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【鬼凪座暗躍記】-五悪趣面-『其の四』

火伏ひぶせの玄馬げんま】は、腰帯に差した投げ手斧ちょうなをかまえ、用心深く濃霧をかき分けて進んだ。

 どこかで男の悲鳴がしたようだが、気のせいだろうか。

 それにしてもなんの因果で、こんな制裁を十年後の今、受けねばならぬのか?

 自問自答を繰り返す玄馬は、疲弊した足を休めるため、手探りで巨岩に腰を降ろした。

 赤い蓬髪ほうはつを汗に濡らす小悪党は、震える手で煙管キセル煙草たばこをつめ、閻魔堂での凶変を思い返しては、あれこれと考えを廻らしていた。

「十年だぞ……!? クソッたれがぁ! どういう仕掛けか知らねぇが、今頃になって仇討ちのつもりかよぉ! ふざけるなってんだぁ!」

 玄馬は悠々煙管を吹かし、強がって見せたが、鳥の羽音にもビクついて、投げ手斧を振りかざすほど真情は逼迫ひっぱくしていた。岩雄を這う虫をイラ立ちまぎれに拳で殴り、玄馬はせめぎ合う恐怖と悔恨に翻弄され、わなないていた。

「なんでだよ! 先に仕掛けて来たのは、あいつの方だぞ! そりゃあ、確かに、挑発したのは俺の方だ! 俺はただ、あいつの生意気な態度が、腹にすえかねて……けど、殺すつもりなんかなかった! まさか、死ぬとは思わなかったんだよぉ!」

 玄馬は幾度も拳を打ちつけ、流れ出す血を、暗くよどんだ目で睨み続けた。
 そうする内、彼の意識は白濁し、うつせ身を離れ、走馬灯の如く、遠い過去の牢屋敷へと回帰して往った。


――十年前の厳冬……石造りの牢獄は凍えるような寒さだった……俺は【化他繰けたぐり(やくざ)】とのつまらねぇ小競り合いから、牢屋敷にぶちこまれ、年の瀬をこんな汚ぇところで送らなきゃならんくなった身上を嘆き、イライラと殺気立っていた。牢内には六人……いや、七人だったかな。とにかく、その中にあいつもいたんだ。破落戸ごろつきの巣窟には、おおよそ不似合いな男で、聖真如族せいしんにょぞくと聞いた時にゃあ、吃驚びっくりしたよ! 人伝に聞いた話じゃあ、国賊級の大事件を起こした元高官で、劫裁判官所ごうさいはんがんしょ右刑うけい罪人牢屋敷が補修工事中だったからって、一時的に俺たち小悪党の集まる左刑さけい罪人牢屋敷へ、預けられてたらしい……なんにせよ、あいつは目立つ存在だったよ。ついでに目障りな存在でもあったぜ! なにせコッチは、些少の金品を奪い合い、日々の暮らしにも困窮し、ピィピィしてるってぇのによぅ! あいつは地位や役職を笠に着て、公金横領した挙句、牢役人からも特別あつかいされていた! 俺たちみてぇなクズと一緒にされて、さぞやつらかろうが、右牢うろうの完成まで、もうしばし我慢してくれってな具合だぁ! 食い物も全然ちがうんだぜ! これじゃ頭にも来るだろう! 俺たち三下奴さんしたやっこより、よほど重罪犯してる野郎が、俺たちより大切にあつかわれてるんだぜ!? しかも、あいつ……この期に及んでまだ『自分は無実だ、陥れられたんだ!』……なぁんて、莫迦ばかげた放言ほざいてやがった! だから俺は、あいつをちょっとからかってやったのさ……あいつは丁度、牢役人から身内の訃報を聞かされたばかりで、かなり滅入ってる様子だったな……いつもは、いくら俺たちがチョッカイ出しても、スカして一切無視だったのが、俺に殴りかかって来たんだ! 他の破落戸にけしかけられて、俺もついつい頭に血が昇っちまった……で、気づいた時にゃ、折り取った羽目板はめいたの尖端が、あいつの脇腹に刺さってたんだ! すぐに牢役人が駆けつけて来て、あいつは牢内から運び出されて往ったよ! 俺は、他の奴らがかばってくれたお陰で、刺した犯人が誰なのか判らねぇまま、年明けには釈放されてた。哈哈ハハ……どうせ遠からず、死罪になる男だったからな。牢役人も結局、犯人探しをあきらめたってワケさ……なのに、俺を恨むのか? 十年も過ぎた今頃になって、復讐がしたいってのか!? そんなの横暴だ……おかしいぜ! 俺に殺意はなかった! あれは、不幸な事故だったんだよ!――


『開きなおるとは呆れた奴よ、火伏せの玄馬』

 突然、背後から覆いかぶさった凶声に、玄馬は投げ手斧をかまえ、振り返った。

 三間ほど離れた木陰に人影を捉え、玄馬は二対の手斧をすかさず投じる。狙いは的確で白面はくめんを断ち割ったものの、それは人体に似た、ただの古木。さらに面は、狂言用の滑稽な武悪面ぶあくめんであった。

 玄馬は怖気を抑えこみ、犬のような浅速せんそく呼吸で炯々と周囲の闇を凝視。

 ザワザワとうごめく潅木の茂みへ的をしぼり、二投目の準備に入った。ところが、血まみれの手がにぎっていたのは、愛用の投げ手斧でなく、折れた羽目板の木片だった。

 崔劉蝉さいりゅうぜんの脇腹を刺した、十年前の凶器である。

 玄馬は「ぎゃあっ!」と、悲鳴を上げて、木片を投げ捨てようとした。しかし玄馬の右掌は、主人の意に反し木片をつかんだまま、決して放そうとしない。

 動揺して、しゃにむに手を振り回すが、右掌はますます強烈に木片をにぎりしめてしまう。

 さらに奇怪な木片は、玄馬の掌から腕の方まで根を張って、めりめりと毛細血管の如く浸蝕、彼に堪えがたい激痛を与えた。

「そんな、どうして……クソッ! 痛ぇっ! 痛ぇよぉぉっ! 畜生っ、放せぇぇっ!」

『貴様は、冤罪で投獄されたばかりか、愛する妻女の訃報を受けて、絶望のどん底にあった劉蝉に対し、償いきれぬ殺戮行為を繰り返した! たびかさなる暴言と悪態で、彼の心を殺し、そしてついには実害を加えた! そこに、殺意の有無は関係ない……いや、なかったとは云わせぬぞ! 五悪趣ごあくしゅ殺生せっしょう】の鬼面をつけた餓狼の手は、すでに数多あまたの命を奪っているのだ! 人面獣心じんめんじゅうしんの外道、とくと己の過去帳を見ろ!』

 闇中で含み嗤う黒子姿くろこすがたの白面は、確かに牢内で玄馬が手にかけた男だった。

 濃霧を撹拌し、うろたえる玄馬を煙に巻く劉蝉の亡魄。

 森の木々をも味方につけて、轟々と揺らし、ざわめかせる怪士あやかしは、木片を手に再び襲い来る玄馬を、瞬時にからめ捕った。

 なんと玄馬の両足をつかんで、地面に引き倒したのは、意思なき蔓草つるくさのたぐいであった。

 玄馬は泡を食い、草棘そうきょくを千切って立ち上がろうとするも、すぐに他の植物が彼を縛めて、自由を奪うのだ。

 爬虫の如き執念深さで、触手を伸ばす植物に、半狂乱の玄馬……そんな彼の泣きっつらを、崔劉蝉の広げた経巻がふさいでしまった。

 抵抗し、力まかせに巻物をむしり取った玄馬は、そこに綴られた血文字を見るや、声を詰まらせ、ワナワナと腰砕けになった。

 血文字は、玄馬がこの十年間に殺害した、数多の人名だったのだ。

 しかも経巻の最期には【火伏せの玄馬】と、彼自身の名が綴られていた。こみ上げる脅威を吐瀉し、口元を押さえた玄馬は、己の顔を覆う、いびつな手障りに気づいた。

 険悪な造形は……二本の巻角、黄金の飛出眼とびでがん、耳まで裂けた受け口、鋭く並ぶ牙、血汗を流す赤黒い肌……まさに醜悪な食人鬼【殺生鬼面】の異形であった。

 俗名【玄馬】……赤毛夜叉は、恐怖のあまり自制心を失って、顔面を岩雄に叩きつけた。

 最後は人間性まで亡くし、獣染みた咆哮を発しては、畜生道へと堕ちて往った。

「嘘だぁ! こんなの嫌だあぁぁぁぁぁっ! ぐおおおぉぉおぉぉぉぉぉおぉっ!」


ー続ー

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