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なぜ、ポーカーはお金を賭けないと成り立たないのか?

こんにちは。
今日はまた少しタブーな領域について突っ込んでみようと思います。

テーマは「ポーカーはお金を賭けないと成り立たない」です。

国内のポーカーシーンは「時代遅れな法律の問題」で公な場での金銭を賭けたマネーマッチができないようになっています。
たまにこのルールを破ってしまい、少し問題として取り上げられることもあります。
その時、必ずと言っていいほど現れるのが

ポーカーはお金を賭けなくても面白いんだから、賭ける必要はない

という人たちです。

法律だから仕方ないという意見であれば納得できるのですが、「お金を賭けなくても面白い」という意見には納得できません。

でもそれはあなた個人の価値観の問題で、お金を賭けた方が面白いと考えているからでしょ?
と思う方も大勢いると思います。

しかし、これは断じて違います。
僕はポーカーというゲームは「お金を賭けた方が面白いから賭けるべき」と考えているのではなく、「賭けないとゲームとして成り立たないのだから、賭けないという選択肢がそもそも存在しないはずだ」と考えています。
これは確かに「面白くない」という概念がより具体になったものではありますが、厳密にはニュアンスが違うと考えています。

これがどういうことなのか。

今日はこの内容に少し切り込み、「なぜ、ポーカーはお金を賭けないと成り立たないのか」について解説していきます。
読んでいただいた方に新しい考え方を提供できたらと思います。
※法律は法律なので、あくまでも自己責任であることは大前提です


それぞれの派閥の意見を整理する

まず、お金を賭ける賭けない云々を深ぼって行く前に、それぞれの派閥の意見を整理してみましょう。
ここでいう派閥とは、シンプルに

  • お金を賭けない派

  • お金を賭ける派

とします。
実は厳密には、こうではないのですが、多くの人はこのような切り分け方をすると思うので、それも含めて構造の整理をしていきましょう。
※厳密な派閥の分け方についても最後に触れます

お金を賭けない派の意見

お金を賭けない派の代表的な意見は「ポーカーはお金を賭けてなくても面白いのだから賭ける必要がない」です。

お金を賭けない派の意見は、ポーカーというゲームはお金を賭けなくても心理戦などを楽しめるゲームなのだから必要ないだろという意見なのだと思います。
過激派の中には「お金を賭けてやるポーカーなどありえない」くらいの人も見受けられます。

お金を賭ける派の意見

次に賭ける派の意見です。
お金を賭ける派の意見は主に次の2つに分かれます。

  • お金を賭けた方が面白い

  • そもそもお金を賭けないとポーカーとして成り立たないから

前者は単純にギャンブルが好きな属性の人たちです。
こういう方は、ポーカーに限らず、どんなゲームやスポーツでもお金を賭けようとするでしょう。

後者に関しては、今日僕が主張したい意見です。
僕も含め、後者のような意見の人は「お金を賭けた方が面白いとか面白くない」とかではなく、「お金を賭けないとポーカーとして成り立たない」と考えています。
これは、「お金を賭けた方が面白いから賭けるんだ」とする人たちとは全く属性の異なる意見であり、これらをまとめて「お金を賭ける派」としてしまうのはナンセンスです。

僕は「お金を賭けない派」の人たちに対して「決してギャンブルが好きというわけではなく、お金を賭けないとポーカーですらないから賭ける方がいいとか悪いとかいう話ではない」と説明をするのですが、中々理解していただけません。

その理由は当然で、「お金を賭けない派」の人たちは、僕らのような意見の人間でさえ「お金を賭けないと面白いと感じれないタダのギャンブル好き」とひとくくりにしてしまっているからです。

意見を整理したことで見えたと思いますが、「お金を賭けないとポーカーとして成り立たない」と考えている人間は「面白いからとか面白くないからという理由」でそのような意見を言っているのではありません。

一方で、「お金を賭けるから面白いんだ!」と考えている賭ける派(先ほどの例でいう前者)も実際には存在しているため、話はややこしくなります。
彼らはポーカーのゲーム性に関して大した理解はありません。
そもそも成り立たないから賭けているという発想はなく、お金を賭けた方が面白いから賭けているだけです。
このような人たちは、「ポーカーでなくてもお金を賭けたがる」でしょう。
※もっともポーカーはお金を賭けないと成り立たないことを理解していて、だからお金を賭けているけど、ギャンブルも好きだから賭けなくていいゲームも賭けたいという人たちもいると思います・・・笑

ここまでの説明で、僕のような人間の意見は「決してお金を賭けた方が面白いから賭けたい」と考えているわけではないことをご理解いただけたと思います。
あくまでも主張したいのは、「お金を賭けていないとゲームとして成り立たないんだ」という部分であり、「タダのギャンブル好きの意見」とは違うということを理解いただけたのであれば幸いです。

つまり、正しい派閥は3つあるということです。

  • お金を賭けない派

  • お金を「賭けたい」派

  • ポーカーはお金を賭けないと成り立たないと考えている派

です。

次のセクションでは、なぜお金を賭けないとゲームとして成り立たないのかを説明します。

マネーマッチを前提としたゲーム性

ここからは、なぜお金を賭けないとゲームとして成立しないのかを説明していきます。
ポーカーがお金を賭けないと成り立たない理由は「マネーマッチを前提としたゲーム性」だからだと考えています。
この話を中心に深堀していきましょう。

賭けなくても成立するゲームとしないゲームの違い

そもそもお金を賭けなくても成立するゲームとしないゲームにはどのような差があるのかを考えみましょう。
これに関しては、世界的なPoker Vlogerである「世界のヨコサワ」氏が自身のチャンネルで話していた下記の動画が非常に参考になります。

この動画の09:57あたりからぜひご覧ください。
ヨコサワ氏が語っているのは「コアゲーム」と「メタゲーム」の話です。
ヨコサワ氏は「コアゲーム」が面白い(しっかりしている)ゲームは「お金を賭ける要素」がなくても十分に面白いと述べています。

確かに、僕もこれまでに色々なジャンルのゲームをやってきましたが、「お金を賭けたい」と思ったことは、殆どありませんでした。
それはつまり「コアゲーム」がしっかりしているゲームであり、「お金を賭ける要素」が必ずしも必要なかったからかもしれません。

最も、囲碁や将棋もお金を賭けてプレイしたら、今よりもスリリングになり面白くなるのは間違いないでしょうが、必ずしもマネーマッチ要素を入れる必要はないと考えています。

ここで大事なのは、「すでにゲームとして成り立っているけれど、お金を賭けるという要素を入れると面白くなるゲーム」と「お金を賭けないと成り立たないゲーム」は全くの別物であるということです。

これを理解できているかどうかで、この問題に関する解像度はかなり変わってきます。

お金を賭けない派の的外れな意見として、「お金を賭ける派の人たちは将棋や囲碁、野球とかもお金賭けないとできないのか」という意見があります。これがなぜ、的外れなのかというと、「将棋や囲碁、野球はお金を賭けなくても、すでにゲームとして成り立っているから」です。

ポーカーに関しては他の様々なゲームと違い、「お金を賭けると面白くなるとかならない」とかの問題ではなく、「お金を賭けていないとそもそもゲームが成り立たない」のです。
繰り返しになりますが、これを理解できているかどうかが、ここからの内容を理解する上で非常に重要になるので、もしまだ理解できていない方は、もう一度最初から読んでいただけると良いかと思います。

理解できた方は次へ進みましょう。

では、なぜポーカーはお金を賭けていないと「ゲームとして成り立たない」と言えるのでしょうか。

ヨコサワ氏は「ポーカーのコアゲームは決して面白いとは言えないから」と言っています。
一見、これが答えのように見えますが、僕は厳密には違うと考えています。
そこで、ここからさらに深堀をしてみました。

ゲームは「コア」と「メタ」の融合で成立する

そもそも「コアゲーム」とは何か?から考えてみたいと思います。
あらゆるゲームにおける「コアゲーム」とは、主にゲームとして主となる体験部分だと考えるとわかりやすいです。

例えばFPSでいえば、敵を撃って倒すのがコアゲームです。
将棋で言えば、それぞれのコマを動かして、徐々に相手を追い詰めていく体験でしょうか。
野球で言えば、バットを振ってボールを遠くに飛ばすことや、それを守るために速い球を投げて空振りさせることなどでしょう。

では、ポーカーのコアゲームは何でしょうか?
カードをめくって手札を確認し、チップを賭けることでしょうか?
場に出たカードと自分の手札を組み合わせて役を作ることでしょうか?
端的にまとめると「チップを奪い合うこと」がポーカーのコアゲームだと考えてよいでしょう。

次に「メタゲーム」について考えてみましょう。
メタゲームとは、主にカードゲームで使われているのをよく見かけることばであり、広義な意味では「盤上外で形成されているゲームの要素」と言う表現がわかりやすいかもしれません。

例えば、ゲーム戦略の傾向や流行のことを指しており、カードゲームでは流行りのデッキであったり、格闘ゲームではキャラ性能ランキングなどで使われていることが多いです。

盤上外で形成されている概念として考えると「ゲームをプレイすることで得られる報酬」のようなものも「メタゲーム」としての要素だと考えてよいでしょう。
例えば、あらゆる対戦型のゲームやスポーツには「相手に勝つ」という心の報酬が支払われます。
これは困難であればあるほど達成感を感じることができ、それだけでそのゲームをやる意味につながります。

ゲームやスポーツの中には、これらにプラスして、「ランキング」などの要素を入れているものも多いです。
インターネットを通じて対戦できるゲームには例外なくこの要素がついていますし、プロ野球やサッカーでそのシーズンで誰が一番勝ったのかを決める仕組みもこれに近いかもしれません。

つまり、優れたゲームというのは「コアゲームにプラスして「メタゲーム要素がある」という特徴があります。

では、ポーカーに関してはどうでしょうか?
ポーカーのメタゲームは、まさに「勝てばお金が増える」ということでしょう。
これを取り除いてしまったときに、他にどのようなメタゲーム要素が残るでしょうか?
ポーカーとその他のゲームではメタゲームの前提が大きくことなります。
残念ながら、ポーカーは「勝てばお金が増える」という要素が、メタゲーム部分の殆どを支えているため、これを取り除くと途端にゲームとして成り立たなくなってしまいます。

お金が増える要素がメタゲーム部分の殆どを支えていると言える理由は何でしょうか?

これを理解するために、ポーカーの特徴をさらに分析していきましょう。

ポーカーは勝ち負けを決めるゲームになっていない

先ほど、様々なゲームの共通的なメタゲーム要素として「相手に勝つ」という心の報酬の話と、その難易度が高ければ高いほど良いという話をしました。
まずは、ポーカーにおける「相手に勝つ」とう部分についてを考えてみます。

思い出していただきたいのですが、ポーカーというゲームはそもそも勝ち負けを決める構造になっていません
ポーカーはキャッシュゲームの場合、いつ始めてもいいし、いつ終わっても問題ありませんよね。
キャッシュゲームという名前の通り「お金を稼ぐためのゲーム」として出来上がっており、「そのテーブルでの勝者を決める」構造になっていません。

対戦型ゲームは、スマブラもFPSもポケモンカードもどっちが勝ったのかがはっきりします。
相手に勝つ」という対戦の「目的」と「達成したかの判断」が明確です。
達成したと判断できるから、達成感があり、それが心の報酬というメタゲーム要素になっているのです。

しかし、ポーカーには、様々なゲームにおいて当たりまえに存在している「相手に勝つ」というメタゲーム要素がありません。
したがって、キャッシュゲームに関して言えば、お金を奪い合うという要素を取り除いてしまうと、メタゲーム部分が何も残らないのです。
※厳密には殆どないという表現が正しいでしょう

いやいや、待てよ
毎回ハンド事に勝敗は決まるのだから、勝ち負けがはっきりしないは間違いではないか?
そう思う人もいるでしょう。

しかし、よく考えてください。
ハンド毎の勝敗は「何で」決まりますか?
ここでは、実際にポッドを取った方を勝者とするのではなく、エクイティに注目してみましょう。
ポーカーの最終的なエクイティは必ず誰かが100%になり、そのほかのプレイヤーのエクイティは0%になります。
これは、プレイヤーの技術ではなく、どんなカードが配れるのか、どんなカードが共通ボードに落ちるのかという「100%の偶然」で決まります。

つまり、もしポーカーが最終的なエクイティが100%になった人が勝ちというゲームなのであれば、そもそもゲームですらないことは理解できると思います。

あなたはシャッフルされたデッキからカードを順番にめくって、数が多い方が勝ちというルールのものを「ゲーム」としてとらえられますか?
殆どの人は難しいと思います。

そこでポーカーを発明した人は考えたのだと思います。
あくまでも、ハンドの勝敗ではなく、運が良かったプレイヤーのエクイティが100%になるという「特徴」を利用して、「どれだけ相手からチップを奪えるのか」や「負けている時に、どれだけチップの損失を抑えるか」に技術を使い、それを繰り返していくことを本質としたゲームにしようと。

このゲーム性によって、ポーカーはハンド毎の勝敗はどうでもよく、あくまでもチップが増えているかいないかが重要なゲームになっています。

毎回のハンド毎の勝敗を決めるゲームなのであれば、フォールドするという選択肢はなくなりますよね?(降りてしまったらその時点で負けなのだから、全ハンドでショーダウンをすることが正当化されてしまいます)

フォールドという選択肢がある時点で、ポーカーはハンド毎の勝敗を争っているわけではなく、繰り返しプレイする過程でチップを奪い合っているゲームであると理解できると思います。

つまり、ポーカーのメタゲームを構成している一番の要素は「チップを奪えた」という心の達成感なのです。

このチップとは「お金」であり、それを奪い合っているため、その要素を取ってしまったらポーカーは成り立たなくなってしまいます。

要するに一体何を奪い合ってるの?となってしまうということですね
※いやいやチップを奪えたという達成感があればいいんだ!という人もいるいでしょうが、それは他の要素が起因しているはずです。

それについては後述します。

では、トーナメントはどうなんだ?

次に疑問に思うのはこれでしょう。
トーナメントは「順位」も、「誰が優勝なのか」も決まるため、確かに「勝ち負け」を決めているように見えなくありません。

しかし、それに対する回答は、そもそもポーカーというゲームが「短期的には殆ど運の要素しかない」という事実をしることで、感じ方が変わると思います。
次に、この点を解説していきます。

ポーカーは、短期的には殆どは運の要素しかない

これは僕が過去につぶやいた内容です。

トーナメントというゲームは恐ろしいほど分散します。
物凄く上手な方でも収支がプラスになるかどうかは1万試合以上やらないと分からないなんてことも珍しくありません。

つまり、トーナメントとは、正しいプレイをしたら優勝することもあれば、そうじゃない時もあり、これを気が遠くなるほど繰り返していくことで超長期でお金が稼げるかもしれないというゲームなのです。

1回1回のトーナメントには勝ち負けの要素はあれど、殆どは運がよかった人が優勝するゲームになっています。

また分散に関しては前述したキャッシュゲームにも言えることであり、毎回のハンドにわずかながら実力の要素は含まれているものの、それが顕著に表れるまでに気の遠くなるような回数をこなす必要があります。
次の2つの画像は100ハンドあたり3bb勝てる実力がある人のシミュレートです。(オンラインだと相当強い)

100ハンドあたり3bb勝てる人が1日プレイした時の結果20パターン

ライブゲームで1日10時間(だいたい250ハンド)プレイした時のシミュレーション結果です。(オンラインだと1~2時間ほど)
大きく勝つときもあれば、大きく負けている時もありますよね。

100ハンドあたり3bb勝てる人が16年プレイした時の結果20パターン

上記は、ライブゲームで1日10時間(だいたい250ハンド)で16年プレイした時のシミュレーション結果です。(オンラインだと4面打ちで1年くらい)
ここまでやれば、殆どの場合は収支プラスですが、逆に言うと、ここまでやらないといけないのです。
そして、最悪の場合は、つい最近までは負け越しています。

このようにポーカーというゲームはものすごく結果が分散し、実力通りの結果には良い意味でも悪い意味でもなりません。
つまり、短期的な結果は殆どが運の要素で構成されているようゲームなのです。

殆どが運によって勝敗が決まっているゲームで「相手を負かしたんだ」というメタゲーム的な要素を感じることができますか?

例えば、100人で1~100の番号が書いてあるカードを引いて、100だった人が優勝というゲームがあったとしましょう。
勝敗は運で決まります。

このゲームに勝ってうれしいですか?

これを「うれしい」と感じられる人は、もう僕の負けです。
これからもお金のかかっていないポーカーを存分に楽しんでください。

しかし、殆どの人は、このゲームで優勝してもうれしいと感じられないはずです。

ポーカーは、ゲームを理解すればするほど、「相手を打ち負かした」という達成感としてのメタ要素を感じられなくなるため、それ以外の「メタ要素」が必要であり、それが「お金」なのです。

WSOPで優勝した人は皆ものすごく喜んでいますよね。
でも高額な賞金というメタ要素がかかっていなければ、あそこまで大きく喜ぶ人は殆どいないと思います。

ポーカーは「お金を賭けなくても面白い」という人は、この分散を理解しておらず、毎回のハンドのやりとりに実力要素がかなり含まれているのだと勘違いした結果、「虚像のメタ要素」を感じているだけなのです。

ここまでの結論をまとめます。
ポーカーは、なぜお金を賭けないと成り立たないと言えるのかは、

  • 勝敗を決めるゲーム設計になっていない

  • 短期的には殆どは運の要素しかなく、「相手を打ち負かした」というメタ要素を含ませることができない

主にこの2つに起因していると言えるのではないでしょうか。
殆どのゲームは、勝敗を決める設計になっており、「勝利した達成感」というメタ要素があります。
それがないポーカーは「勝利」の代わりに「お金が増える」というメタ要素を取り入れました。
その結果、世界で最も人気のあるゲームの1つとして成り立っているのだと思います。

そもそも、おそらくこのゲームはお金を奪い合うというメタ要素から設計されてきたと思うので、マネーマッチの要素を取ったらどうなるか?なんてことは、開発した人は考えていなかったと思います。

ポーカーはマネーマッチがあることで初めてゲームとして成り立ちます。
お金を賭けた方が面白くなるからとかそんな次元の話ではなく、そもそもマネーマッチ要素がなければ、残るのは「コアゲーム部分のみ」になってしまい、ゲームとして成立しません。
つまり、それは「ゲームとして、この世に存在することができない」ことを意味しています。

厳密には、コアゲーム自体に「動作」を含み、それ自体が面白いものは、ゲームとして成立することもあります。
例えばスポーツやコントローラーを用いたアクションゲームなどですかね。
しかし、ポーカーの「動作」はチップを手にもったり、カードをめくったりなので決して面白いものではありません。
おそらく、世界のヨコサワ氏が言いたかったのは、この「動作」の部分に関してなのだと思います。

したがって、メタ要素は必須なのです。

これを理解したことで、ポーカーのお金を賭ける賭けないの話への解像度がグッと深まったはずです。

マネーマッチ以外の解決策

ここまでで、ポーカーが、なぜお金を賭けないと成り立たないのかを簡単に説明してきました。

とは言っても、日本には「時代遅れの法律」がある以上、本来のポーカーをすることは不可能です。

したがって、日本で限りなくポーカーに近いものをプレイするための「解決策」について触れてみましょう。

その前に、まず、主に国内で行われている間違ったアプローチについてふれておきます。

間違ったアプローチ:お金を奪いあう要素を取り除く

代表的な間違ったアプローチです。
リングチップに意味を持たせないだけのアプローチであり、誰にでも思いつく方法ではあります。
しかし、上述したように、ポーカーはコアとメタで成り立っているため、
一番大きなメタ要素を取り除いては成り立ちません。

お金を賭けない過激派の中には、これをポーカーと呼ぶ人たちが沢山いますが、コアゲームしかないポーカーはそもそもポーカーですらないのです。

先ほども書きましたが、「お金を賭けていないポーカー」に「メタ要素」があるように感じるのは、分散を知らないことで起きているただの「錯覚」です。
それを面白いとするのは、極論その人の勝手ですが、それを堂々と「ポーカー」として広めることには疑問が残ります。

絶対にやめましょう。

※一方で、コアゲームのみでメタ要素があるかのように錯覚させることができるのは、ある意味恐ろしいゲームなのだなとも思います

では、どうすればお金を賭けずにポーカーを成立させるのか?
次はそれについて考えていきます。

お金に代替するものを用意し、それを奪い合う

これは、先ほどのヨコサワ氏の動画でも触れられていますが、代表的な解決策として「お金に代替するもの」を用意し、それを奪い合うゲームにするということです。
ポーカーはコアゲームだけで成立させるには不可能な性質をもっているため、「メタゲーム要素」としてマネーマッチの概念を取り入れ、ゲームとしての意味を持たせていました。
逆に、このメタゲーム要素を別のものに代替するということはできるかもしれません。

一番簡単なのは「ランキングポイント」などでしょうか。

esportsのシーンなどでは、「ランキングポイント」を稼ぐことで、より上のランキングに行って「ドやりたい」という需要(メタ要素)が見受けられます。これはポーカーも例外ではないと考えています。

したがって、キャッシュゲームの「キャッシュ」の代わりに、ランキングポイントを奪い合い、累計で獲得したポイントをお互いに見せ合える仕組みにするなどすることで「ドやる」ための要素を仕掛けていくのです。
トーナメントも同様に「お金の参加費やプライズ」の代わりにランキングポイントを参加費やプライズに用いることで同じ構造は生み出すことができるはずです。

ランキングポイントが一定数以上になったら「マスター」みたいにランク帯の名称もつけると、それもメタ要素になるかもしれません。

実はこれにチャレンジしている団体はいくつか見受けられます。
参考動画のヨコサワ氏の運営するRootsというアミューズメントポーカーはtierマッチという要素を取り入れています。

他にも「ポーカーチェイス」や「エムホールデム」といったポーカーアプリもランキング制度をもちいることで「上位ランカー」という「メタ要素」のためにチップを奪い合う構造を取り入れることができています。

まだまだ仕組みや仕様に課題はありますし、メタ要素としては弱い(お金という要素はどうしても強くなってしまいます)ですが、これも立派なポーカーであると考えています。

この領域までくれば、お金を賭けたポーカーとポイントを賭けたポーカーの差は好みの問題くらいになるかもしれません。

ポーカーの疑似体験として割り切る

国内で出来るポーカーは、「あくまでもポーカーに似た何かだけど、それを疑似体験するアミューズメントなのだ」と割り切ってしまう考え方です。
実際に、日本ではその名の通り「アミューズメントポーカー」の店舗が沢山ありますし、いっそのこと「ポーカーを疑似体験している大人の遊び」と割り切ってしまうのも1つの手だと考えています。

ポーカーの疑似体験+お酒なのか、+かわいい店員さんとの会話なのか、最近だとシーシャなどを組み合わせているお店もあったりしますよね。
これは本来の目的がお酒や店員さんやシーシャなので、ポーカーはおまけ程度にしかなりません。
つまり、メタ要素とか難しいことを考えなくていいのです。
これはこれで1つの大人の遊びとしてはありなのではないかなとも思います。

実際に僕も、渋谷のBlowというお店に行った時に1000円飲み放題でポーカー体験ができるのは、大人のアミューズメント施設としてとても面白いと感じました。

海外シーンを想定したトレーニングとして考える

これは、最初からポーカーをプレイする主戦場を海外に定め、国内で行うポーカーはすべてトレーニングとして考える方法です。
数名のメンバーで集まり、本当にお金を賭けていると想定してプレイをフィードバックするような会もこれに該当するでしょう。
シミュレートであればメタ要素は必要ないですからね。

健全なポーカーの意味を正しく使おう

今回は、なぜ、ポーカーはお金を賭けないと成り立たないのか?に関して自分なりの理論を主張してきました。

最後にもう1つだけ主張させてください。

よく国内では「健全なポーカー」という言葉を見かけることがあります。
それの示す意味としては「お金を賭けていないポーカー」のことであることが殆どだと思います。

しかし、今回僕の主張を読んでくださった皆さんは、違和感に気が付くはずです。
ポーカーはお金を賭けていないと成り立ちません。
つまり、お金を賭けていないポーカーは、むしろ健全なポーカーではないのです。

繰り返しになりますが、「日本の時代遅れな法律」のせいで、お金を賭けてやるポーカーは悪いことのようにとらえている人が多いと思います。
しかし、海の向こうでは当たり前のようにマネーマッチのゲームとして流行しており、数々のドラマが起きています。

お金を賭けてやるポーカーは人間として悪いことでしょうか?
そんなことはないと殆どの方は気が付いていると思います。
僕は、「日本でそれをやって万が一逮捕されたら面倒だからやらない」というスタンスでいます。
つまり1ミリも悪いことだと思っていません。
したがって日本の法律が適用されない範囲(海外シーン)では当たり前のようにマネーマッチをしています。

なので、もしこの記事を読んだ方は、明日から健全なポーカーの意味をはき違えないでください。
そして一緒に、日本で本当の意味で健全なポーカーができる日を待ちましょう。
※大阪IRが決定しているのであとは施設だけですから


パーソナルトレーニングジムをイメージしたポーカーのトレーニングサービスを運営しております。
海外シーンでの活躍を目指したい方を対象に、完全合法な範囲でトレーニングさせていただきます。

今回の記事で雰囲気は感じ取っていただいたと思いますが、我々は徹底的なグラインダー思考です。

気になる方はぜひ、ご連絡ください。

https://twitter.com/GymPoker


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