「月の裏側」に、
「1959年10月27日ソ連は月の裏側の撮影に成功したことを報道し (略) 地球からも見える部分で、フンボルト海、危難の海、スミスの海、豊かの海と続いている。中央やや右上にある黒い部分がモスクワの海、 (略) 上下にある白い部分はソビエツキー山脈と命名された。略」

とあるんです。

「フンボルト海、危難の海、スミスの海、豊かの海」は、慣用っぽく名前が出ていて、月の裏側の地形が新たに命名されてます。

...なんか、この時点で海の和名が統一されてるっぽいんです。
えらいこっちゃです。

そして、そして、
ルナ2号が衝突する前日の朝日新聞
その衝突予測地域の記事に「静かの海」があるんです。
もう1959年時点で「静かの海」なんです!

月面衝突間近を伝える朝日新聞


どうも、日本天文学会以外のところで、和名が統一されている気がします。なんか、仮説Bは怪しいですね...
いったい誰が、いつ…

後編につづく

#エッセイ #静かの海 #月面地図 #天文月報  




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