【鬼凪座暗躍記】-決別・前編-『其の壱』
《……鬼灯揺らぐ、六斎日、
泥梨へ誘う十二使鬼……》
戊辰暦十三年の厳冬、北方多聞区・勢至門町『八椚宿』界隈では、六斎日というと決まって気の狂れた物乞い女が出没、街中を徘徊するようになった。
俗に、『黒姫狂女』と呼ばれるこの女。
歳の頃二十六、七。継だらけの喪服姿で、波打つ黒髪は長くザンバラ、垢染みて身形こそ小汚いが、相貌は色白端整な細面だった。
所作も立居も上品なため、元は良家のご息女でないか、と市井の民からは噂されていた。
とくに悪戯するでもなく、口調も意味不明ながら穏やか。
常に愛想のいい笑顔を湛えていた。
ゆえに人々は、飲食物や小銭などめぐんでやり、怪我や病気の際は手助けしてやり、名も知らぬ憐れな狂女を、町ぐるみでいたわっていたのだ。
彼女はいつも正午過ぎ、どこからともなく現れては、不可解な数え唄を口ずさんでいた。
《……神々廻を糾う阿弥陀門、
一夜の夢と思し召せ、
勃嚕唵と鳴らす観音門、
二夜の夢は未だ遠い、
荼吉尼を描く如意輪門、
三夜の夢は尚醒めぬ……》
さて、ここで話はさかのぼる。同年晩秋の霜月は、六斎日の鬼灯夜である。
遠く離れた西方広目区・大日門町では、奇妙な事件が起こっていた。
「喂、お前さん、もしや【忌告げの如風】ではないかね!? いやはや……まさか、斯様なところで廻り逢うとは、なんとも奇遇じゃのう!」
網代笠から赤目の髭面をのぞかせた破戒僧に、親しげな声をかけられ、若い職人風の男は一瞬歩を止めた。肩までの短い縮毛を布でつつみ、藍染め小袖と革背子をはおった【掌酒族】とおぼしき青年である。
時刻は初更入り、仕事終わりで家路を急ぐ人の波に呑まれ、石畳の往来へ佇む二人に、しばしの沈黙が流れた。
しかし――、
「人ちがいだ」
職人風男は素っ気なくそれだけ云い残すと、足早に立ち去ってしまった。
長嘆息で、男の後ろ姿を見送る破戒僧に、仲間たちが訊ねた。
「今の男、知り合いかい?」と、継半纏男。
「残念、フラれちまったらしいな」と、喝食行者。
「これから依頼主との面談があるのに、いささか軽率すぎますぞ」と、赤毛道服男。
『しかも勘ちがいとは、呆れたものだ。ついに酒毒が頭に回ったか?』と、八尺巨体男。
一様、編笠で素顔を隠し、蓑合羽を引っかけているが、正体は無論【鬼凪座】の鬼業役者五人組である。
月も朧な曇天から、案の定、小雨が降り始めた。
網代笠の破戒僧は、豪快にあおった酒瓢箪を仰ぎ見、苦笑いした。
「人ちがい……か。奴がそうしたいなら、そうしておいてやるかのう……致し方ないわい」
すでに先んじた仲間四人のあとを追い、破戒僧は小雨そぼ降る石畳を慌てて駆け出した。
……ようこそ【鬼凪座】の皆さま! お待ちしておりましたよ! でも、本当に来て頂けるとは……啊、これは失礼! 私の名は、【宗瑞茅】……すでに依頼文へしたためました通り、北方多聞区・勢至門町で【門附人(朝廷より派遣された『門司』の下、各門前町の治安維持に努める顔役や警備員の統率官)】職に就いたばかりの新米です。ええ、確かに勢至門は別名『不如帰門』といい、一時は危険な罪人街でしたが、今はだいぶ環境も変わりましたよ。私は兄の頓死で、やむなく跡目を継いだわけですが、町人の口入れ業務や、婚礼の世話役、時には【左刑(軽犯罪)】の仲裁や判官所への口利きなど……まぁ一言で云えば、何でも屋のような守衛門番なのですが、なかなかやり甲斐のある仕事です。それで、依頼内容なのですが……そうです。近頃、十二門町各地で、私と同職の門附人が、次々と謎の失踪をとげているのです。それも、決まって六斎日の鬼灯夜。ご存知のように私たち門附人は本来、自分が守る門前町界隈から出ることは、滅多に許されません。此度の場合は例外的に……というより、私勝手に出て来てしまったのですが……斯様な戒律違反は、見つかれば即処罰されます。なのに、この大切な職務を放棄してまで、どこかへ出奔する門附人が多数出るとは、考えがたい。しかも、この大日門町で六人目なのです! まぁ、前任者がなんらかの理由で職を辞せば、すぐに後任が門附人屋敷へ入りますので、職務に支障が出ているわけではないのですが……とても気がかりです。この大日門にも、明朝には新しい門附人が赴任することになっています。ですから今宵、皆さまをここへお呼びしたのです。失踪直後の門附人屋敷を見れば、なにか理由が判るのではないかと存じまして……え? 不寝番? いいえ、四方区議舎から出向して来る門司は、非常時でない限りは帰舎しますし、十二人居る仲人も、元々民間ですから、ほとんどが帰ってしまいますので、門附人も夜分は一人になることがあります。私の元に失踪事件が伝播して来たのは、半月前……最初は事件性の高さを鑑みて【劫初内】へ報告すべきではないかと、北区門附人会合の席で相談したのですが……何故か皆さま、その提案をかたくなにこばまれまして……でも私は心配で、夜もろくに寝つかれず……何しろ気の弱い男なのです。お恥ずかしい限りですが……そこで、かねがね噂には聞き及んでおりました【鬼凪座】の皆さまへ、ご相談の依頼文を差し出しました次第。ええ、その時は南方増長区・地蔵門町での変事をしたためたのですが……その後、またしても失踪事件が相次ぎ、急遽会合場所をこの大日門に変更したのです。あの……それで私の依頼、お引き受け頂けますでしょうか? え、本当ですか!? ありがとうございます! 勿論、手間賃は充分ご用意させて頂きました! 新任門附人たちからも基金を募ったので、それを元手に働いて頂きたいと……はい! お好きなように検分なさってください! 私は門司が【施無尽物社】へ入る前に、勢至門へ戻らねばなりません。実は皆さまと会うため、急病を装いまして、三日間の猶予を頂いております。ここから北方多聞区まで帰るには、丸一日かかりますし……申しわけありませんが、私はお先に失礼致します。なにか判りましたら、ご足労でしょうが勢至門町までお越しください。これが半金で、残りは仕事が終わり次第、勢至門にて必ずお支払い致します。では【鬼凪座】の皆さま……どうか失踪事件の解決に向けて、調査のほど、よろしくお願い申し上げます……
【劫族】の門附人【宗瑞茅】は、まだ幼さの残る白面に、真摯な熱意を湛え、深々と低頭した。高位役人らしからぬ、誠実で温厚な性格に、怪士一味は好感を持った。
ゆえに、意見は全員一致した。無論、《承知》である。かくして、六斎日の『門附人失踪事件』……この夜から、【鬼凪座】による徹底調査が、秘密裏に開始されたのだ。
ー続ー
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