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ウクライナの詩人 シェフチェンコ

先日、このようなつぶやきを投稿して後、noteはそのままにしてきました。

ウクライナとロシアを取り巻く状況は日に日に悪化し、いったいどのような決着を見るのか、まったく予断を許しません。一つ確かなことは、どのように終わったにせよ、ロシアが持っていたありとあらゆるものがすべて地に落ち、数十年の単位で禍根を残すということだけでしょう。

無名な私にできることはあまりない。ささやかながらウクライナの為の献金をするとか支援を送ることはできますが、それ以上に何ができるか?

実はあまり何もありません。

そんな中でもウクライナの平和を願いつつ、これまでのnoteで書いてきたような文化的な内容をもう一歩掘り下げてまとめておくことは、今の時点でやっておきたいと思いました。

ウクライナを代表する詩人シェフチェンコ

私も数年前までは名前すら聞いたことがなかったのですが、ウクライナを代表する19世紀の詩人・画家です。

こちらの引用にもあるように、ウクライナの首都キーウで国を代表する大学に名前が付けられるほど、ウクライナでは著名な詩人・画家ということになります。

画家としての才能も優れていて有名である。ウクライナ国内では人気が高く、首都キエフには彼の名を冠したタラス・シェフチェンコ記念キエフ国立大学がある。

ウィキペディア「タラス・シェフチェンコ」から抜粋

本投稿のトップの画像は、1841年にシェフチェンコが書いた「ジプシー占い師」というタイトルの絵画で、後述する「シェフチェンコ詩集 コブザール」の表紙絵にも使われています。
また、下記にリンクしたウィキペディアの肖像画は自画像とのこと。

シェフチェンコとコブザール

ウィキペディアの記載では、シェフチェンコの詩の代表作として「コブザール」との記載があります。

日本語のウィキペディアの記載ではコブザールについての記載はありませんが、英語版によれば、ウクライナ文化における「Bard=吟遊詩人」のことで、この詩集の成功によってコブザールと言えばシェフチェンコを指すぐらいになったようです。

Taras Hryhorovych Shevchenko (Ukrainian: Тара́с Григо́рович Шевче́нко; 9 March [O.S. 25 February] 1814 – 10 March [O.S. 26 February] 1861), also known as Kobzar Taras, or simply Kobzar (a kobzar is a bard in Ukrainian culture), was a Ukrainian poet, writer, artist, public and political figure, folklorist and ethnographer.

「シェフチェンコ」英語版ウィキペディアから転載

シェフチェンコを知ったきっかけ

あれはまだ世の中がコロナなどという言葉とはほぼ無縁で過ごせていた時代、本当に偶然のきっかけでウクライナ出身のナターシャ・グジーさんのコンサートを聴く機会に恵まれました。

2011年の3月に日本を襲った東日本大震災の半年ほど前に、「いつも何度でも」をテレビで歌って反響を呼んだナターシャさんでしたが、まさかその半年後に3.11で再び原発の悲劇が襲う近くにいることになるとは、と思いながらコンサートを聞いた記憶があります。

そのコンサートのプログラムの一曲が「コトリャレフスキーへの鎮魂歌(レクイエム)」で、紹介文に「伝統的詩人シェフチェンコ」の名前がありました。

コトリャレフスキー(コトリャレーウシキー)はウクライナの作家で近代ウクライナ文学の基盤となった『エネイーダ』の著者とのこと。

ナターシャ・グジーさんによるコブザール

コンサートでナターシャさんから、コブザールとはウクライナの吟遊詩人のことを意味していて、彼にちなんで旅歌人という活動を始めたとの説明がありました。正確になんといっていたかは覚えていないのですが、おおよその筋は間違っていないはず。

ナターシャさんのサイトでも「コブザーリ」のページが置いてあります。

民族楽器コブザを手にしていた吟遊詩人なのでコブザール/コブザーリと呼ぶのですね。

2017年、春。かつてウクライナの地で、民族楽器コブザを手に村々を訪れ、詩や物語、政治や各地の出来ごとを唄い奏でた吟遊詩人<コブザーリ>。各地でバンドゥーラを弾き語るナターシャ・グジーをその場の音や空気までをフィルムに焼き付ける想いで制作した、映像と音声でお届けする新たなプロジェクトが始まった。

http://www.office-zirka.com/film/

ところで、コブザとは何かなと思ったらナターシャ・グジーさんが使う楽器、バンドゥーラのルーツとなる楽器で、バンドゥーラの同義語としても使われていたということです。

バンドゥーラ
同じウクライナの民俗楽器であるコブザやグースリをルーツに持つと考えられており、特にコブサという語はバンドゥーラの同義語としても使われていた

ウィキペディア「バンドゥーラ」から引用

コブザール/コブザーリは、それであればバンドゥーラをもってあるく吟遊詩人のことを意味しているわけですね。

バンドゥーラ奏者 二人のグジーさん

ナターシャ・グジーさん

ナターシャ・グジーさんの動画は上記で貼りましたが、もともと1986年、ナターシャさんが6歳の時にチェルノブイリ原発事故が起き、そこから避難してキーウに移り住み、そこでバンドゥーラを習った後、日本に来られた方です。

本人が直接、日本語で書かれたこちらの本にはCDもついて販売されていますが、今のこの状態で読むと改めて涙を禁じえません。

ナターシャ・グジーさんの事務所で、「コブザーリ」のDVD等はサイン入りで購入が可能なようです。直接サイトをご覧ください

カテリーナ・グジーさん

私が先に知ったのがナターシャ・グジーさんでしたが、こちらもたまたま某レストランでパンフレットを見て、同じ苗字だったのでもしかと思ったのですが、妹のカテリーナさんも同じく日本にお住まいで、バンドゥーラ奏者としてご活躍です。

カテリーナさんはツイッターもお持ちです。私もフォローいただいており、非常に恐縮しています。

2人のバンドゥーラ奏者とウクライナ・ファンブック

ナターシャ・グジーさんとカテリーナ・グジーさんについては、ウクライナ・ファンブックの220ページ(初版第1刷)にも記載されています。

日本で発売されているシェフチェンコ詩集

話題をシェフチェンコに戻しましょう。
詩人でもあり、画家でもあったシェフチェンコの作品について、彼が書いた絵画はウィキペディアでも閲覧可能となっています。

一方、詩集については遡れば1988年にも翻訳が出版されているようですが、こちらは取扱い不可となっていました。

2022年現在、書店で買えるシェフチェンコの詩集は2冊あるようです。
どちらも東京外国語大学ロシア語科を卒業された藤井悦子氏の翻訳によるもので、両者ともに巻末に詳細な作品解説がついていて、創作の時期や背景なども把握できるようになっています。

群像社「シェフチェンコ詩集 コブザール」

まずは「コブザール」がタイトルに着けられている「シェフチェンコ詩集」。シェフチェンコが残した詩のうち約半数、101篇を翻訳したもの。
こちらの写真が、本記事トップに掲載した「ジプシー占い師」なのが見て取れますね。

こちらは日本語訳のみで、ウクライナ語の記載はありません。
しかし、各詩の末尾に創作された時期と場所、そして原題が付記されています。シェフチェンコの詩はこちらですべて探せるようです。

本当に便利な時代になりました。

大学書林「シェフチェンコ詩選」(日宇対訳)

一方、こちらは大学書林さんによる「シェフチェンコ詩集」。
出版社を見ただけで対訳本であることが期待されますが、まったくその通りで、きちんと語句解説までついています。さすが大学書林さん。
その分、収録作品数は28篇のみとなっています。

上述しましたが、日本人にとってそれほどなじみがあるとは言えないウクライナの詩人の作品のため、どちらにもシェフチェンコの生涯や作品解説が丁寧に書かれています。

「シェフチェンコ詩選」のウクライナ語の朗読・歌唱曲

うちでnoteを書くのなら、本の紹介にとどまらずにウクライナ語の朗読音声を探しておきたくなりました。

いつか「シェフチェンコ詩集 コブザール」も同様にしてみたいと思いますが、まずはテキストに対訳が掲載されている「シェフチェンコ詩集」(大学書林版)28篇を集めてみました。
最初は、詩の朗読を探してみたのですが、ウクライナを代表する詩人でありナターシャ・グジーさんも彼の詩に曲をつけたほどですので、歌唱曲ばかりがでてくるものもありました。

以下、大学書林の「シェフチェンコ詩集」の掲載順にリンクしておきます。なお、詩のタイトル訳は「シェフチェンコ詩集」の作品解説から転載しています。

1)Думи мої думи…(わたしの詩、私の心の想念よ・・・)

  1940年1月~3月頃 

いくつものバージョンがあり、こんなのも目を引きます。

2)РОЗРИТА МОГИЛА(暴かれた墳墓)

  1843年10月9日、ベレザニ

3)Чигрине, Чигрине(チヒリンよ、チヒリンよ)

  (1844年2月19日、モスクワ)

4)Минають дні, минають ночі(日が過ぎ、夜が流れ)

  1845年12月21日 ヴィユーニシチェ

5)ТРИ ЛІТА(3年)

  1845年12月22日 ヴィユーニシチェ

6)Як умру, то поховайте(私が死んだら、葬ってほしい)

  1845年12月25日 ヴィユーニシチェ

監獄にて書かれた詩

以下の詩は、シェフチェンコが秘密結社「聖キリルと聖メソジウス団(Кирило-Мефодіївське братство)」に関わり、1847年4月5日に同結社に手入れが入った際に、シェフチェンコが書いた皇帝ニコライ1世とその妻アレクサンドラを批判する詩が見つかり逮捕され、サンクトペテルブルクの刑務所にて書かれたものとのことです。
このためひそかに書きしたためられたウクライナ語の原文は、詩ごとに分かれていませんでした。監獄での一連の詩作として把握されているというべきでしょうか。

このため、大学書林の「シェフチェンコ詩集」の順番がアラビア数字、その枝番としているローマ数字は監獄にて創作された詩につけられている順番です。ウクライナ語の原文のページで探されるときは、このローマ数字で見つけることができます。

7-I)Згадайте, братія моя...(同志たちよ、思いだしてほしい)

  1847年5月30日 (独房にて)

8-III)Мені однаково(わたしが ウクライナにすむことができようと できまいと)

  1847年4月17日~5月19日頃

9‐VII)Н. Костомарову(コストマーロフに)

1847年4月17日~5月19日頃

本作品については、2022年3月28日時点では朗読が見つけられませんでした。

10‐VIII)Садок вишневий коло хати(農家のそばの桜の庭)

  1847年5月19日~30日

流刑地(オレンブルク)で書かれた詩

他にも監獄にて書かれた詩は多数ありますが、ここからはオレンブルクに流刑になった時のものです。

11)ПОЛЯКАМ(ポーランド人に)

  1947年6月末~12月頃

12)Добро́, у кого є господа(わが家をもつひとは 幸いである)

  1848年9月~12月頃

本作品については、2022年3月28日時点では朗読が見つけられませんでした。

13)Мов за подушне, оступили(人頭税の取り立てでもするように)

  1848年9月~12月頃

14)Г. З.(H.Z.)

  1848年9月~12月頃

15)За сонцем хмаронька пливе(太陽を追いかけて)

  1848年9月~12月頃

16)Думи мої, думи мої(わたしの歌、わたしのこころの歌よ)

  1848年9月~12月頃

17)І виріс я на чужині(ふるさとを遠くはなれて)

  1848年9月~12月頃

18)І широкую долину(ひろびろとつらなる野)

  1848年9月~12月頃

こちらの詩には、素晴らしく美しい歌になっていました。

19)Неначе степом чумаки(草原を旅するチュマークたちが)

  1849年1月~4月頃

20)Як маю я журитися(わたしが悲しみにうちひしがれ)

  1849年1月~4月頃

こちらの詩にも美しい曲が付けられています。

21)Лічу в неволі дні і ночі(流刑の日々の昼と夜をかぞえつづけて)

  1850年1月~4月頃

22)Якби ви знали, паничі(人びとが嘆きの底であえいでいる場所を)

  1850年1月~4月頃

流刑以後に書かれた詩

以下の詩は流刑以後に書かれた作品となります。
作品解説をこちらに掲載したいほどなのですが、そこは是非、大学書林さんの「シェフチェンコ詩集」をお買い求めいただけたら幸いです。

23)ЛИКЕРІ(リケラに)

  1860年8月5日

24)Н. Я. Макарову(ニコライ・マカーロフへ)

  1860年9月14日

25)Л.(L.)

  1860年9月27日

26)Не нарікаю я на Бога(わたしは神を責めはしない)

  1860年10月5日

27)Минули літа молодії(わたしの青春は過ぎ去り)

  1860年10月18日

28)Чи не покинуть нам, небого(わたしの貧しい道連れよ)

  1861年2月14日~15日


今回はウクライナの詩人とその訳詩集の紹介のみでした。
ウクライナ語の原詩や朗読を聞きながら、改めてロシア語と似ている語もあるものの、基本的には違う言葉で、自分の実力ではまったく歯が立ちませんでした。

これをきっかけに、少しずつ馴染んでいけたらと思っています。

長い投稿を最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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